第七十節 『好奇心』
ディエビア連邦軍キャンプ地の、アリアとテトが夜襲を始めた場所からやや離れた位置にある天幕内で、騒ぎを聞きつけた兵士たちが寝床から起き始めていた。
「おいおい、ヤバいんじゃないのかこれ?」
天幕の入り口から外を覗いていたひとりの兵士が、不安げに振り返る。
「どうする? オレたちも加勢に向かうか?」
「バカ言え。なんでわざわざテメエから死地に飛び込まなきゃならねえんだ?」
「で、でもよ、味方が戦ってるんだぜ?」
仲間の言葉に、加勢に反対した兵士が舌打ちをする。
「味方だと? 本気で言ってんのか?」
「え? な、なんだよ……なんか間違ったこと言ったか?」
戸惑った反応を見せる仲間に、その兵士は呆れ顔で答える。
「あのなあ、オレは起きてまず敵の情報を通信で確認したんだよ。襲撃者は塹壕側から現れ、今もそこいらで交戦中なんだとよ」
「まあ、こっからだと離れてるってのは、聞こえてくる音からもなんとなくわかるよ。で、それがさっき言ったこととなんの関係が?」
「だからぁ、あっち側に天幕張ってんのは、元奴隷出身の部隊ばかりだろうがよ。おまえら命張って奴らを助けに行くのか?」
男の説明を聴いていた周囲の兵士たちは、ようやく合点がいったとでも言うように、何度も小さく首肯する。
「ああ、そういうことか。そりゃたしかにおまえの言う通りだわ」
「そうそう、うちは〝元〟とはいえ貴族出身者で構成された隊だ。奴隷共がオレ等の盾になるのは当然だっつう話だぜ、なあ」
男が周りの仲間たちを見回すと、誰もがニヤケづらで同意した。
「ほう、おまえらの国は革命を経て階級制度を廃止したと聞いていたが、未だに派閥としては残っているというわけか。興味深いな」
唐突に、天幕内に女の声が響き、兵士たちはギョッとした顔で視線を巡らせる。
すると、天幕の奥に、どこから侵入したのか小柄な女がひとり佇んでいるのを発見し、皆が身構えた。
しかし、灯火に照らされたその姿、特に顔を見て、誰もが息を呑む。
ゆったりとしたローブのような純白の服を纏った女は、白銀の髪で瞳は紫という奇妙な姿をしていたが、その顔の造形は誰もが見たことのない程に美しい。
その姿に見惚れた兵士たちは言葉を失い、僅かな間天幕内に静寂が訪れる。
「どうした? おまえたちは兵士なのだろう? 突っ立ってないで侵入者を捕らえた方が良いのではないか?」
女の言葉に兵士たちはようやく我に返るが、慌てて銃を構えるような者はひとりもいなかった。
丸腰の小娘ひとりに何ができるとも思えない、誰もがそう判断したのだ。
「おい女ぁ、貴様いったいどこから入り込んだ? ここいらに集落はないはずだぞ?」
「フィオーレから来たんじゃねえのか? 娼婦の営業だったら歓迎するぜ?」
男たちは下卑た笑みを浮かべるが、女のあまりの美貌に気圧されているためか、誰も手出ししようとしない。
そんな男たちをじっと見てから、彼女は小さく溜息をついてから呟いた。
「貴族というからそれなりの教育を受けているものと思ったが、なんとも察しの悪い愚図共だな」
その一言に、男たちの表情が変わる。
「なんだと?」
「おい、口の利き方に気を付けろよ? 断りもなく戦争中の軍の天幕に入り込みやがって。どういうつもりか答えてもらうぞ」
「表ではティファニア軍が夜襲を行っている。そこへ見慣れぬ者が現れたのだ。私も襲撃者の一味と考えるのが妥当だろう。その程度の判断もつかんのか?」
女の返答を聞き、男たちは顔を見合わせる。
そして、すぐに残忍そうな笑みを浮かべて女に視線を戻した。
「へえぇ、そうかよ。で、武器も持たねえでオレ等をどうしてくれるんだ?」
「おい、もういいだろ、早くマワそうぜ。テメエで襲撃者だっつうんだ。姦った後で殺せば上も文句は言わねえよ」
「オレもこっちに来てから発散する機会もなくてたまってんだ。いい加減辛抱できねえよ。おい、誰か邪魔が入んねえよう見張っとけ」
「落ち着けって。まずは誰から――」
色めき立っていた兵士たちは、一瞬ビクリと震えると、身を硬直させ口を利くのを止めた。
唐突に金縛りに遭い、混乱する男等に向け、女は額の第三の目を開いていた。
その紫水晶の瞳からは、怪しい光が放たれている。
