第七十一節 『失望』
ディエビア連邦軍前線司令部に北方方面軍が受けた夜襲の詳細な情報が届けられたのは翌朝のことだった。
ティファニア軍による深夜の襲撃によって戦死した兵は百名以上にのぼった。
そして、襲撃を受けたキャンプ地西側とは反対に位置する東側に天幕を張っていた複数の部隊が行方をくらませていたことが日の出後に判明した。
その兵員の総数は、四百名近いという。
その四百名分の光点が、アキヒトの目の前のディスプレイに映し出されていた。
全員、バイタルは正常だ。
「つまり、夜襲は陽動で、こちらの兵士を捕らえることが真の目的だったのは間違いなさそうだ」
アキヒトは報告にやって来た副官に視線を向け呟いた。
「信じられません。夜襲に掛けられた時間は一時間にも満たないと報告を受けております。襲撃に目が向いていたとはいえ、誰にも気づかれずに四百人を拉致するなど不可能です」
元々、この世界には正確な時刻の概念がなかった。
アキヒトは軍の作戦管理に必要と考え、二十四時制を導入している。
襲撃が行われたのは、午前二時から三時頃。
曇天で星明りもなかったため、兵士の目を欺きやすい状況ではあっただろう。
だからといって、仮に攫われた四百人すべての精神を魔法かなにかで操り、自らの足でティファニアの陣地に向かわせたとしても、誰も気付かなかったというのは非現実的だ。
「こういう真似ができそうな魔法とかはないんですかね?」
「エリズルーイ様のように短転移魔法の使い手であれば、多ければ数十人を連れ去ることは可能かと。しかし、四百となると、まず不可能でしょう。それに、そもそも短転移魔法自体、極めて高度な魔法です。数人を跳ばすだけでも大国の宮廷魔導士レベルの実力者でなければできないと言われております。仮に短転移魔法で拉致したのであれば、エリズルーイ様並みの実力者が複数名いることになります」
「彼女が傑出した魔導士であるということはボクも理解しています。それが複数名というのは、たしかに考え難いですね。となると、今回も異世界人の仕業と判断するのが妥当でしょうか」
「投石者以外にもいるということですか?」
「はい。そもそも夜襲を仕掛けてきたメイド服の二人組ですが、ひとりは顔や手が青い体毛に覆われた獣のような姿で動きが異常に素速かったというのは、心当たりがあります」
以前、ダイアスに潜入していた異世界人の片割れだ。
ひとりはフレデリカが仕留め、体に入れられていた刻印からブリュゴーリュの被召喚者だと判明した。
取り逃がしたひとりには追跡部隊を差し向けていたが、ブリュゴーリュとの国境付近の山中で部隊は消息を絶ち取り逃がしている。
今回の襲撃者の特徴は、その取り逃がした異世界人と合致する。
おそらくはティファニア軍に保護された後、そのままティファニア軍に飼われることとなったのだろう。
投石者に続いてふたりめの異世界人というわけだが、それなら三人めがいたとしても不思議ではないだろう。
「しかし、なぜ拉致なのでしょう。陽動で背後を突けたのであれば、拉致などという回りくどい真似をせず、殲滅魔法でより大きな打撃を与えることもできたのではありませんか?」
「それについては理由を推測できます。というか、昨日の時点でもしやとは思っていたのですが、おかげで確信が持てました」
「は、と言われますと?」
「こちらが味方に野戦砲を撃ち込まないということが、敵にバレたのでしょう」
アキヒトは、昨日のある時間帯から、南方方面の塹壕に突入した自軍の兵士が妙な動きをしているのに気付いていた。
敵陣深くに侵入しながらも、ひとところに留まったり、引き返したりと、塹壕を突破する意志がないように動き回っている。
しかも、自軍からの通信には、一切応じない。
最初は通信機を失くしたと考えられたが、ひとり残らずというのはさすがになんらかの異常事態なのは間違いなかった。
敵がなんらかの方法で通信を妨害している可能性もあったが、それだけでは動きの説明がつかない。
