第十二節 『悪童』
ガラの悪い男たちに取り囲まれたミツキは、その予想外の人数に多少の焦りを覚えつつ、平静を装って短く問い掛けた。
「何か用か?」
「おめえ余所もんだな? さっき兵士どもに何か見せていただろ。あの連中がああも畏まるなんざただごとじゃねえ。ちょっと袖の中のもん見せてみろ」
進み出たのは、上半身裸の若い男だった。
歳は十代後半程。坊主頭に剃り込みを入れ、右半身にヘビを思わせるタトゥーを無数に彫っている。
褐色の肌に痩せた体躯、やや垂れ目で意外に愛嬌を感じさせる面貌だ。
他の面々も若い。
中には少年と呼ぶような年齢の者も混じっている。
ストリートギャングか、とミツキは思う。
竦み上がるような状況なのだろうが、化け物ばかりに囲まれ、実際に化け物とも殺し合ったためか、まるで恐ろしいと思わない。
「力づくで取ってみたら? おまえらにできればの話だけどな」
ミツキの返答を聞いて、垂れ目の男がナイフを抜いた。
周りを囲む男達も、刃物や棍棒を取り出す。
ミツキは周囲を見渡すと、自らも袖に手を差し入れる。
男たちは警戒して身構えるが、ミツキの取り出したものを見て表情を変える。
銀貨だ。
怪訝そうな表情を浮かべた者もいるが、大半の男等は欲を剥き出したような顔になっている。
「欲しけりゃ受け取れ!」
そう言って、親指で弾くと、涼やかな音とともに頭上高くに舞い上がる。
皆が銀貨の描く放物線に注目し、やがてミツキの左手を囲む集団の、先頭に立つ若者に向けて落下を始めた。
若者は自分めがけて落ちて来る銀貨を見上げ、短刀を片手に持ちながらどうにかキャッチすることに成功する。
が、次の瞬間、顔面に衝撃を受け、後方へ吹き飛んだ。
ミツキは正拳突きを入れたその手で、若者の手から跳ね上がった銀貨を受け取り、突然の襲撃に硬直している傍らの男の脾腹に肘を突き入れた。
男がくの字に頽れるのと、ミツキから見て男と反対側に立っていた男が棍棒で殴り掛かって来たのはほぼ同時だった。
素早く踏み込むと、棍棒を振り下ろしかけた男の手首を掴み、最初に殴り飛ばした若者を支える男たちの方に向け投げ飛ばす。
投げられた仲間を受け止め損ねた男たちはもつれる様にして倒れ、包囲に穴が開く。
もがく男たちを跳び越すと、そのまま駆け出した。
「何やってる! 追え!」
ミツキを取り囲んでいた集団が一斉に走り出し、後を追ってくる。
さすがにあの人数に包囲されてはひとたまりもない。
ならば、ひとりずつ片付けるまでだ。
後ろを窺えば、追手は速力の差でバラけつつあった。
ミツキは路地を曲がったところで立ち止まり、勢いを殺せぬまま自分に突進してきた先頭の追手の鼻目掛けて掌底を突き出した。
もろに受けた男は、半回転するように後方へ倒れ、地面に後頭部を打ち付け気絶した。
「やべっ」
死んでないよな?とミツキは内心で焦る。
殺すのは、ちょっとマズい。
「回り込め!」
後方で垂れ目の男が叫んだ。
なるほど、地の利はそちらにあるよな、悪くない判断だ、と思いつつ、だがそれぐらいで止められるかなと、おもわず口元が釣り上がる。
独房の中でひたすら運動を続けた甲斐あって、体は鈍っていない。
それに、身体能力の高さは、自分でも驚くほどだ。
数メートル先の路地から、男が三人現れた。
おそらく先回りしてきたのだろう。
息を切らしながら武器を構えようとしている。
追手を撒き切らないよう加減して走っていたのを止め、一気に加速する。
その様子に意表を突かれ、身を固くしている男に向かって跳躍し、膝で顎をかち上げた。
吹っ飛ぶ男と大口を開け見ているだけのふたりを無視して再び加速。
少し減速したために追いついて来た男に回し蹴りを浴びせ、再び走り出す。
「いい感じだ」
手応えに顔を綻ばせながら、迎撃とダッシュを繰り返す。
怖いのは魔法だが、使われる可能性は低いとミツキは踏んでいた。
サクヤの話では、一般人は強力な攻撃魔法こそ使えないが、自衛程度の威力の魔法であれば使用を許可されているのだという。
しかし、非市民区の連中はおそらくそれすら使えない。
そう考えるのは、看守の男が魔法を使う様子を見ていたからだった。
あの難解な詠唱は、高度な教育を受けた者でなければ唱えることなどできまい。
