第二節 『馬車』
ミツキらの乗る馬車の内部は、かつて監獄から闘技場へと移送された際に乗せられた馬車と同じような構造だった。
すなわち、長方形の室内の壁際にベンチが設置されており、乗車した者は両側の壁を背に向かい合うように座ることとなる。
ひとつ異なるのは、車内中央に長方形の簡素なテーブルが設えてある点ぐらいだった。
車内は狭く身動きが取り辛いうえ、ベンチは木の板なので、数時間も乗れば耐え難いほど尻が痛くなる。
まして、道の舗装状態は現代とは比べるべくもないため、走行中の揺れは想像を絶する。
都から転移塔までの拷問のような乗車体験を回想したミツキは、目的地までの道のりを想像し俯きながら頭を抱えた。
「ミツキ様は顔色が優れませんが、嘔吐されるのであれば早めにお申し出くださいませ。この狭い車内に吐き散らされては、戦場へ到着する前に地獄を見るはめになりますので」
「え?」
その声に驚いたミツキが視線を上げると、扉に近い位置にアリアが座っているのを発見した。
奥まった場所に座るミツキとの間にトリヴィアの巨躯を挟んでいるため、馬車が動き出してからも声を掛けられるまで、その存在に気付かなかった。
「なんでこっちに乗っているんだ? 転移塔まではレミリスと一緒の馬車だっただろ」
「私としてもこちらの馬車に乗るのは、甚だ不本意でございました。よもやこれ程狭くて揺れるとは……さすがは囚人護送車を改造して設えた車体といったところでございましょうか。拷問の如き乗り心地には、護送の時点で刑は始まっているという囚人への強い戒めが込められているのだと痛感する次第でございます。うっぷ!」
青褪めつつ口を押さえたアリアを見て、トリヴィアが慌てて距離を空ける。
その巨体に押されたミツキは、車内前方の壁に押し付けられ顔を歪めた。
「自分の方が吐きそうじゃないか。つか、囚人の護送車だったのかよこの馬車」
「故あってそのような仕儀になったと伺っております。それよりも、私がこちらの馬車へ乗り込んだのは、今後についてお話しさせていただくためでございます」
そう言うと、アリアは傍らに置いた雑嚢から折り畳まれた紙を取り出しテーブルの上に広げた。
「これは、地図か?」
「我々が移動中の第十七副王領アタラティアの地図でございます。現在は南部森林地帯の転移塔から続く道を走行中で、このままの速度で北北東に四日ほど進めば首都ローミネスに到着いたしますものの、我々が向かうのは西北西の国境付近に敷かれたアタラティア軍本陣でございます。到着までには三日ほどを要するとのことでございます」
三日と聞いてミツキの口元が引き攣る。到着まで尻がもつのか、自信がなかった。
「さて、皆様にはこの度の戦について、出立前に簡単な説明をさせていただきましたが、ここであらためて詳細な情報をお伝えいたします」
「その前にひとついいか?」
サクヤが口を挟んだ。
「何でございましょう?」
「この地図の黒く塗り潰された部分は何だ? 海ではないようだが」
「そこは闇地でございます」
聞き覚えの無い単語に、一同は互いの顔を見合わせた。
ただ、ミツキだけは、以前その言葉を耳にした記憶があった。
確か、イリスとの会話の中で、囚人たちが開拓のために送られた場所と説明されたはずだ。
「皆様ご存じないようですが、この度起こった隣国からの侵略行為について語るうえで欠かせぬ知識ゆえ、詳しく説明させていただきます。闇地とは、人類の未踏領域にして魔獣の生息域のことでございます。大陸の三分の二程度の土地を占めると言われております」
陸地の半分以上が人でなく魔獣の活動域だということにミツキは驚いたが、魔法を用いたオーバーテクノロジーはともかく、文明そのものは前近代的な世界なのだから、そんなものなのかもしれないと思い直す。
