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第四十九節 『罠』

「南部の砦ですか」

「妙なところに建っておりますな」


 士官らの言葉に、アキヒトは首肯する。


「ブリュゴーリュの歴史についてはよく知りませんが、情報部によるとこの国には古い小城や軍事拠点が点在しているようです。この砦もそのひとつでしょう。主戦場からは離れた場所に建っていますが、我々の本陣にもっとも近い軍事施設でもあります。塹壕(ざんごう)伝いにフィオーレから軍を送り込んだティファニア軍が、この砦を橋頭堡(きょうとうほ)として、ここまで攻め寄せて来るという可能性もゼロではないでしょう」

「なるほど。とはいえ、我らも兵に余裕があるわけではありませんぞ?」

「わかっています。物見によれば、今この砦を守っているのは、南部から駆け付けたティファニア軍のいち部隊だといいます。地方から招集された少数の戦力ということなら、前線から向かわせるのは四百程で十分でしょう。あと、まあ一応攻城戦ですから、グレンデルたち三人を向かわせます」


 アキヒト以外の面々が軽く驚いた表情を浮かべる。


「あの異世界人たちを? 小城ひとつにやり過ぎでは?」

「いや、トモエやフレデリカと異なり、奴らの容姿や能力は敵ばかりか味方まで動揺させかねん。歩兵部隊との連動が難しい以上、こういう場面でこそ投入するべきだろう」

「しかし、距離的には前線から向かわせる歩兵部隊の方が大分早く到着しそうだな。奴らを派遣したところで結局は無駄骨になるのではないか?」

「では賭けますかな? 異世界人の到着までもつ方に銀貨一枚」

「おもしろい。では私は、到着前に歩兵だけで砦を墜とす方に賭けようではないか」


 緊張感を欠いた将官たちの会話に、アキヒトは苦笑いを浮かべる。

 初戦の敗退から参謀本部には不穏な空気が漂っていたが、ようやく余裕が出てきたうえ、決戦前の息抜きのような作戦に気が緩んだのだろう。

 アキヒト自身も少し気が楽だった。

 今回は、一方的な殲滅(せんめつ)ではなく、施設の破壊が目的なのだ。

 味方はもちろん、敵にもさほどの犠牲者を出さずに済むかもしれない。

 そんな希望的観測を抱きながら、アキヒトは目の前の地図に小さく記された砦の記号を無言で見つめた。




 その名もなき城郭は、ブリュゴーリュが未だ複数の小国に分かれ覇を競っていた時代の名残であり、築城から優に百五十年は経過しているため半ば朽ち果てているような有様だった。

 天守(キープ)と複数の通路で繋がる城壁は分厚いものの、その周囲に堀などは巡らされていないので、射撃で牽制(けんせい)しつつ正門を破城槌(はじょうつい)で突破すれば、あとは銃兵が内部へ侵入し、その突破力で一気に制圧し城を陥落させられる。

