第二節 『移送』
薄暗い馬車の中、ミツキは目深に被ったフードの奥から慎重に視線を巡らせ周囲を観察していた。
長方形の箱の壁面にベンチを設置しただけの車内には、ミツキと同様に粗末なローブを纏いフードを被った者たちが詰め込まれている。
おそらくは皆、ミツキとそう変わらない経緯で移送されているものと想像できた。
であれば、皆で結託し、車内後部の扉を突破し逃亡するなり、あるいは馬車を乗っ取るなり出来そうなものだが、誰一人として他人に声を掛けたりしない。
そりゃそうだとミツキは思う。
皆、フードを深々と被っているため顔を見辛いが、確認できた限りまともな人間はひとりも居ない。
例えば、ミツキの正面に座っているのは魚のような顔に鋭い牙を備えた化け物じみた何かだ。
その右隣りに座るのは爬虫類のような肌にアリクイのような顔の奇妙な生物だし、左隣などは目も口も鼻も無いのっぺらぼうで、更にその左隣に至っては目と口と鼻が複数存在するという始末だった。
たとえ同じ境遇とて、どいつもこいつもこう人間離れしていたのでは、とても話しかける気にはなれない。
そして、おそらくは他の連中にしても、同じような気持ちなのではないだろうかとミツキは考えた。
さらに言えば、己はことのほか、この連中とは相容れないはずだと確信していた。
理由は、自分たちを独房から出し、馬車に押し込めた者たちが、ミツキとよく似た容姿をしていたからだ。
要するに、ミツキを含めた異形の集団をどうこうしようとしている連中は、少なくともミツキの目からは人間に見えたのだ。
そして、言わば加害者と似た容姿のミツキは、特に同乗者から警戒される恐れがあった。
否、警戒されるだけならまだ良い。
兵士たちの仲間だなどと誤解されれば、最悪リンチでもされかねないだろう。
なぜ、こんなことになったのか。独房から出された後のことをミツキは回想する。
石突きで脾腹を突かれ呼吸さえままならないミツキを、鎧の兵士らしき人物らは両脇から抱えるようにして立たせ、外へと引きずり出した。
独房内と同じように石造りの廊下を抜け、扉をいくつか通過し、長い階段を降りた先に建物の出口はあった。
開かれた門を潜ると、強烈な日差しに目を細める。
ずっと薄暗い独房に閉じ込められていたため目が慣れるのに時間が掛かった。
ようやく周囲を視認できるようになると、驚きに目を見開いた。
遠方に、シャンデリアのように煌めく螺旋状の尖塔がいくつも連なった城のようなものがそびえていた。
幾何学的でありながらどこか古風でもある、そのたたずまいはミツキの知る限り、どこの国のどの時代の建築様式とも一致しなかった。
「おい!ボーっと突っ立ってんな! こっちだ」
遠くの建物の威容に圧倒され、思わず足を止めたミツキは、再び兵士に促され歩き出した。
視線を巡らすと、自分を引きずるようにして歩く兵士と同じ鎧を纏った者たちが周囲を固めているのに気付いた。
兵士たちの半数程は、兜のバイザーを上げ口元を覆う布も首まで引き下げている。
そして、彼らの多くはミツキに注目しているようだった。
その視線は、軽侮、嫌悪、嘲り、憐みなど、それぞれ微妙に異なる感情を伝えていたが、どれも一様にミツキを〝人″とは認識していないように見えた。
やがて、独房のあった建物からそう離れていない広場にたどり着いた。
そこには何十輛もの馬車が停められ、その後方にミツキと同じローブを纏った集団が兵士によって誘導されていた。
〝馬車〟と言っても、それは兵士たちがそう呼んでいたという意味で、ミツキにはそれを〝馬車〟と呼んでよいものか判断がつかなかった。
小型のバス程の車体はともかく、前方に繋がれているのは、どう見ても哺乳動物の〝馬〟ではなく、ダチョウと大型の爬虫類を掛け合わせたような奇妙な動物だった。
ローブの集団は順次馬車へ乗り込み、満員になった車両から出発しているらしかった。
ミツキも兵士らに促されるまま、他にローブを纏った者らと車両に乗り込んだ。
乗車前に隙を見て逃亡しようとも考えたが、既に実行した者が何人もいたらしく、広場の隅にローブを着た屍が無数に積み上げられているのを見て思い止まったのだった。
「さて、そろそろ逃げるかな……」
ミツキは小声でぼそりと呟いた。
出来もしない独り言を口にしたのにはふたつの理由がある。
ひとつ目の理由は、自分も兵士たちが使っていた言語が話せるのかを確認するため。
たとえ理解はできたとしても、実際に話せるかどうかは不明だったので試したのだ。
結果、まったく閊えることなく、思い通りのセリフを口にすることができた。
ふたつ目の理由は、ミツキと同じフードを被った同乗者たちも、自分同様に言葉を解するのか知るためだ。
逃げるなどという嘘を口にしたのもそのためで、もし意味を解する者が聞けば間違いなく動揺すると踏んだからだった。
そして、こちらの結果は意外なものだった。
車内全体が見渡せないミツキに確認できるのは、向かい側のベンチに座る九人に、両隣の二人を合わせた十一人だったが、体を震わせたり、ミツキの方へ顔を向けるなど、あからさまな反応を示したのは五人だけだった。
つまり、半数だけがこの国の言語を解し、もう半数は解さないという半端な結果だったことになる。
「……なんて、嘘だけどな。この状況で逃げるとか、無理に決まってる」
同調した者が騒ぎを起こしたりしないよう、すぐさま先程の発言を撤回しつつ、再び同乗者たちの動きを見る。