「人類の生活領域を広げるためには闇地を開拓しなければなりません。また、闇地は放置することで自然とその版図を拡張いたしますので、開拓が難しくとも境界域の管理は必須とされております」
「その管理とやらは国が担っているのか?」
「左様でございます。ただし我が国においては、各副王領が領地と接する闇地の管理を国から課せられております」
地図を見る限りでは、第十七副王領とやらの北から西にかけて、広く闇地が広がっている。
この全域を管理するというのは、財政的になかなかの負担なのではないか。
そんなミツキの想像を見抜いたように、アリアは言葉を継いだ。
「闇地の拡張を防ぐだけであれば、結界魔法の維持のみで済むため、領国にとってもさしたる負担にはなりません。まして、放っておけば領土を侵食される恐れがある以上、副王領が境界線の維持を疎かにするということはまずありえません。一方で、闇地には希少な資源が多く埋蔵されているため開拓と入植には大きなメリットがございますものの、その利を超える多大なリスクを伴うがゆえに、多くの副王領が手をこまねいているのが現状でございます」
「リスク? 入植者が魔獣に襲われる危険性のことか?」
「いいえ。確かに魔獣は危険ではありますが、専門的な知識と攻撃魔法の心得がある集団であれば、低深域に生息する魔獣を退けることは可能でございます。リスクとは、開拓の反動で起こる闇地の〝越流〟のことでございます」
「越流? 溢れるって意味の?」
「はい。闇地に生息する魔獣は、深部に生息する種ほど高い戦闘能力を有すると考えられております。人が闇地の低深域を開拓すれば、そこに生息する魔獣たちは住処を追われることになるわけですが、闇地の奥への移動が己より格上の魔獣との生存競争を意味する以上、新たな生活圏を闇地の深部ではなく外へと求める場合が多いのです」
「なるほど。要するに開拓によって住処を追われた魔獣たちが人里へ移動することを〝越流〟と呼ぶわけか」
そういう現象は、自分の世界にもあったなとミツキは思う。
人が山や森林を切り開いたため、野生動物が人里へ降りてくるという話は、日本では珍しくない。
クマやイノシシが人に危害を加えて猟友会に射殺されるようなケースも、アリアの話を彷彿とさせる。
ただ、闘技場で自分たちが戦わされた化け物が現れると考えれば、その被害は比較するべくもないだろう。
「闇地とは魔獣の活動領域にして人の生活に適さぬ土地の総称でございますので、人里へ降りた魔獣がその土地に居着き、人が住めなくなれば、そこはもう新たな闇地ということになります。開拓したはずが、かえって闇地の領域を拡げてしまうということもあり得るわけでございます」
「先程、境界に結界魔法を張っていると言っていたが?」
「魔獣の越境を物理的に遮るものではございません。件の結界は、人に対しては、効果領域へ踏み入ることで嘔吐感と倦怠感、精神不安を引き起こし、魔獣にも同様の効果を発揮すると考えられております。しかし、平時なら忌避する結界も、生命の危機であれば、押し通るのは当然でございましょう」
「より強力な結界はないのか?」
「ございます。ただし、広域への使用及び効果の長期的な維持を望めません。現在運用されている結界が、闇地との境界の管理には最適とされております」
「あくまで平常時に有効なのであって、越流には効果が薄いってことか。それじゃあ、開拓ってのはできないんじゃないか?」
「いいえ。開拓地の魔獣を根絶するという方法によって越流を防ぐことは可能とされております。ただし、軍が開拓に携わることは滅多にございません。魔獣との戦闘は確実に兵を損耗するからでございます。それゆえ、正規兵ではなく囚人兵を投入するケースがほとんどであると聞き及んでおります。あるいは、土地や資源を目当てに、民間の入植者が開拓に乗り出すという事例も増えているようですが、いずれにせよ越流防止のため開拓者には多くの禁則事項と、違反に対する重い罰則が定められております」
