第四十六節 『魔導士』
「――承知しましたわアキヒト様。では、すぐにでも取り掛かりますわ」
通信を終えたエリズルーイが、小さく息をつき椅子の背にもたれかかった。
「……面倒ですわね」
「隊長、アキヒト殿はなんと?」
「あら、あなた居ましたの?」
疑問を呈したところ、そう返答され顔を赤らめたのは、歩兵部隊に随伴している魔導士隊の副官、ヴィラ・タナファンだ。
神経質そうな顔に眼鏡を掛けたた三十がらみの女で、後頭部で纏めただけの栗毛が少し野暮ったい印象だ。
戦場にあって扇情的なドレス姿のエリズルーイとは対照的に、他の部隊員と同様、歩兵と同じ野戦服を着込み、その上からポンチョを被っている。
彼女はディエビア連邦北部の国、テブルスの出身で、男尊女卑の風潮も強かったかの国にあって、女だてらに宮廷魔導士を務めていたというだけあり、魔法の実力は軍内でも屈指と評価されている。
そんな経歴の持ち主ということもあり、プライドの高い彼女は、エリズルーイの言葉を聞き、屈辱のあまり微かに身を震わせる。
なにしろ、大分前に自分の天幕に呼びつけ、待機しているよう命じたのは、他でもないエリズルーイなのだ。
それでも、ヴィラはどうにか気を鎮め、平静を装って返答する。
「お傍で待機するようにとのご命令を受けておりましたので」
「ああ、そうでしたわね。黙~って突っ立っているので存在を失念しておりましたわ」
おもわず口の端が引き攣りそうになるのをヴィラはグッとこらえる。
目の前に座る部隊の長は、性格に難はあるが、軍内で特別な地位に就いている。
迂闊な対応で気分を害したりすれば、自分の立場を損ないかねない。
「……気の利いたことのひとつも言えず申し訳ございません」
「冗談ですわよ。あなたちょっと生真面目過ぎるのではなくって?」
そう言ってエリズルーイはクスクスと笑った。
ヴィラは愛想笑いを浮かべることもできず、微かに口を開けたまま戸惑いの表情を受かべる。
「敵塹壕陣地帯への魔法攻撃を命令されましたわ」
「えっ!?」
エリズルーイの唐突な発言に、ヴィラは驚きの声を上げる。
「お、お待ちください! 前線に回された魔導士の質と数を鑑みれば、魔法での攻撃に意味があるとは思えません!」
「あら、どうしてですの?」
「魔導士部隊の主力は、本陣の情報を敵に悟られないよう魔法で隠匿するため、後方に留められております! 前線の部隊をかき集めたところで、百人に足りぬ程度です! しかも、部隊の魔導士の多くは、歩兵の補佐や治療を目的に選ばれています! それが全員で攻撃魔法を束ねたところで、火力はたかが知れているでしょう! しかも、今は全部隊員が負傷した兵への治療に掛かりきりです! 攻撃になど回せば、その間の治療ができなくなるうえ、治癒魔法を使うために必要な魔素も消費し尽くすことになります! もちろん、敵の矢の射程を考慮すれば、魔導士部隊にも損害が出るはずです! よって、我々が攻撃に参加することにはデメリットばかりがあり――」
エリズルーイは副官の言葉を遮るように手を振りながら立ち上がる。
「勘違いしないでくださる? 馬鹿じゃあるまいし、あなたたちを攻撃になど使うものですか」
「はっ!? え? いや、それでは……」
「魔法攻撃を行うのは、私ひとりですわ」
そう言って歩き出したエリズルーイの後をヴィラは慌てて追う。
「た、たったおひとりでですか!?」
「耳がお悪いんですの? 何度もいわせないでくださいな。あなたを呼んでおいたのは、こうなることを見越して、敵の様子を窺っている歩哨の兵を下げさせるためですわ。すぐに通信機を使って全軍に通達なさい。それとも作戦前の私の手を煩わせるつもりですの?」
「あ、いえ、承知いたしました!」
