第六十九節 『夜襲』
敵が新兵器を投入して再開された戦闘で、ティファニア軍は大打撃を受けたものの、結局日暮れまでに塹壕内への侵入を許したディエビア連邦軍歩兵の侵攻をどうにか防ぎ切ることに成功した。
ディエビア連邦軍は日暮れと同時に兵に撤退を命じ、歩兵による夜間戦闘はほとんど行われなかった。
ただし、北方方面では野戦砲による爆撃が続けられ、塹壕内のティファニア兵は眠れぬ夜を過ごすこととなった。
また、闇に紛れて塹壕を突破しようとする敵がいないとも限らず、あるいは運悪く塹壕内に取り残された敵歩兵が身を潜めていることも考えられたため、塹壕内の哨戒を怠るわけにはいかない。
それでいて、野戦砲の的にならないよう、灯りをともすこともできない。
そして火を焚けないということは、日中でさえ凍えるほど気温の低下していた塹壕の夜を暖をとらずに凌ぎ切らねばならないということでもあった。
フィオーレの気候はティファニアとそう変わらず、昼夜の寒暖差が激しい。
夜間は池に氷が張ることもめずらしくはない。
ただでさえ氷室のように寒かった塹壕内は、急激にその気温を下げ、泥水にまみれた兵士たちの体力を奪っていった。
特に負傷者の中には、夜が明ける頃には冷たくなっている者も少なくはなかった。
一方、南方方面では夜間の砲撃は行われず、塹壕内の兵士たちは僅かな見張りを置いて塹壕陣地帯の後方へと下がり交代で暖と睡眠をとることができた。
あたりが夜闇に包まれようと、トリヴィアの驚異的な視力なら飛来する砲弾を補足することができた。
というよりむしろ、射撃に際して放出される魔素が彗星のように尾を引いて砲弾が飛ぶために、昼間よりも視認しやすいぐらいだった。
結局、日が暮れてから数発撃ち込んだ砲弾がすべて撃ち落とされたことで、ディエビア連邦軍南方方面軍指揮官のディアン・ファイエクは、夜間の攻撃を断念したのだった。
そして、昼夜を問わず攻撃を封じられた南方戦線のディエビア連邦軍兵士は、自分たちが戦に参加することはないと高を括り、すっかり緊張感を欠いた様子で自陣に待機していた。
「これだけの大所帯がライフルや手榴弾で武装して、野戦砲なんてもんまで持ち出したってのに、たったひとりの敵に押し止められるとはな」
ディエビア連邦軍のキャンプ地で、遠く闇の中に浮かびあがった篝火を見つめながら、歩哨の兵士が呟いた。
篝火はティファニア軍の塹壕前にただひとりで陣取った敵が焚いているものらしかった。
そこを目掛けて砲撃でも行えば一瞬でカタが付きそうなものだが、実際にそうしてみると、この暗闇の中でさえ飛来する砲弾を撃ち落としたのだという。
「噂じゃあれは異世界人だって話だ。うちの大将やその取り巻きもそうらしいし、やっぱり特別なんだろうよ」
傍らに立つ相方の兵士の言葉に、革命を成し遂げた自軍の大将に対する畏敬の念が込められているのを感じ取り、歩哨の兵は鼻で笑った。
一度、自分たちの頭目であるアキヒトなる異世界人を遠目に窺う機会があったが、ただの線の細い若造だった。
あんな非力そうなガキが、あれ程の権力を振るったダイアス王を打倒できたのは、ひとえにこの最新の魔導兵装があったからだとその兵士は思う。
解放奴隷出身の兵士は、一度、前政権の残党狩りに参加したことがあったが、自分にとっては雲の上の存在だった騎士が一方的に射殺されていった戦場の光景に強い衝撃を受けた。
ただ引き金を引くだけで、遠方の人間を手軽に殺せる。
ライフルのもたらす万能感に、兵士は酔っていた。
だからこそ、こんなところで二の足を踏んでいる現状には強い不満を抱いている。
戦場に出られさえすれば、己は誰よりも多くの敵を撃ち殺す自信がある。
そうして手柄を立て、出世し、いずれはアキヒトをも超える英雄にだってなれるはずなのだ。
それが、腰抜けの上官がヒヨったせいで、活躍の場を奪われている。
聞いた話では、北方方面軍は既に塹壕内へ多くの兵士を送り込み、敵に大打撃を与えているらしい。
なぜ、自分は北の軍に割り振られなかったのかと、その兵士は己の不運を嘆きたくなった。
「うちの指揮官殿も、その大将と一緒に革命戦争を戦い抜いたんだろ? それが聞いてあきれるじゃねえか。これだけ頭数を揃えてるってのに、たったひとりの敵を相手にびびって動けねえとはよ」
「お、おい止めろ。こう暗くっちゃ誰が聞いてるかわからねえぞ!」
「へっ! かまうもんかよ。オレから戦う機会を奪いやがって。異世界人だか何だか知らねえが、オレにこいつを撃たせりゃあ一発で仕留めてやるのによぉ!」
いきり立った兵士は、遠くに見える篝火に向けライフルを構えてみせる。
そうだ、この暗闇に紛れて近付き、灯に照らされた敵を仕留めてみせれば、大手柄ではないか。