そういえば、とミツキは思い出した。都の監獄に収監されていた囚人たちも開拓兵団として闇地に送られたのだとイリスたちが言っていたはずだ。
そして、今自分たちが乗っている馬車は、囚人護送車を改造したものだという。
もしかしたら、都の囚人たちはこのアタラティアに送られたのではないのか。
そんなことを考えつつ地図を見ていて、ふと気が付いた。
「なあ、この副王領は隣国からの侵略を受けているんだよな?」
「はい」
「でも、北と西には闇地が広がっているし、南と東は別の副王領と接している。隣国と接する国境がないのに、どこから侵略を受けているんだ?」
ミツキの質問を受け、アリアが地図上の副王領西部を指差す。
ちょうど闇地の真上だった。
「この部分、余所に比べると、闇地の領域が極端に狭くなっているのがお分かりいただけますでしょう。北部大闇地帯と西域の高闇地帯の接合地点でございます」
「そこを踏破してきたと?」
「いいえ。地図上では狭く見えますが、それでも最短部で三十レフィア程の距離がございます。この広さの闇地最深部に生息する魔獣は、個体にもよりますが、だいたい一頭でティファニア軍の中隊に相当する戦力と言われております。魔獣は人を嫌いますので戦闘を避けることは難しく、仮に踏破できたとしても、継戦能力は失われることとなりましょう」
レフィアというのは距離の単位だろうか。
そもそも、この地図の縮尺さえわからない。
戦争をするのに、これはまずくないだろうかと、ミツキは内心焦りを覚える。
「ただし、この闇地の狭窄地帯には、〝道の祝福者〟によって四本の街道が敷かれております」
「道の祝福者?」
「はい。かつて百年程を費やして大陸中を巡り、各地に数百もの街道を築いたと語り継がれる伝説的な魔導士でございます。闇地の深部さえ貫く強力な結界が五百年もの間機能していることから、その御業は現代の魔道の常識を遥かに超越しており、一説では異界からの来訪者であると言われております」
アリアの言葉を聞き、ミツキとサクヤの視線が一瞬交わる。
自分たち以外にも、異世界からの召喚者がいたということだろうか。
それも、五百年も前に。
それとも、ただの迷信に過ぎないのか。
「つまりその街道を通って進行してくると? なら街道を破壊してしまえば済む話ではないか」
サクヤの指摘に、アリアは小さく首を振る。
「できない理由が二つございます。まず、先程も申し上げたように、極めて強力な結界に守られておりますゆえ、街道を破壊するには一級の広域殲滅魔法を使用し、地形ごと消滅させる以外に方法がございません。しかし、その方法では確実に大規模な〝越流〟を招くこととなります」
「隣国の侵攻を食い止められたとしても、魔獣を相手にしなければならなくなるわけか。溢れた魔獣では数も行動も読めない分、むしろ厄介かもしれんな」
「第二に、街道の破壊は闇地向こうの領土との断絶を意味します」
「なに? この狭窄地帯が国境ではないのか?」
「はい。街道合流地点の西側に広がる盆地までがティファニア領土で、その西端付近、両側から闇地に挟まれるように建てられている砦が、隣国ブシュロネアとの国境となります。盆地の周囲はなだらかな山岳の闇地となっておりますが、その境界付近には無数の開拓村が点在しております」
「開拓村だと? 先程越流の危険性について――」
何かに気付いたサクヤは途中で言葉を止めた。
「そうか。狭窄地帯が壁となっている以上、越流が起きるのは街道の向こう側。開拓村が外周に沿って建てられているのであれば、魔獣の移動場所は盆地内の平野か、もしくは」
「ブシュロネア領土でございます」
それは、隣国が一方的に割を食うのではないか。
ミツキはようやく話が核心に近付いてきたのを感じた。