 参謀本部からの命令で砦の攻略に向かったディエビア連邦歩兵部隊の将兵たちは、目標の建物を遠目に見て、そのように考えていた。

 だから、実際にその砦の前に辿り着いて目にした光景に、彼らは皆一様に戸惑いの表情を浮かべた。


「……いったい、どうなっている?」


 そう呟いたディエビア連邦軍歩兵部隊の指揮官の目には異様な光景が映っていた。

 砦を囲う城壁の正面に、ティファニア軍の制服を着用した男が吊るされていた。

 その熊のような体躯の髭面の男は、全身を矢に貫かれたうえ腹から槍を生やしており、おそらくは複数の人間の手によって一方的に惨殺されたと想像できた。

 そして、その壁上に見えるふたりの人物の内ひとりが、薄汚れた白旗を振っている。


「まさか、降参だと? 戦いもせずに? それに、あの死体はなんだ?」

「隊長、あれをご覧ください!」


 副官の指差した方向に視線を移すと、大型の鳥が一羽、砦の方から飛んでくる。


「使い魔だな、おそらく」

「ええ、足になにか(くく)り付けています」


 そういう間に距離を詰めていた鳥の使い魔は、副官が差し出した腕にとまる。

 足に結ばれた紙を解くと、指揮官の男に広げて渡す。

 書状に目を通した指揮官は、書面と城壁を交互に見て、呆れたような表情を浮かべた。


「なんと書かれていたのですか?」

「白旗を振っている通り、降伏するとさ」

「それは、どういうことでしょうか」

「奴らは正規兵ではなく、ただの傭兵らしい。見ろ、あの格好を」


 促された副官が壁上のふたりを窺えば、たしかにティファニア軍の制服ではなく、野盗のような野卑な毛皮を羽織り、皮革製の軽鎧を身に付けている。


「たしかに、軍人のナリではないように見えますが、服装などどうとでもなるでしょう」

「奴の体躯を見てみろ」


 白旗を振る男は、素肌に軽鎧を着けているため、体の線が遠目にも確認できた。

 枯れ枝のような腕と薄い胸板、腹にはアバラが浮いており、貧相という以外に形容のしようがない。

 もう一方の人物は、毛皮で身を覆っているため体型はわからないが、子どものように上背が低い。

 グレージュの髪はバサバサに乱れ、その頭を抱えながら、震えて絶えず何かをブツブツと呟いているように見えた。

 恐怖で錯乱(さくらん)しているようだと副官の男は判断する。


「わかっただろう。どちらも軍人の体格ではない。服装と(あわ)せれば私兵と判断して間違いあるまい。それも、質は最低クラスの奴だ」

「なるほど。つまり、あの吊るされている男だけが、正規軍から派遣されてきた指揮官というわけですね? 迫る我々を見て、当然指揮官は抗戦を命じた。しかし、勝てないと判断した傭兵たちは、命惜しさに指揮官の首と引き換えに(くだ)ることにしたと」

「そういうことだな。ま、賢明と言えんこともない。フィオーレとて件の奇策がなければ今頃陥落していただろう。それ程の戦力差である以上、私兵風情では戦意を保てんのは無理もないだろう。胸糞は悪いがな」


 指揮官らが話す間にも、城壁中央の正門が開けられた。

 指揮官は顔に侮蔑(ぶべつ)の色を浮かべながらも、戦にならなかったことに安堵して大きく息をつく。


「司令部からは決して無理をするなと言われていたが、これでは無理のしようもなかったな」

「拍子抜けですね。初戦では奇策でこちらを圧倒した連中だというのに」

「それも圧倒的戦力差を覆すための苦肉の策だったということだ。もともと戦の準備をしている暇もなかったはずなのだから、端から(ほころ)びがでるのはむしろ当然ということなのだろう」


 司令官の男は、イヤーカフに手を当て、部隊の入城を伝達する。

 敵が統率の取れていない傭兵ということを考慮し、念のため先頭には白兵戦闘の得意な者で構成された斬り込み部隊を押し立て、軍を進めた。

 進軍中、一応周囲を警戒し視線を巡らせるが、砦以外は砂肌の剥き出しになった荒れ地が広がるばかりであり、敵がいても身を隠せる場所などどこにもない。

 司令官の男から僅かばかりの警戒心が完全に消えた直後、異変が起きた。


 唐突に、大地が大きく揺れ、部隊の中央付近を進んでいた司令官の男は危うく倒れそうになる。


「なんだ、どうした!?」


 その疑問の言葉は、前方で上がった悲鳴によってかき消される。

 釣られて視線を進行方向に向けた司令官は、驚きに表情を強張らせる。

 砦の正門付近で砂埃が舞い上がり、それがものすごい勢いで自分たちの方へと押し寄せてきていた。


「ま、まずい! 全軍後た――」


 言葉を言い切る前に、司令官の視界は薄茶色の砂塵に遮られ、続いて突風に(あお)られ尻餅をつく。


「な、ゲホッ! なん、だという、んだ!」


 口内に舞い込んだ砂埃を唾液もろとも吐き出しながら、司令官は目に埃が入らぬよう(まぶた)を薄く開ける。

 やがて砂埃が晴れ視界が戻ると、司令官は眼前の異様な光景におもわず声を荒げた。


「地面が、ない!? い、いや、穴が空いた!?」


 その言葉の通り、へたり込んだ司令官のほぼ一歩前から先の地面が大きく陥没していた。

 そして、開いた大穴の中には先を進んでいた自軍の兵が落ち呻き声を上げている。

 穴の底には泥が溜まっており、兵士たちは足を取られて満足に動けぬようだった。


「くそっ! どうしていきなり地面が……せっかく戦闘を回避できたというのに!」


 そう毒づいた司令官は、下から立ち昇る異臭に気付いて顔を(しか)める。


「これは……油の臭い?」


 この世界の灯油は、大型の魔獣の脂肪から抽出される獣油がもっとも一般的だ。

 それゆえ、独特の生臭さを発するものが多い。


「しかし、どこに油など」


 呟いた男の目に、穴の下の泥濘(でいねい)が映る。


「……ま、さか」


 ここに至り、ようやくティファニア軍のトラップだと気付いた司令官の肩を、副官が揺すりながら叫ぶ。


「隊長、隊長! なにを(うつむ)いておられるのです! 上を、上をご覧ください!!」


 部下の切迫した声音に顔を上げた司令官は、視界一面に降り注ぐ大量の火矢をとらえて絶句した。


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