第十三節 『姉弟』
木製の椅子とテーブル、部屋の隅に観葉植物だけが置かれた、さっぱりとした内装の応接室へ通されたミツキは、テーブルを挟んで自分を襲った兄弟の姉だという二十代半ば程の女と相対していた。
女は太腿の露出したタイダイ染めの赤い巻きスカートにゆったりとしたベージュのチュニックを着て髪はアップにしている。
鼻筋が通り目は二重まぶた、太めの眉が吊り上がった勝気そうな美女で、アリアやレミリスのような感情の起伏が乏しいタイプとは対照的な印象を受ける。
イリス・ゾラと名乗った女は、胡散臭そうな眼でしばらくの間ミツキを見つめた後、盛大にため息をついて頭を掻いた。
「確かにうちは広く浅くをモットーにいろんな商品を扱ってるから、あんたの要望には応えられるとは思うよ?」
そこで一度言葉を切り、ミツキを睨み付ける。
「でもさ、弟たちがこんな風にされた相手に、どうしてものを売る義理があると思うのさ?」
そう言って横を見る。
視線の先には顔を腫らしたボロスとタイロス兄弟が身を縮ませるようにして座っている。
「治療費なら払う。慰謝料も上乗せして」
「そういう問題じゃないだろ!」
机を叩く女をミツキはじっと見つめた。
イリスも口を引き結んで視線を受け止めている。
ミツキは小さく嘆息すると、おもむろに左手の袖へ右手を突っ込んだ。
警戒したイリスが僅かに身を引き、兄弟が腰を浮かしかける。
それ以上姉弟を警戒させないよう、ゆっくりと袖から手を引き抜き、取り出したものを卓上に置いた。
「ナイフ?」
イリスが眉をひそめた。
「なにさ、それでケジメでも付けようってのかい?」
彼女の言う〝ケジメ〟というのは、要するにヤクザの指詰めのようなものではないかとミツキは推測した。
こちらにもそんな風習があるのかと軽く驚きつつ、やや声を低めて切り出した。
「そいつはあんたの弟の持ち物だ」
ミツキの言葉に、イリスが息を呑んだ。
「あんたの弟は、物資を仕入れに街へやって来ただけのオレを集団で取り囲んだうえ、そいつを突き付け袖の中身を出せと脅してきた。袖の中に入っているのはオレと仲間が生きるのに必要な金だ。くれてやるわけにはいかないので二、三人張り倒して逃げたんだが、そいつとそいつの仲間は武器を手に追いかけて来た。むざむざ殺されてやるつもりはないので、仕方なく死なない程度に痛めつけた。家族に怪我させられたんだから怒るのも無理はないけど、非は全面的にあんたの弟にあると思うぞ?」
イリスの首から頬までが朱に染まっていく。
歯を食いしばった怒りの表情で立ち上がると、弟の方へ歩いて行く。
「あんた、集団で囲んだうえ刃物なんて振り回したのかい?」
必死に感情を抑えようとしているかのような姉の低い声に、ボロスはたじろぎつつも弁明を試みる。
「誤解だよ姉ちゃん! ナイフはただの脅しで刺そうとかこれっぽっちも思ってなかったし、金を巻き上げようなんて――」
言い終わる前に、イリスの平手が末弟の右頬を張っていた。
さらに、振り抜いた平手を勢いよく戻し、手の甲で左の頬も打つ。
「こぉのバカガキが! 不良同士でやんちゃやる分には目をつぶるし、外の人間に多少粋がるぐらいなら大目に見てたけど、卑劣な真似して人さまのもん分捕ろうなんてクズのやることだよ! そんな道理もわきまえないくせに、お山の大将気取って恥ずかしくないのかい!? 私は情けなくて泣きたいよ!」
ボロスは腫れあがった顔を更に殴打され、痛みと恐怖に頭を抱えている。
そんな弟を怒鳴るイリスは、弟の行為が余程腹に据えかねたのか、再び手を振り上げている。
見かねたタイロスが、弟を庇うように身を乗り出し、姉を宥める。
「そのぐらいで勘弁してやってくれよ姉ちゃん! ボロスはそいつが怪しかったから袖の中のもんを出させようとしただけなんだって! 方法はまずかったとしても、街のことを考えてやったことだし許してやってくれよ!」