「残念ながら、おまえたちが己の欲望を満たす機会は永遠に来ない」
そう言うと、灯火に照らされ地面に落ちた女の影が蠢き、天幕内の地面を覆い尽くす程に広がる。
兵士たちは身動きできぬままに、その影の中へと沈んでいく。
「この影、途轍もない容積を収納できるのだが、欠点もあってな。まず、明かりがなければ影ができないので、夜の闇の中では使えない。だから面倒なことに、こうしてひとつずつ天幕を回らねばならん。そして、生物を収納することはできるのだが、人間を沈めるとどんなに短時間であっても、出した時には発狂しているか心が死んでいるのだ。なにしろ影の中は、完全な闇で身体感覚や時間の経過さえも感じられなくなる。そんな状態では、人ごときでは心が持たんのだろうな」
そんな呟きを耳にして、地面に沈んでいく兵士たちの瞳に恐怖の色が浮かぶ。
言っていることを完全に理解したわけではないが、自分たちがこれから死ぬより恐ろしい目に遭うということだけは、全員が察したようだった。
「まあ、それについては生体反応さえあればいいらしいからな。それに、どうせ蟲憑きにするのだ。心など壊れていようが死んでいようがかまわん」
言い終わる頃には、男たちの姿は完全に影の中へ沈んでいた。
ディエビア連邦軍兵士たちの身に埋め込まれた魔道具によって、敵が自軍の兵の位置や生体情報を確認できるのだという情報を、レミリスは通信情報隊から知らされた。
そこで、今はトリヴィアが敵を完全に封じているが、念には念を入れ、北方方面軍と同様、いざという時盾となる捕虜を捕らえることに決まった。
しかし、敵の侵攻を封じている以上、サルヴァたちのように塹壕内で敵の身柄を拘束することはできない。
ゆえに、敵陣に潜入して兵士を拉致することに決まったわけだが、適任はサクヤしかいなかった。
サクヤの眷族の蟲に偵察させたところ、どうやら敵兵は部隊ごとに天幕を張って休んでいるらしいと判明した。
そしてサクヤは、アリアとテトが夜襲をかけている間に、混乱に乗じて敵部隊を次々と影に呑み込んでいった。
どうも敵は複数の派閥に別れ、統制がとれていないようだとサクヤは察していた。
夜襲への対応も部隊ごとにまちまちだ。
これでは襲撃者の本当の目的に敵指揮官が気付くのは、朝を迎えてからになるだろう。
「軍隊としての質はティファニアに大きく劣るな。逆に言えば、その差を補って余りあるほどに装備や兵器が優れているということか」
それを実現したのが、ミツキと同郷の異世界人というのが興味深いとサクヤは思う。
己が神通を与えたことで個としての武力を進化させてきたミツキに対し、ディエビア連邦の異世界人は自らの無力を補うため自分の世界の武器をこの世界に再現し、それを組織の長として行使する道を選んだ。
あるいは、己の助力がなければ、ミツキも同じ道を歩んだのかもしれないとサクヤは想像する。
「いや、さすがに厳しいか……我々には制約も多かったからな。神通がなければブシュロネアとの戦で奴は終わっていただろう」
ともあれ、対照的な両者だからこそ、実際に戦わせてみたらどのような結果になるのかと、サクヤの好奇心が疼く。
それに、この戦争はもう少し長引いてくれた方が、都合が良い。
だからこそ、今回の戦でサクヤは、積極的に動いていない。
やろうと思えば、切り札を使わずとも、ディエビア連邦軍を壊滅させる自信はある。
ブシュロネアの先発隊やブリュゴーリュ軍を大量殺戮した霧の外法〝淤縢之狭霧〟は、今回は風で自軍の塹壕に流されるリスクを考慮すれば使えないとレミリスには説明している。
しかし、広範囲を攻撃する手段など他にいくらでもあるのだ。
「だからといって、私が簡単に敵を鏖殺することには、私自身にメリットがない。打算的にも心情的にもな」
ゆえに、もっと殺し合うが良いとサクヤは思う。
それこそが人という種の性であり業だろう。
その過程で目にすることとなる様々な技術や魔導は己の好奇心を満たし、その果てに積み上がった大量の屍は己の力となるのだ。
「だからミツキ、早く帰って来い……おまえの作り上げた街がこれ以上の危機に晒されようと、私は助けてやらんぞ?」
そう呟くと、サクヤは次の犠牲者たちのもとへと移動するため、影の中に身を沈めた。




