第五十一節 『非情』
降り注ぐ火矢に表情を青褪めさせながらも、ディエビア連邦軍の指揮官は怒りの声を上げる。
「おのれ卑怯な!」
しかし、そんな言葉で矢が防げるはずもなく、指揮官の男は咄嗟に頭を庇おうと腕を持ち上げる。
矢は男の身には命中しなかったものの、その多くが陥没した地面の中へと吸い込まれ、未だ体勢を立て直せないでいる男たちを次々と射抜いたうえ、土と灯油が混ざった泥濘に引火して穴の中を火の海に変えた。
生きたまま炎に焼かれていく部下たちの悲鳴を聞き、指揮官は為す術もなく、頭を抱えゆるゆると首を振りながら後退る。
「バカな! バカなっ!! このような惨い真似、戦場だからといって許されるものではないぞ!」
怒りに我を忘れ、ライフルをがむしゃらに発砲するも、火矢の射手は城壁の向こうに隠れて見えないうえ、砦の正門は目の前の穴によって通行不能となっており、攻撃することができない。
「くっそぉぉぉ!! 出て来い卑怯者があぁぁ! よくもっ! よくもこのような卑劣な企みで私の部下をぉ! 絶対に許さんぞ下種どもがぁぁ! 貴様らはひとり残らず私の部隊が殺し尽くきょぼっ!?」
指揮官の男の喚き声が、唐突に途切れる。
自分自身でその理由がわからぬ男は、突然首に感じた衝撃と熱の正体を確かめようと手を伸ばす。
その手が、横から首を貫いた矢に触れると、男は驚愕に大きく目を見開く。
そして、遠退く意識を繋ぎ止めることができず、よろめきながら穴の中に向け身を傾けた。
「た、隊長!」
咄嗟に伸ばされた副官の手は空を掻き、指揮官の男は炎の燃え盛る穴の中へと落ちていった。
「くそ、くそっ! いったいどこから――」
ディエビア連邦軍の副官が視線を巡らせると、周囲の荒れ地の中から身を起こしたティファニア軍の兵によって、自軍が挟まれていることに気付く。
「こいつら……落とし穴だけでなく、土中に身を潜めていたのか!」
その中で、ボウガンを構えていたひとりの女が、得物を捨て頭上に手を掲げる。
すると、立ち上がった兵士たちは、おそろしく機敏な動作で携えた弓に矢を番え、弦を引き絞る。
「ま、まずい! 各自ライフルで応戦せよ!」
副官は慌ててイヤーカフに手を添え部下たちに命令を伝えるが、予期せぬ襲撃によって混乱した兵たちは照準を合わせるどころか構えを取る暇もなく、女のティファニア兵が手を振り下ろしたのを合図にして一斉に矢が放たれた。
部下の放った矢に次々と射られていく敵を観察しながら、射撃の合図を出したシェジアは、先程自らボウガンで狙撃した敵将官の叫びを自分でも口にしてみる。
「卑怯者、ですか」
そう叫んで逆上しながら、狙撃され何もできずに燃え盛る穴の中へと落ちていった男を、シェジアは鼻で笑う。
「人様の国に布告もなく攻め入って来た野郎の口にして良いセリフじゃないでしょう」
呟いて、先程振り下ろした手を、輪っか状に丸めて腰に下げている得物へと伸ばす。
その柄を握って素早く手を振ると、背骨のような形状の鞭が小石を跳ね上げながら周囲の地面を円形に切り裂いた。
風切り音を耳にしたティファニア軍の兵士たちの半数は、弓を捨て、代わりに足元に埋まっていた盾と、斧や槍といった武器を持ち上げる。
シェジアは、左右から矢を浴びせられて混乱に拍車をかける敵軍を冷然と見つめながら、喉に手を添え短く命令を発した。
「殺れ」
まるで解き放たれた猟犬のように、〝血獣〟の団員たちが猛然と駆けだした。
敵が向かってくるのに気付いたディエビア連邦の側の兵士たちは、慌てて射撃の体勢を取るが、残った半数の弓手により、射撃よりも早く矢を射られ、ほとんどの者は応射することもできない。
辛うじて射撃できた者も多くは慌てていたため狙いを大きく外し、その中のごく一握りの者だけが迫りくる敵に向け銃を撃つことができたが、大きな盾に阻まれ敵を仕留めることができた者は皆無だった。
そして、ボルトを引いて排莢、装填する間にも、盾を放り捨てたティファニア軍の兵士たちは一気に間合いを詰め、銃兵たちに襲い掛かった。