「盆地はそれなりに広大ながら遮蔽物の無い草地ゆえ、魔獣が入り込んだところで砦に駐留する国境警備の兵団が遠距離魔法で定期的に駆除すれば被害を出すことはございません。また、魔獣除けの結界が張られている以上、街道を通って狭窄地のこちら側に魔獣が入り込むこともございません。つまり、アタラティアは越流による危険性を隣国にのみ押し付け、闇地を開拓し、そこから得た資源を街道経由で得ることができていたわけでございます」
越流のリスクを押し付けられた隣国にしてみればたまったものではないだろう。
いや、それ以前に、ブシュロネアからすれば国を隔てるはずの闇地の内側に隣国であるティファニアの領地があること自体、脅威なはずだ。
もし戦争にでもなれば、国境の砦と盆地はティファニアにとって橋頭堡となるのは明白だ。
「だが砦は落とされ、隣国は街道を通ってこちらに進軍してきているというわけか。下手をすれば立場が逆転するな」
「アタラティアの首都ローミネスは、開拓地から運ばれる資源の中継地として栄えております。ここを占領されるようなことになれば、ティファニアの被る経済的な打撃は計り知れません」
「隣国の国力は如何程?」
「国土は我が国副王領の平均の二倍強といったところでございます。周囲を闇地に囲まれているため、他国との繋がりは乏しく、国の北から隣国へ延びる街道と、海路を利用した貿易を細々と続けている程度と聞き及んでおります。我が国を除けば地理的に他国と紛争を起こす機会がないため、軍事力はティファニアと比べるべくもありません。ただ、南方の海から得られる塩と海産物を除けば資源に乏しいため、国の周囲を囲む闇地の開拓を盛んに行っており、対魔獣戦の専門家を一定数揃えていると予想されます」
アリアの説明を聞き、ミツキは心に引っ掛かるものを覚えた。
確か、イリスは二十四副王領と言っていたはずだ。
つまり、この国は王領を含めて二十五の地域に分けられることになる。
ブシュロネアの国土が副王領の平均の二倍強であるなら、概算でティファニアの十二分の一の領土しか持たないことになる。
しかも、決して裕福でなく、軍も精強とは言えないうえ、他国との繋がりもほとんどないという。
この世界の詳しい事情はわからないが、それにしても、ブシュロネアがティファニアに戦争を仕掛けたところで勝てる要素など皆無ではないかと思える。
ティファニアの闇地開拓による被害の件が腹に据えかねていたとしても、なぜ無謀な戦など仕掛けたのだろうか。
あるいは、何か裏があるのではないかと、ミツキは不吉な予感を覚えた。
「なるほど。だいたいわかった」
ミツキの心中とは裏腹に、サクヤはあっさりと会話を切り上げ、机に乗り出していた身を背後の壁に預けて目を閉じた。
「戦況についてはよろしいので?」
「おまえの情報は二日前で止まっているのだろう? 戦争というのは水物だ。我々が都を発って二日、さらに到着まで三日、敵軍の動きはもちろん自軍の対応も変化している可能性が高い。それに、どうせ現場に行かねばわからんことの方が多いだろう。であれば、今は体力の温存こそ優先させるべきだ」
そう言うとすぐに寝息を立て始めた。
その顔を見つめながら、こいつのことだ、とミツキは推測する。
これ以上の情報は、現場で知識を得る楽しみを半減させるとでも考えたのだろう。
「ミツキ様もお休みになられますか?」
「……そうだな」
隣のトリヴィアは、話の途中から船を漕ぎ始め、今はミツキに寄り掛かっている。
重いうえに、側頭部の角が頭に当たって痛い。
オメガに至っては、組んだ腕の間に鼻先を突っ込み、毛玉のような状態で熟睡している。
とても死地へ向かっているとは思えぬ寛ぎ様だった。
「オレも眠れたら、眠る」
そう言って瞼を閉じたミツキだが、振動とトリヴィアの重みと尻の痛みで、数時間は眠ることができなかった。