そこで思いついたのが、敵に捕らわれた後、連れ回されているという仮説だった。
なぜそんなことをするのかといえば、火砲除け以外に理由は考えられない。
「野戦砲から味方を守るための処置が、かえってアダになりましたね。体内のIDキューブが砲弾を避けるのに必要というのは分隊長以上には知らせてある情報です。生体反応が消失した時点で、キューブの機能が停止するというのも同様です。おそらくですが、北方方面の塹壕に侵入した兵が捕らえられ尋問を受け、あるいは拷問かもしれませんが、とにかく口を割ったのでしょう。南方方面にもその情報がもたらされたものの、投石でこちらの侵攻を防いでおり捕虜は得られず、それで夜襲をかけて攫ったというわけです」
副官はアキヒトの推測を聞くと、口を押さえて考え込む。
「どうしましたか?」
アキヒトに問われ、副官はおずおずと答える。
「あの、これは勝機ではありませんか?」
その言葉を聞いて、アキヒトは表情を失くす。
副官の言いたいことは、アキヒトにも理解できた。
捕虜となった自軍の兵の集まっているところには、敵も集まっているということだ。
だから、犠牲を承知で捕虜目掛けて火砲を撃ち込めば、敵に大打撃を与えることができる。
「……捕虜になった味方の兵を標的にしろと?」
「このまま戦闘を続けるよりも、その方が犠牲は少なく済むかと思われますが」
ああこれだ、とアキヒトは思う。
この世界では人の命が軽すぎる。
革命で身分制度は廃せても、人々の価値観まではそう簡単に変えることなどできなかった。
そして、この世界の人間との価値観のズレを実感するたびに、アキヒトの心に失望が広がっていった。
ヒカリにすら語ったことはないが、心の片隅では幾度も思っていた。
己はなぜ、こんな野卑で道徳心のない連中のために命を懸けているのだ。
これまで散っていった被召喚者たちの死には本当に意味があったのだろうか。
黙り込んだアキヒトの心中など知らずに、副官は続ける。
「おそらく、昨夜の気温の低下により、塹壕内の敵の消耗はピークに達しているはずです。今畳みかけるためにも――」
「必要ありません」
アキヒトの語気の強さに、副官の男は怯んだような顔になり口を噤む。
「後方で準備を進めている魔導兵器が使えるようになれば、戦いはすぐに終わります。今、兵を犠牲にしてまで攻めたところでメリットはありません。それでも、これまで攻撃を続けてきたのは、敵にこちらの本気を疑われないためでした。半端に攻めれば時間稼ぎをしているのだと悟られ、こちらが切り札の準備をしていると気付かれれば、なりふり構わず攻勢に出られ、後方の本陣まで攻め入られる可能性があったからです。しかし、敵が捕虜を盾にするならば、こちらとしては攻めないための口実ができます。今日は捕虜の居ない場所への威嚇射撃のみ行い、銃兵による進撃は行いません。それでティファニア側も、捕虜を盾にしているのが露見したと悟り、こちらが攻撃の手を緩めても疑問には思わないはずです。わかったら両軍の指揮官にそう伝えてください」
「は、はっ! 承知いたしました」
副官は敬礼すると、アキヒトの前からそそくさと立ち去った。
その背を見送りながらアキヒトは思考する。
これであとは、ディマからの連絡を待つだけだ。
こちらが攻めあぐねたところで、塹壕から出て攻め寄せて来るほど、敵は愚かではない。
唯一気がかりなのは、南方方面にいるらしい複数の異世界人の存在だが、投石を行っている個体は迎撃のため釘付けとなっているし、他の者にしても、この戦局を覆せる力があるならとっくに動いているだろう。
それに、魔導兵器の準備を任せたディマは、優秀だがその分プライドと自己顕示欲が非常に強い性格だ。
己の有能さを示すため、今頃整備は急ピッチで進められているに違いない。
おそらく、明日か明後日にでも魔導兵器の準備を終えるのではないかとアキヒトは予想している。
「つまり、もう少し待つだけで、この戦を終えることができる」
椅子に身を沈めたアキヒトは、戦の終局を感じ取り、深い溜息をついた。




