第六節 『土壇場』
「それで、なんといったかな?」
「へ? ……なにが、でしょうか」
ヴァーゼラットの退陣に気を取られていたミツキは、副王ウィスタントンの唐突な問い掛けの意図を測りかね、おもわず聞き返した。
「貴殿の名前だ」
近くの下士官から説明され、ようやく質問の意味を察する。
「あ、ああ……ミツキ、と申します」
「ふむ、ミツキか。感謝するぞ、貴殿のおかげでヴァーゼラットを排することができた」
「は? ……それは、どういう……」
「うむ。あれはアタラティアでも屈指の権力を持った一族の頭首でな。特に軍の高官には同じ一族出身者が多く、たとえ副王といえど排除することなどできなかったのだ。仮に、初戦の敗北を理由に罷免しようすれば、奴は部下に命じて私を拘束し、戦場からの保護を名目に幽閉したことであろう。だが、衆人環視の中で中央から派遣された客分に斬り掛かったとなればさすがに話は別だ。加えて、あれだけの力を見せ付けられたのでは、将軍の息の掛かった者たちも手出しはできぬというわけよ」
朗らかな表情で説明するウィスタントンにはやはり愛嬌があったが、ミツキは副王に対する認識をあらためていた。
この男は自分の手に余る権力を持った配下を放逐するため、ミツキを利用したのだ。
言動は卑屈そうなのに、中身は見た目同様〝タヌキ〟らしかった。
「して、これからどうする? ヴァーゼラットはもちろん、ディセルバの策も否定する以上は、別の手立てを用意しているのであろう?」
「それは――」
「それについては私に考えがある」
ウィスタントンの問いに答えようとしたミツキの声に被せるように、背後からサクヤの声が響いた。
将軍の相手はこちらに丸投げしておいて、今更しゃしゃり出るのかと、ミツキは険しい表情で振り向く。
そして、すっこんでいろと一喝するつもりが、喉が引き攣り言葉を詰まらせた。
サクヤの額の目が開き、紫色の不気味な光を放っている。
神通の手術を受ける直前に、ミツキの動きを封じたのと同じ術だ。
天幕内の男たちもその異様な姿に恐れおののいているが、サクヤが意識を向けていないためかミツキのように動きを封じられた様子はない。
副王も動揺を見せたが、ミツキが不自然な姿勢で動きを止めたのに気付くと、一瞬考え込んでから、サクヤに視線を向けた。
「そうか、では聞かせてもらおう」
「ブシュロネアの先発隊は四街道を分かれて進軍している。ならば丁度良いと思ってな。我ら四人が各街道にて迎撃する」
ミツキの全身に冷や汗が噴き出た。
この女は、何を勝手なことを言い出すのか。
「そ、それはさすがに、無茶が過ぎよう。その方らの力が尋常でないのは間違いないのであろうが、一人当たり三千の敵と戦うことになるのだぞ」
「いや。街道は細く闇地に挟まれている以上は広く展開することもできまい。それならば、実際に相手をするのは部隊の先頭のみだろう。それに、街道の結界を破壊しないためにも、敵は高威力の魔法を使えない。作戦の遂行には兵力が必要ということも鑑みれば、部隊の先頭である程度の損害が出れば、奴らは退却するはずだ」
「なるほど……しかし、間に合うのだろうか。奴らは街道の途中で闇地に逸れるのであろう。迎撃に向かったところで、先に闇地へ入られては、追撃も難しいのではないか」
「お、おそれながら、それについては、おそらく間に合うかと思われます」
ディセルバ准将がためらいがちに口を挟んだ。
「なぜ、そう考えるのだね准将?」
「はっ。先程のミツキ殿のご指摘通り、闇地を抜けるには低深域からの侵入が必須条件となります。であれば、奴らがどのあたりから闇地へ侵入するかも、ある程度は予測が可能です。そして現在、ブシュロネア部隊の先頭が街道を抜けるまで二十日の距離にいるのであれば、早馬なら侵入可能地点の最遠方に、奴らより先に到着できるはずです」
「そうか……この場の誰より闇地に詳しい貴公がそう言うのであれば間違いなかろう。しかし、客分であるその方らだけに任せて良いものか……せめて何か、我らにできることはないのか?」