白兵戦を想定していなかったため、銃剣を装着していなかったディエビア連邦の歩兵たちは、半数近くが為す術もなく攻撃を受け、それ以外の者も多くは銃身で攻撃を止め、ライフルをオシャカにした。
とはいえ、落とし穴に掛からず地上に残ったディエビア連邦側の兵士と比べ、奇襲に参加したティファニア軍の兵数は十分の一にも満たず、襲撃を受けなかった銃兵は接近を許した敵に対応しようとすぐさま動き出していた。
「ライフル相手に突撃なんて、こいつ等命が惜しくないのかよ!」
そう叫びながらボルトを戻した若い銃兵が、近くの仲間を打ち倒した襲撃者に向け銃口を向ける。
近くといっても、長物が届く間合いではない。
若い銃兵は照準を相手の腹部に合わせながら、引き金を絞ろうと指に力を込める。
が、射撃が行われる前に、その銃兵の上半身が弾かれたように吹き飛び、残された下肢がたたらを踏んでから倒れた。
上半身を失いながらも足をばたつかせる仲間の体の一部に絶句していたディエビア連邦の兵士たちは、風切り音が響いた直後、同じようにその身を引き裂かれた。
「な、なんだ、あの化け物は」
友軍の只中に飛び込んできたひとりの女が、得体の知れない得物を振り回し、次々と部下を惨殺していく光景に、ディエビア連邦歩兵部隊の副官は慄然とする。
周囲三百六十度に向けて振るわれるその攻撃を目視できる者は、少なくともこの戦場にはいなかった。
実際には鞭のような武器を操っているわけだが、ミツキが目にしていたなら、新体操のリボンを操っているようだと感じたことだろう。
尋常でない勢いで味方を刎ね飛ばしながら戦場を駆ける女を睨みつけながら、副官は部下に指示を送る。
「あの女を狙い撃ちにしろ! 他のは後回しでも構わん!」
数人の兵が立て続けに銃撃を行うのに合わせ、女の鞭の動きが変化する。
自ら回転し、自分の周りに螺旋を描くようにして鞭を振るうと、中空で無数の火花が散った。
たしかに命中させたと思われた女が回転を止めると、その身に銃創は見当たらない。
女はすかさず自分を狙撃した兵らに向かって駆け出し、瞬きする程の間に数人の上肢ををミンチに変えた。
「バ、カな……銃撃を見切ったというのか? 本当に人間なのか?」
女の常軌を逸した戦いに怯んだのは、副官ばかりではなかった。
ディエビア連邦の銃兵たちは、、未だ数ではかなりの優位を保っているにもかかわらず、明らかに浮足立っていた。
そこに付け入るように、ティファニア軍の兵等の攻撃も勢いを増す。
そんな戦場の空気を読み取り、ディエビア連邦の副官は迷わず撤退を決断する。
このままでは、寡兵相手に全滅しかねない。
「全軍撤退! 元来た進路を引き返せ! 第五小隊は殿軍を務め敵の追撃を阻止せよ!」
命令を受け、兵士たちは戦闘を止め走り出したが、恐慌状態に陥り指示が届いていない者も多く、仲間からとり残された銃兵は為す術もなく各個撃破されていった。
残敵が遠くに離れると、シェジアは追撃を禁じた。
「一気に叩き潰しちまった方が良かないすか?」
「いいえ、あの武器は間合いを取られると手の付けようがなくなります。無駄に犠牲を出すだけですよ。それより――」
シェジアは背後に開いた大穴を振り返りながら呟く。
「こっからは籠城戦になります。とっとと戻って準備を始めるべきです。っつうわけでファン、とっととこの穴を埋めなさい」
傍らの部下が、シェジアに並んで穴を覗き込む。
「いいんすか頭?」
「あぁ? なにがですか?」
「いや、敵兵、まだ生きてる奴けっこういるっぽいすけど」
灯油の火力が弱いらしく、未だ穴の中からは微かな呻き声や命乞いが聞こえてくる。
ただ、火傷を免れた者も、おそらくは一酸化炭素中毒のため虫の息らしく、もはや落命するまで時間の問題であるのは明白だった。
シェジアは穴の中を見て小さく舌打ちすると、部下を睨みつけながらドスの利いた声で言った。
「こいつ等引き上げて何か得でもあるんですか? 籠城に備えて焼肉を食いてえっつうんならテメエひとりでやってくださいよ」