明確に反応したのは、やはり五人だけだ。
中には、ため息をついたり、首を振るなど、妙に人間臭いリアクションをとる者さえあった。
人間臭い?と思い、ひとつの仮説を思いつく。
人間離れした外見の者が少なくない以上、発声のための器官をもたぬ個体も少なくないのではないか。
あるいは、言語という概念を持ち合わせていない者だっているのではなかろうか。
であれば、ミツキと同じ境遇でも、兵士たちの話す言語を理解する者とそうでない者が混在しているのにも納得できる。
そして、一部の者に限るとはいえ、言葉が通じるということは、今後協力して状況を打開することだってできるかもしれないのだ。
試しに、先程言葉を聞いて身をよじった右隣の同乗者に話しかけてみようと考え、相手の顔を窺うために小さく身を乗り出して首を捻る。
蛇のような目が左右に三つずつ並び、ぽっかりと開いた口の中に棘のような歯が螺旋状に並んだ、凶悪な容貌のモンスターだった。
ローブの袖から覗く指は枯れ木のように細いが、爪は錐のように尖っており、それをカシャカシャとせわしなく動かしている。
「……絶対無理」
早々に意思の疎通を諦めたミツキは、他の同乗者を刺激しないよう、馬車から解放されるまでの時間、身を固くして耐え続けた。
出発から、体感にして一時間弱程で馬車は停止し、ミツキたちは兵士に促され降車した。
そこは郊外らしき広場で、遠方に灰色の建物が立ち並ぶ街を臨むことができた。
そして街とは反対方向、ミツキたちの目の前には全高数十メートルの壁がそびえている。
壁面のところどころには窓があり、地上と接するあたりに金属製の扉が設けてあることから、ただの壁ではなく高層建築物だろうと察せられた。
一瞬、別の監獄に移されただけではないかと思い失望しかけるが、よく見ると壁面に細かなレリーフが刻まれており、刑務所に類する施設には相応しくない華やかさに見えた。
それに、収監先が変わるだけならむしろ運が良いのかもしれない。
独房から出される際、兵士は「殺戮ショー」などと不穏なセリフを口にした。
よもや、自分と同じく馬車で連れて来られた者たちと、殺し合いでもさせられるのではなかろうか。
そんな想像を膨らませたミツキは、同乗者らの怪物じみた面相を思い出し、おもわず身震いした。
勝てる気が、しない。
兵士らに誘導され、壁に見えた建物の入り口を潜ったミツキらは、長い長い廊下を進んでいった。
外壁と異なり、廊下の壁には飾り気がなく、やはり監獄なのだろうかとミツキは不安を覚えた。
やがて廊下の突き当りに鉄製の扉が姿を現し、先導していた兵士たちが二人がかりで押すと、軋むような音を響かせながらゆっくりと開いた。
扉の奥は三十畳ほどの開けた空間で、奥にガラスの代わりに鉄格子の嵌められた大きな窓があるのと、右手側にドアが設置されているのを除けば、壁も床も天井も一面白く塗られた、家具や調度品の類も見当たらない殺風景な部屋だった。
ただし、室内にはミツキたちより先に到着していたらしきローブの集団がひしめいており、手持無沙汰な様子で佇む彼らの周囲には、やはり数人の兵士が目を光らせている。
室内の様子に虚を衝かれ、入口付近で立ち止まったミツキらは、案内の兵士らに追い立てられるように部屋へと入った。
皆が入室すると兵士らは壁際に移動して直立の姿勢をとった。
おそらく、自分たちがトラブルを起こさないよう見張るのだろうと察し、馬車に乗る前広場で見た屍の山を思い出す。
騒ぎを起こした場合、兵士たちは一切の容赦なくミツキたちに武器を振るうだろう。
他の連中も、こうして無事にこの場へ連れて来られている時点で、そのことは理解しているはずだ。
それでも、万が一のトラブルを避けるため、ミツキはできるだけ他の者たちとは距離を開けるようつとめた。
周囲に警戒しつつ、部屋の奥にある鉄格子の嵌った大窓に視線を向ける。
外は高い壁に囲まれただだっ広い広場で、壁の上には階段のような構造物が臼状に広場を囲んでいる。
「野球場みたいだな」
おもわず呟いたが、武装した兵士や奴隷のような身なりの者らを意識するなら、スポーツスタジアムというより闘技場として使われるのではないかと思い至り、背筋に悪寒が走る。
搬送用の馬車から降ろされた際の予想は正解だったのかもしれない。
ミツキが今後を予想して青褪めている間にも、部屋には後続のローブの集団が追加されていた。
「これで最後だ」
兵士が同僚へ伝達した言葉に、ミツキはギクリと体を強張らせた。
集団の移送が完了したということは、遂に何事かさせられるということか。
あるいは、問答無用で広場へ引き立てられ、処刑されるのだろうか。
「注目!」
部屋の入り口前に立つ兵士が大声を上げ、ローブの集団は一斉にそちらへ視線を向けた。
よく見ると兜の飾りが他の兵士たちと微妙に違う。
おそらくは、ここにいる兵士たちの中で最も階級が上なのだろうとミツキは予想した。
「これより、貴様らには奥の窓から見える広場にて魔獣と戦ってもらう! 当然だが、負ければ食い殺される! ただし、勝利した者には監獄からの解放を約束しよう」
ローブの集団がどよめき、何人かが悲鳴を上げた。
一方のミツキは、兵士の言葉が予想の範疇だったこともあり、自分でも意外なほど動揺していなかった。
ローブの集団の中で殺し合いをさせるのではと思ったのが、別の相手を用意されていたというだけの話だ。
しかし、新たな疑問も生じた。
魔獣とは何だ?