「おまえたちは街道口にて待機し、いつでも動けるよう準備しておけ。我らが敵を退けた後、速やかに追撃に移ってもらう。また、まずあり得ないが、まんがいちにも失敗した時には、知らせが入った時点で後退し、准将の策で迎え撃つが良い」
「……後ろのお二方もご異存ないか?」
副王に問われ、トリヴィアとオメガは一瞬視線を交わしてから答える。
「異存も何も、最初からそれが最善だというのはわかり切っていた。いい加減待つのには飽き飽きしているんだ。準備を急がせてくれ」
「オレもかまわねえ。正直、ここで暴れてやってもよかったが、戦る気になってる連中を相手にした方がおもしれえだろうからな」
「……そうか、かたじけない」
おいちょっと待てと、ミツキは心の中で叫んだ。
このタヌキオヤジは、未だ動けぬ己だけを故意に無視した。
おそらく、反対されると予想してのことだろう。
せっかく将軍を追放できたのに、これではむしろ逆効果ではないかと泣きたくもなる。
「では、馬と装備、それに案内と見届け役の兵を手配するので、準備ができ次第出立していただきたい。ここまでの長旅で疲れたであろうし、食事と湯と寝所を用意させるので今夜はゆっくりと休まれよ」
副王の一言でその場は解散となった。
結局、幕僚たちの反応はまちまちで、レミリスに近付いて媚を売る者もいれば、ミツキらに胡散臭げな視線を向けたまま無言で立ち去る者もいた。
一部、露骨な敵意を示していた者がいたのは、おそらくヴァーゼラットの派閥の人間だろう。
いずれにせよ、トリヴィアらの見せた力に期待しつつ、負けたところで自軍にデメリットはないからこそ、反対意見は出なかった。
「いつまでそうしている」
天幕内から人が捌けたところで、サクヤは額の目を閉じた。
途端、強張った体に自由が戻り、ミツキは息を荒げながら膝を付いた。
「くそっ! おまえ、何てことしてくれたんだ!」
「おまえの策では、まあ勝てはしただろうが、私やおまえの力を示せないだろう?」
こいつ、と思う。
こちらの考えまですべて読んでいたのか。
ミツキが副王に進言するつもりだったのは、ローミネスまで後退したうえでの籠城策だ。
本来なら援軍の見込めない籠城など下策もいいところだが、こちらにはトリヴィアとオメガがいる。
包囲した敵に対し、ふたりによる夜襲を繰り返せば、リスクもコストも最小で勝利できるはずだった。
「おそらく、副王も察していたな。あれでなかなか喰えん男だ」
たしかに、この領の統治者であれば、首都を包囲させるような策は避けたいところだろう。
四人が敵を退けられると信用したわけではないが、少なくともミツキの策よりはサクヤの策の方が、リスクは低いと判断したというわけだった。
「ふざけんなよおまえ! トリヴィアとオメガなら何とかなるかもしれないし、おまえのことはどうか知らないが、少なくともオレはちょっと超能力が使える程度で、この世界の魔法を使える人間とようやく対等ってところなんだよ! それが、魔法を使える軍人三千人と戦うなんて、無理に決まってるだろ!」
さらに文句を吐こうとしたが、サクヤに顎を掴まれ、顔を覗き込まれた。
近くで見ると、やはり途轍もない美少女で、一瞬言葉を失う。
「だからだ」
「ははあはほ?」
「そうだ。そんな程度で満足してもらっては困るという話だ。おまえ、よもや私との契約を忘れたわけではあるまいな?」
忘れてなどいない。
サクヤの好奇心を満たすため、今は知り得ぬ情報を得られる地位にミツキが上り詰める。
そういう契約のもと、ミツキはサクヤから神通を授けられた。
「なればこそ、この世界の人間と対等などでは困るのだ。まずは、多少無茶でも修羅場を潜り成長してもらおう。そもそも籠城などしていてはおまえの力は示せず、出世など夢のまた夢ではないか」
「はへお、ひんはあほほおほおはひはお」
「そうなれば、おまえはその程度の存在だったというだけだ。私の望みが遠退くのは少々痛いが、まあ他を当たることにするさ」
そう言うと、サクヤはミツキの顎を離しさっさと天幕を出て行った。
サクヤの退出した入り口に恨めし気な視線を向けながら、ミツキは呟いた。
「悪魔め」