見た目にそぐわない、情けない声で訴える上の弟の頬をイリスは容赦なく平手で打った。
「集団で囲んで凶器を突き付けるなんて、誰がどう考えても悪党のやり口じゃないか! 持ち物を検めるつもりでも、相手は追い剥ぎだと思うに決まってんだろ! たったひとり相手に多人数で脅すような真似した時点で、後から何言ったって正当化できるもんか! それと、そんな弟を止めるどころか、ろくに事情も聞かず相手に襲いかかったあんたも同罪だよ! 自警団のリーダーだの地下拳闘の帝王だの、兄弟そろってご大層な看板掲げて調子に乗った挙句がこれかい! 死んだ母さんが今のあんたたちを見たらどう思うだろうね!」
怒り心頭の姉に容赦なく罵声を浴びせられ、弟に続いて、兄もうな垂れてしまう。
イリスは最後にもう一発づつ弟たちの頭へ拳骨を食らわせると、息を切らしながらミツキの方へ歩み寄り、跪いた。
「あんたの言った通り、完全にこちらが悪かったようだね……私のことは好きにしてくれて構わないから、どうか弟たちは――」
「待て待て、何言ってんだ。オレは傷のひとつも負っちゃいないし、もう何とも思ってない。終わったことをこれ以上引っ張るつもりなんてないんだ。ただ買い物がしたいだけ。つか、そんなこと言われたら、逆にこっちが悪モノみたいだから、ほんとに止めて」
そう言われて顔を上げた女は、ミツキの顔をしげしげと見ると、複雑そうな表情を浮かべて立ち上がった。
「変わった男だね。私をどうこうする気が無くても、買い物するつもりなら値切るのに利用するとか、いろいろやりようはあるだろうに」
「取り引きってのは互いの信頼が大切だろ? 弱みを盾に値段交渉なんて禍根を残すような真似したら、信用は得られないんじゃないか? その場限りの買い物であればそれでもいいけど、オレが望んでいるのは中長期的な物資の供給だからさ」
「ふぅん、ちゃんと考えたうえってわけかい。まあ、納得したよ」
女は再びミツキと対面に座る。
「で、欲しいのが、食料、衣類、家具に生活必需品、それと武器だったかい?」
「そう。食料については定期的に仕入れたい。できれば届けてもらえると助かる。それと服と武器については、サイズとか、けっこう細かい注文になると思う」
女が思案顔になる。
「届けるって言っても、私たちじゃ市民区には入れないから、運べるのは城壁の門前までになるよ?」
「問題ない。というか、オレらが滞在しているのは城壁の側壁塔だから、正確には北門前にある林への入り口で受け取りってことになるだろう」
「側壁塔? なんでそんな場所に……あそこは軍の管轄で、基本的に兵士以外は立ち入りを禁止されているはずだよ? やっぱりあんた軍人かい?」
〝やっぱり〟ということは、そのように予想していたということか。
荒事に慣れたスラムの悪ガキたちを無傷で退けたことを鑑みれば、その推測が妥当なところだろうとミツキは思う。
「軍属じゃないけど、軍人に管理されているってところだ。オレもどこまで話していいのかわからないから、あまり突っ込んだことは聞かないでくれ」
「まあ、いいけどさ。こっちは貰えるもんさえ貰えるなら、相手が誰だろうと商売させてもらうよ。で、肝心のコレは不足なく支払えるんだろうね?」
そう言って中指と親指の腹を擦ってみせる。
何の真似かと一瞬戸惑うが、〝金〟のことだとすぐに思い至った。
自分のいた世界における欧米のジェスチャーによく似ている。
ミツキは袖に手を入れると布袋を取り出し、中身をテーブルにぶちまけた。
未だ具体的な金額を聞いていないが、そもそもミツキにはこの世界のモノの相場も貨幣価値もわからない。
まずは手持ちの銀貨を見せて反応を窺うつもりだった。
「これで足りるだろ?」
目の前にある鈍色の輝きに、イリスが息を呑んだ。