無論、同じ言葉をなぞるだけなら、誰にでもできるだろうが、あれはおそらく、呪文の一語一句に意味があり、それに対する理解があってはじめて発動するものだろうとミツキには思えた。
「路地へ追い込むんだ!」
背後の叫びを聞きつつ、飛び出してきた男に頭突きを食らわし、落とした棍棒を拾う。
武器を得て、さらに三人ほど返り討ちにした後、逃げ込んだ路地の奥で足を止めた。
行き止まりだ。
「もう逃げらんねえぞ!」
背後からの声に振り返ると、垂れ目の男たちが息を切らしながらもミツキを睨み付けていた。
「てこずらせてくれやがって! おとなしく言うこと聞いてりゃそのまま逃がしてやるつもりだったが、こうなったら怪我した仲間全員と同じ目に合わせてやるよ!」
「そりゃ無理だろ」
「ああ!?」
「おまえら、もう五人しか残ってないじゃん。しかも、この狭い路地じゃ、無理しても一度に掛かって来れるのはせいぜいふたりまで。おまけに、そっちは全員息が上がってる。普段から運動してなきゃ、いざって時動けないよ?」
「うるせえ! ふたりずつ相手できりゃ十分だ! おまえらやっちまえ!」
前方に出ていた二名が突進してきたが、ミツキは一足飛びで間合いを詰めると、ひとりの鳩尾を棍棒で突き、仲間を倒され浮足立ったもうひとりの頭を打撃して沈めた。
息を切らすこともなく、ミツキは棍棒を手元でもてあそんだ。
風切り音を立てながらミツキの手の中で回転する棍棒を見て、男たちがたじろぐ。
「おまえら見かけはイカついけど、対人戦闘の技術はせいぜい我流のストリートファイト止まりだろ。それに比べてオレの方は、ジェ〇ソン・ボーンばりに身のこなしがキレッキレなんだよ。正面切っての喧嘩なら、二、三人まとめて掛かって来たところで、相手にもならないぞ」
「何をわけのわからねえことゴチャゴチャ言ってやがる! 次、行け!」
しかし、垂れ目にけしかけられたふたりは、完全に腰が引けていた。
ふたりの間に突き出した棍棒を左右に振り、側頭部を打ち据え制圧する。
「あと、一番最悪だったのがおまえの指揮だ。オレを路地に追い込んだ時点で板か何か使って入り口を塞ぎ、距離を詰められないよう投石で地道に痛めつければ勝てただろうに。馬鹿正直に正面からふたりずつ襲い掛からせるとか、もはや親切でやってるんじゃないかと疑うレベルだぞ」
「何なんだよおまえは!! 魔法を使うならともかく、身ぃひとつで俺の仲間を全員の伸すなんてあり得ねえぞ!!」
半狂乱の垂れ目の背後からひとまわり大きな影が現れ、その肩に手を置いた。
「わめくなボロス。オレとおまえでこいつを追い詰めている。優勢に変わりはない」
「兄ちゃん!」
現れたのは垂れ目より十センチは上背のありそうな筋骨隆々な青年だった。
垂れ目と同様上半身裸で、左半身に龍のようなモチーフのタトゥーを入れている。
精悍な顔立ちだが、鼻が潰れ気味なのがどことなくひょうきんな印象。
髪は側頭部を刈り上げ、頭頂部だけが長いツーブロックで、伸ばした髪は後頭部で縛り上げている。
「でも兄ちゃん、何でここがわかったの?」
「途中で置いてかれたチビが知らせてくれた。場所は、倒れた仲間を辿ってきた」
「さすが兄ちゃんだぜ!」
兄弟なのだろうか。
垂れ目が甘えたような口調になっている。
「弟たちが世話になったようだな。ここからはオレが相手をしよう」
「はは! 運がなかったな! 兄ちゃんはこの街の地下拳闘場の帝王だ! てめえごときが叶う相手じゃねえんだよ!」
垂れ目の言葉通り、向かってくるツーブロック男の迫力は、先程まで相手にしていたチンピラとは段違いだ。
背丈だけでも、ミツキより二十センチ近く高いように見える。
「ファンタジーが、いきなりヤンキー漫画みたいな展開になったな」
棍棒を捨てると、両の拳を持ち上げ、足を開きやや重心を落として構える。
直後、ツーブロック男の打ち下ろすようなフックがミツキの顔面目掛けて振り下ろされた。
その女は朝から半地下の仕事部屋に籠り帳簿を付けていた。
こんな事務作業はできれば他の人間に任せたいところだったが、過去に経理を教えた部下はことごとく計算を間違え、結局自分でやり直す羽目になったため、今では諦めてすべての事務作業を一人で行っている。
女自身はかつて豪商の屋敷に奉公していた際、財務会計の知識を身に着けた。