そんな野心を抱きかけた時、背後から聞き慣れぬ声を掛けられた。
「銃兵がこれらけ間を詰められて、ろうやって敵を仕留めるつもりら?」
「へ?」
振り返る間もなく、歩哨の兵の胸から四本の鋭い刃が生える。
口を押さえられ悲鳴も上げられぬまま、兵士はわけもわからぬうちに息絶える。
「ひっ! 敵しゅ――」
もうひとりの歩哨は仲間を呼ぼうとするが、次の瞬間には首が宙を舞い、残された体はその場で数度足踏みしてから糸が切れたように倒れた。
「メイロ長」
口を押さえた兵士の胸から、腕に装着した鉤爪を引き抜きながら、猫人の異世界人、テトは首を刎ねられた兵士の背後に視線を向ける。
その暗闇の中から、褐色肌のメイドが深紅の剣を携えて現れた。
「危うく仲間を呼ばれるところでございました。メイドたる者いかなる時も周囲に気を配り、優雅に仕事をこなさねばなりません。あなたはまだまだですね、テト」
アリアは掌の傷から剣状に形成した血を体内へ戻しながらテトを嗜める。
「……いや、我々は陽動なのらから、敵を呼んれもらった方あ都合あ良いのれは?」
テトの反論に、アリアは口を噤み数秒間静止する。
そして、おもむろに、近くの松明を手に取ると、兵士たちが休んでいると思われる天幕に向かって投げつけた。
「どうせ敵を引き付けるなら、こうして火でも焚いて派手に気を引くべきです」
「それ、今考えたらろ」
間もなく帆布に火が燃え広がると、中から兵士たちが慌てて飛び出してくる。
「くそっ! 火事だ!」
「熱っちぃ! どうなってんだ、火傷しちまったじゃねえか!」
真っ先に出てきたふたりの男たちは、テトの鉤爪とアリアが鞭のようにしならせて伸ばした血の刃に刻まれ、血を吹き上げながらその場に斃れた。
続けて出てきた男たちは、襲撃者に目を向け戸惑いの表情を浮かべる。
「な、なんだこいつ等? め、メイド?」
「しかもひとりはネコの仮装をしてるぞ。ふざけてんのか?」
その兵士たちも、武器を構える暇さえなく、一瞬で急所を断たれ、まとめて崩れ落ちる。
「誰が仮装ら。私は元からこの姿ら」
「それにメイド服を見てふざけているとは不届きな輩です。ディエビア人は常識といものを弁えていないようですね。わからせて差し上げましょう」
「い、いや、戦場にメイロあいるのは実際非常識なのれは?」
かく言うテトもメイド服を纏っている。
アリアと異なるのは、動きの妨げにならぬようスカートに深くスリットが入っている点ぐらいだ。
以前、ディエビア連邦軍から追われていたところをミツキの派遣した部隊に保護されたテトは、他の異世界人同様レミリスの監督下に置かれることとなった。
しかし、ミツキらとは異なり実績のない彼女は完全に信用されたわけではなく、行動の自由は制限されている。
ミツキらが掛けられている死の呪いは、本国にいる専門の術師が大掛かりな儀式を用いなければ付与できないため、代わりに制魔鋏絞帯を装着させられているうえに、アリアの下でメイドとして働いているのが現状だった。
とはいえ、彼女に不満はなかった。
ブシュロネアのように正気を失わされたわけでもないし、衣食住にも困らない。
上司のアリアはメイドの仕事には少々極端なほどのこだわりを持っており、部下であるテトへの指導も厳しいが、基本的には善良な人物だ。
レミリスについては腹の読めないところがあるものの、平素はだいたい飲んだくれているので、特に害があるわけでもない。
だから、今の生活を守るためであれば、戦場に出るのもやぶさかではなかった。
それに、ディエビア連邦軍に対しては遺恨もある。
ほとんど正気を失っていたとはいえ、こちらの世界に呼ばれて以来長い時間をともにしてきた相方を殺されたうえ、自身も散々追い回されティスマスらに助けられていなければ今頃国境付近の山中で屍を晒していたはずだ。
「たらの一兵卒れあるおまえらに直接の恨みはないあ、イィエイア連邦の所属というらけれ殺す理由は十分ら。せいれい意趣返しに付き合ってもらうろ」
そう言ってテトが視線を向けた闇の中から、騒ぎを聞きつけた兵士たちが銃を持って走って来る。
しかし、恐るるに足らないとテトは思う。
日中ならいざ知らず、暗闇の中で視界の利かない人間に、速さ自慢の己を捕らえられるわけがないと確信があるのだ。
事実、彼女は脚力だけであれば、オメガに匹敵するとの評価をミツキ達からは得ていた。
「任せましたよテト」
アリアに掛けられた言葉に、テトは彼女から教えられたメイドに相応しい言葉遣いを選んで返答する。
「承知いたしましたメイロ長」
身を低めたテトは、己に向けて放たれた銃撃に怯みもせず、闇の中へと走り出した。
その青い残像が駆け抜けた後には、ディエビア連邦の兵士たちの身から吹き上がった鮮血ばかりが微かな星明かりによって煌めいた。