横目で兄弟を窺えば、目を輝かせながら卓上を覗き込もうと腰を浮かせている。
「シリー銀貨だね。こんなもの持って非市民区に入るとか正気かい? そりゃ襲われたって仕方ないよ」
「どういう意味だ?」
「市民区でしか流通していない高品位の銀貨ってこと。非市民区でも銀貨は使われるけど、シリー銀貨とは銀の含有量が倍以上違う」
「同じ国の中なのに上流と下流の生活地区で通貨を分けているのか? どうなってんだこの国の貨幣制度は」
「別に難しい話じゃないさ。上の方々は、下賤な人間の触れた金なんて触りたくないってだけのことなのよ」
自嘲するような口調で語られた説明を、ミツキはあえて聞き流す。
面倒な事情があるようだが、深入りするつもりはない。
今は自分たちのことでいっぱいいっぱいなのだ。
「まあ、使えないってんなら仕方ない。いったん戻って出直してくる」
そう言って伸ばされたミツキの手よりも先に、イリスの手が銀貨の山を自分の方へと掻き寄せた。
「勘違いしないどくれ。触りたくないのはあくまで市民以上の皆さんのお話しさね。下賤な私たちにとっちゃ誰が触れたかなんてどうだっていい。というか、シリー銀貨は品質以上に信用度も高くて、こっちの銀貨とはレートが桁違い。使えないどころか大歓迎なのよ」
「だったら最初からそう言ってくれ」
ミツキは安堵の溜息を漏らす。
右も左もわからない現状では、買い物するのも一苦労だ。
「でも、本当に何なんだい? 普通は……いや、詮索はしないと言ったばかりだったね。こっちとしちゃ大口の取引先と切れたおかげでかつかつなんだ。小口でも金払いの良い客は大歓迎だよ」
姉の言葉を聞き、うな垂れていたボロスが口を挟んだ。
「商売だけじゃねえよ。そのおかげで街の治安は悪くなる一方だ。だから、オレら自警団が目を光らせなきゃならなくなったのさ。そう考えりゃ、今回のことだって、国が監獄を閉鎖したのが原因みてえなもんじゃねえか」
「今回の件は、あんたが考え無しにこの人に絡んだのが原因だろ!? まだ反省してないのかい!?」
姉に睨まれ、末の弟は再び身を縮ませた。
一方、ミツキはボロスの言い訳のようなセリフを聞き、心に引っ掛かるものを覚えた。
「今、監獄って言ったか?」
ミツキの問いに、弟を睨み付けていたイリスが応じる。
「ああ、ティファニア王都東側の城壁外には巨大な監獄があってね。私らはそこに食料を卸してたんだけど、四ヶ月ほど前に囚人が居なくなって取引も打ち切られたのさ」
「囚人が居なくなった?〝巨大な監獄〟なのにか?」
「あんた本当に何も知らないんだね。第一王子の発案で、収監されている重犯罪人は開拓兵団として闇地へ送られることになったんだよ。すっからかんになった監獄は閉鎖。各地区の拘留所は満杯で機能せず、街の治安は悪化したうえ私の商売も上がったりってわけ」
囚人の消えた監獄と聞き、ミツキはもしやと思う。
〝開拓兵団〟だの〝闇地〟だの、初めて聞く言葉は無視して言葉を継いだ。
「その監獄について、詳しく聞きたいんだが」
「おかしなことに興味を持つね。まあ、あんたはどうもこの国の事情に疎いようだから無理もないか。城壁外とはいえ、王家のお膝元にでっかい監獄があるなんて、ちょっと変だと思うかもね。余所の国のことはよく知らないけど、普通監獄は遠隔地に作るもんなんだろ?」
「そうかもな」
「もう二十年近く前になるかね。当時、非市民街東区があった場所に巨大な監獄の建築が始まったのさ。建設地の住人は強制的に住処を追われ、おまけに監獄には重犯罪者が収監されるってことで、非市民区全体で大規模な暴動が起きたんだ。当時、私は物心ついたばかりだったけど、街中がピリピリして不安だったのをおぼろげに憶えているよ」
そう言えばと、ミツキは思い出した。