屋敷の主人に伽を命じられ、張り倒して暇を出されたため、生まれ育った非市民街北区の実家に戻り七年が経過するが、奉公中に得た知識と経験を活かした商売でどうにか家族と仲間たちを養えている。
そんな女の悩みの種は、血の気の多い弟とその仲間たちだった。
下の弟は北区の悪ガキどもを仕切っており、手下を使って女の商売を手伝っていた。
確かに、体力自慢揃いでフットワークも軽いので、皆よく働く。
しかし、粗野で短気で礼儀をわきまえぬ者ばかりゆえ、取引先とのトラブルも度々で、その都度女は尻拭いをする羽目になった。
最近では街の治安悪化をどうにかしようと、仕事の空いた時間に自警団の真似事をしているらしいが、要するに悪ガキが徒党を組んで街を練り歩いているだけなので、かえって住人を怯えさせる始末だった。
「ああもう! 首痛い!」
筆記具を卓上に放り、伸びをする。
そろそろ休憩を入れるかと立ち上がりかけたところで、階段の扉を強く連打する音が響いた。
ノックは静かにと、いつも言っているのに、誰も聞きやしない。
女は舌打ちすると、足早に扉へ駆け寄り、思い切り持ち上げた。
「ちょっと誰だい!? 人が仕事している時は、余程のことがない限り放っておけっていつも言ってるだろ!」
床の扉が急に持ち上げられたため、ノックしていた少年はあごを打ち悶絶したが、それどころではないとどうにか堪え、床下から顔を出した妙齢の女に泣きついた。
「姉さん、大変なんです! 兄貴が! 兄貴が!!」
少年の様子を見てすぐに、ただ事ではないと悟った女は、階下からはい出ると表情を引き締め少年をなだめた。
「落ち着きな。弟がどうしたって? また何かやらかしたのかい?」
「それが、レモンドの奴が市民区の方からやって来た妙な男に目を付けたんです」
「市民区?」
市民区と聞いただけで胸がざわついた。
市民と非市民で問題を起こした場合、割を食うのは間違いなく非市民だ。
しかし、市民が非市民区にやってくるなど、余程特別な事情がなければあり得ない。
それに、相手が市民区からやって来たと知っていて、非市民区の人間が手出しするのも非常識だ。
女には事情が呑み込めなかった。
「そいつ、関所の兵士が妙にぺこぺこしていやがったのに、身なりは薄汚いっていうどう考えても不自然な野郎で、しかも何をするでもなくふらふらと街を見て回ってたんです。この間、流れて来たゴロツキが近所で押し込みを働いたばかりだし、西区でも先日放火があったじゃないですか。そいつも何かしでかすんじゃないかって話になって……」
事情が分かり、女の顔が青褪める。
「まさか、ちょっかい出したのかい?」
「ちょっと脅して追っ払うだけのつもりだったんです! でも、そいつバカみたいに強くて、ダットンもヤヤもケリルもみんな一発で伸されちまって。ボロスの兄貴は何人か連れて追っかけてったんだけど、オレは置いていかれたんで、タイロスの兄貴を呼んで追いかけて、そしたらそいつ路地に追い詰められてたんだけど、ボロスの兄貴しか立ってなくて、だからタイロスの兄貴がそいつに向かって行って……」
女の血の気が更に引いた。
地下拳闘で腕を鳴らしている上の弟は、試合なら手加減するだろうが、仲間に怪我を負わせた人間に対しては容赦がない。
一方、相手が市民以上の立場の人間であれば、非市民に対して手心を加えると思えない。
どちらが勝っても最悪だった。
仮に弟が勝ったとして、市民に大怪我を負わせたり、まして殺したりすれば、家族ともども極刑は免れない。
「それは、どれぐらい前の話だい?」
「タイロスの兄貴が突っ込むのを見てすぐに走って来たんで、まだそんなには経ってません」
「相手次第だけど、今ならまだ間に合うかもしれない。すぐに連れてっとくれ!」
「その必要はない」
聞き慣れない声に女が顔を上げると、顔を倍ほどに腫らした弟二人が入り口に佇んでいた。
唖然とする女と少年にかまわず、ふたりの男の背後から声が上がる。
「その美人がおまえらの姉さん?」
「「ふぁい、ほうえふ」」
ボコボコの男ふたりを押し退け、粗末で汚らしいローブを纏った青年が進み出て女にほほ笑んだ。
「はじめまして。このふたりからお姉さんが商売をやっていると聞いて尋ねてきました。早速ですが売ってほしいものがあるんだけど、話を聞いてくれるかな?」
女と少年は状況が呑み込めず、しばしの間口をぱくぱくと動かし続けた。