命令通り、イヤーカフに手を当て、各部隊長に向け命令を伝えながら、ヴィラは、目の前を歩く女の正気を疑う。
たしかに、エリズルーイは魔法の天才だ。
彼女に比べれば、小国の宮廷魔導士程度の地位で満足していた己が、如何に狭い世界しか知らない凡人だったかと痛感させられる。
例えば、魔法式と魔法構文の専門家だという彼女が、その研究の果てに編み出したという〝短縮魔法〟は、間違いなく魔法史を塗り替えるほどの発明だ。
どういうわけかその知識を発表しようとしないが、大陸中央の覇権国家ハリストンの魔法学会にでも持ち込めば、一躍時代の寵児として名を上げ、ディエビア連邦のような政局の安定しない国になど飼われずとも、あらゆる国から好待遇での勧誘を受けられるはずだ。
その〝短縮魔法〟は詠唱を大幅に省けることから、前線で攻撃魔法を使う際などには特に効果を発揮する。
実際、彼女はその魔法をもって、先の戦で革命軍の危機を幾度となく救ってきたという。
しかし、どんな天才だろうとできることとできないことがある。
たしかに、一級の殲滅魔法を使えれば、塹壕ごと敵に壊滅的な打撃を与えることは可能かもしれない。
しかし、短縮詠唱を用いても、一級魔法の行使には時間が掛かるというのは、エリズルーイ本人が公言していることだ。
如何に詠唱を短くできても、膨大な魔力を放つにあたっては、ある程度の時間を掛け体内で魔素を練り上げる必要があるからだ。
そして、ティファニア軍が〝魔視〟持ちの観測手を配置していないはずなどなく、一級魔法を使おうとすれば、すぐさま敵に気取られるはずだ。
その後は、ライフルの射程を優に超える矢を一斉に放たれることになるだろう。
矢の届く距離は、大抵の攻撃魔法の効果範囲を超えており、遠距離から一方的に魔法を撃つことは難しいはずだ。
しかも、余程特殊な魔法を付与した矢らしく、鎧や防御魔法さえ貫通してくるのだ。
たった一人でその射程内に身を晒すなど自殺行為に等しい。
「一級魔法なんて使いませんわよ?」
先を行く上官から、己の思考を読んだかのような指摘をされ、ヴィラは息を呑む。
「そんな大袈裟な魔法など使わずとも、塹壕の弱点を突けば簡単に相手を殲滅できますの」
エリズルーイは繋いであった鳥馬へ素早く飛び乗る。
ドレス姿でありながら、身のこなしは不自然な程に軽やかだ。
「それでは、私は魔法を使うためフィオーレに方へ出ますわ」
「お、お供いたします! それとできれば護衛もお付けください!」
「あなたが一緒に来たところでできることなどなにもございませんの。護衛にしても、攻撃される前に片を付けますので不要ですわね」
「いいえ! 副官として隊長をひとりで戦地へなど行かせられません! どうかご同行の許可を!」
エリズルーイは食い下がる副官に馬上から面倒そうな視線を向けると、溜息交じりに告げる。
「巻き添えを食っても良いのならお好きになさい」
「あ、ありがとうございます!」
副官の声を聞く素振りもなく、エリズルーイは馬を走らせていた。
慌てて近くの馬に駆け寄り、よじ登るようにして跨ると、ヴィラはエリズルーイの後を追う。
不慣れな馬上に身を竦ませながら、前方を颯爽と駆ける上官に視線を向けながら彼女は思考する。
あの革命の立役者であるアキヒトが提案し、エリズルーイが納得して動くのであれば、勝算は高いのだろう。
であれば、是非ともどんな魔法を用いるのか見ておきたい。
内面的には到底好きになれそうもない上官ではあるが、いち魔導士として学ぶべきところはいくらでもあるのだ。
ヴィラは馬から振り落とされそうな恐怖に顔を歪ませながら、天才の魔法を特等席で見られる幸運に、引き攣った笑みを浮かべるのだった。