初対面の際にレミリスが、非市民区の暴動時に兵士が側壁塔へ詰めていたと言っていたが、おそらくその時のことだろう。
「結局、暴動はひと月ほどで終息し、監獄は約四年で完成。だいたい十五年の間、市民非市民、さらには一部の貴族まで、身分の区別なく犯罪者を収監してきたのさ。地方の罪人まで送られて来ていたらしいけど、そこら辺の詳しい話は知らない。でも、半年ほど前にどういうわけか閉鎖が決まって、罪人はさっき言ったように第一王子の発案で地方の入植と開拓に送られて今に至るってわけ。私のところ以外にも、非市民区には監獄に食品や物資を供給してた業者は多かったから、治安だけじゃなく経済への影響も大きかったね。まあ、上流階級の皆さんには関係のない話なんだろうけどさ」
イリスは皮肉っぽい口調で話を締め括った。
「もうひとつ確認したいんだが、その監獄からやたらと綺麗な螺旋状の尖塔のような建築物は見えないか?」
「王城の水晶宮のことかい? 監獄には入ったことないから、ちょっとわからないね。あれだけ大きな建物なら、上の方の階層なら見えるんじゃないのかい?」
「いや、出入り口付近から見えないか知りたいんだが、無理そうだな」
ミツキが諦めかけたところで、横から声が掛かった。
「それなら、上層への搬入口から見えるはずだ。地上じゃなく監獄を半周する坂を上った四階の高さにあるから、かなり遠くまで見渡せるんだと」
兄弟の兄、タイロスだった。
たしかにこいつらは、監獄に入った経験があってもおかしくない見た目ではあると、ミツキは納得した。
「ちょっとあんた。いつの間に前科持ちになったのさ? 私が奉公に出ている間かい?」
「ちがうよ姉ちゃん。フィルんとこの酒場に入り浸ってるラグムルって爺さんがいるだろ? あの人は以前、あそこの看守をやっていたらしいんだ。酔っぱらうと面白れぇ囚人の話を聞かせてくれるんで何度か奢ってやったことがあるんだが、毎日王城を拝めていたのが誇りだとか言ってたのを思い出したんだ」
タイロスの話を聞き、ミツキは確信した。
自分たちが収監されていたのは、その監獄だ。
数百人規模の召喚対象を入れておける場所など限られているはずなので、まず間違いはあるまい。
しかし、まさか自分たちを入れるためだけに、囚人たちを追い出したのだろうか。
「そういやこの間、監獄の囚人について妙な噂を耳にしたぜ」
ミツキの疑念を読んだかのようなタイミングで、ボロスが口を挟んだ。
「なんでも、開拓兵として都から出た囚人の数が、実際に収監されていた人数とまるで合わないらしいんだ」
「またあんたは、そういうくだらないことを……」
姉の呆れたような言葉を聞いて、末の弟は慌てて言い返す。
「いや、これは本当なんだって。噂の出どころは施設の管理業者で、下水や空調の手入れをするため監獄に出入りしてたらしいんだが、看守とも顔見知りでよく話したんで、自然と施設内の情報に詳しくなったらしい。そいつによると監獄には常時四千人以上が収監されていたらしいんだが、四ヶ月前に施設を出た囚人は千五百人にも満たなかったそうだ。つまり、半分以上の囚人はどこかへ消えたってことになる」
弟に冷ややかな視線を送るイリスと異なり、ミツキはボロスの怪談じみた話を頭から否定する気にはなれなかった。
なにしろ、異世界から召喚されたという数百人が密かに収容されていたのだ。
それ以前に囚人が千人強消えていたところで、何を不思議がることなどあろうか。
そこで、ふと思いついた。
消えた囚人と、独房で出されていた異常に不味い食事、まさか関係などあるまいなと。
「ちょとあんた、顔色が悪いけどどうかしたのかい?」
「なんでもない。それより、余計なことを聞いて時間を取らせた。商談を続けよう」
俯いていたミツキは、不吉な妄想を頭の隅に追いやると、平静を装いながらイリスに向き直った。




