第四十五節 『対策』
「塹壕か……」
参謀本部の天幕内、幕僚たちの視線を受けながらアキヒトが呟いた。
「やってくれたな」
ライフルへの対抗策としてフィオーレの周囲を囲むように掘られた塹壕は、間違いなく、先日遠距離通信で会談したミツキという日本人の入れ知恵だろうとアキヒトは確信している。
自分と同じ世界の知識を持っている以上、それ自体は意外でもなんでもない。
問題は騎士団による陽動と奇襲が、どうやら完全に読まれていたらしいということだ。
常識的に考えれば北方以外の侵入経路などない以上、ディエビア連邦新政府軍が別方向から進軍して来るなどと、ティファニア側が予想するとはまるで想定できていなかった。
しかし、今にして思えば、ミツキが軍を率いることなく国境に現れたのは、フィオーレへの奇襲を警戒し、戦力を残してきたのだとわかる。
おかげで、歩兵部隊で一気に首都を陥落させるつもりが、逆に自軍に大きな損害を出してしまった。
前線の兵二万三千の内、死亡、もしくは戦線から下げられる程の怪我を負った兵は、千人を優に超えている。
しかも、突撃によるティファニア側の損害はほぼゼロらしいという。
「さすがに予想外です。まさか、塹壕やトーチカなんてものを用意しているなんて……もしかして、かなり前からウチらと戦争するつもりだったのかもしれませんね」
そう言ってアキヒトが手の中で弄ぶのは、ティファニア軍が塹壕の中から放ってきたという矢だ。
自軍の魔導士の見立てでは、矢羽根に魔法が付与されているのだという。
「ボクは魔法には詳しくないのでわからないんですけど、こういうのって簡単に作れるものなんですか?」
誰ともなしに問うたアキヒトに、卓に着いた幕僚のひとりが手を上げた。
アキヒトが視線を向けて小さく頷くと、起立して質問に答える。
「魔導機器の開発に携わるアキヒト殿にとって付与魔法といえば、人工素材である魔導性合成脂に対して施すという認識なのかもしれませんが、本来この手の魔法は自然由来の素材を対象として掛けるのが一般的です。もっとも、金属については魔法との相性が非常に悪いので、穂先や刃に直接施されることはまずありませんが。一方、素材としてもっとも付与魔法との相性が良いのが生物の一部です。一般的なものだと、鎧布が挙げられますな。あれは、特に魔法との相性の良い植物から採取された綿を織って作られますので」
「そうですか、鎧布……革命戦争で戦った連邦各国の騎士が身に着けていた布がそうだったな。たしか、防御や身体能力を向上させるための魔法が付与されていましたっけ」
「その通りです。そして、このように矢羽根に魔法を施し飛距離や速度、威力の底上げや防御魔法の貫通といった効果を得るというのも決して珍しくありません。ただ、ネックとなるのは製造に掛かる時間とコストです。生物由来の素材というものは、ひとつひとつに異なる魔力の波長というものが存在します。それゆえ、魔法を付与するにあたっては、素材に合わせた繊細な魔力操作が必要とされるのです。そうなると、専門職の魔導士がひとつひとつ手作業で付与を施す必要があるので、製作するのにも時間が掛かり、またその分値段も相応のものとなります。よって、軍でも支給品の武器に魔法が付与されているのは、余程の大国のみだと言えます。だいたいが、軍内である程度の役職に就いた者、あるいは無駄に意識の高い冒険者などが装備するケースが多いですな」
「ボクらの使う魔導兵装は、バーンクライブが工場で魔法を付与しています。この方法で大量生産が可能なのは魔導性合成脂というムラのない素材を加工すればよいからということですか。ということは、奴らは手作りでこの矢を揃えたということになりますね。先の戦闘での被害を考えれば、我々に備えて最近用意したものではないのかもしれません。なんにせよこちらは塹壕のおかげで攻められず、あちらはこの矢で一方的に攻撃できる。これでは当初の予定とは真逆です。早急な対処が必要ですね」
「それについてですが――」
幕僚のひとりが声をあげる。
「急いで対応せずとも良いのでは?」
アキヒトは一瞬眉を顰めてから問う。
「どうしてそう思うのですか?」
「ライフルだけで十分落とせるとの判断から歩兵を進めましたが、ここ本陣では魔導兵器の準備が着々と進められております。それを待ってから、万全の備えをもってひと息に蹂躙してしまえばよろしいかと」
他の幕僚の中にも、小さく首肯したり、同意の声を上げるものが少なくない。
なるほど、とアキヒトは思う。
初戦で大敗したにもかかわらず、幕僚たちの様子から戸惑いは感じられても緊張が伝わらないのはそういうわけか。
先程、幕僚のひとりが指摘した通り、ディエビア連邦側はすべての戦力を投入できているわけではない。
シールドマシンを使って掘り抜いた地下のトンネルは、巨大な魔導兵器を運搬するには狭すぎた。
だから、分解してこちらまで運び込み、本陣で組み上げているのだが、その大きさと数ゆえ、まだ数日は完成しそうにない。
しかし、それらの魔導兵器を投入しさえすれば、もはや塹壕など意味をなさず、自分たちの勝利は確実となる。
ゆえに、幕僚たちはこれ以上の犠牲は避け、整備班の手で兵器が組み上がるのを待つべしと言っているのだ。
しかし、アキヒトは首を振って見せた。
「だめです。前線の兵が攻め手を緩めれば、最悪こちらの目論見を気取られかねません」
そもそも、歩兵を先行させたのは、ライフルだけでも十分フィオーレを落とせると予測したからだけでなく、防衛機構もない即席の陣地を敵に攻められれば、せっかく用意した強力な兵器を使うこともなく、本陣が落とされる可能性があると危惧したからだ。
そのために、数少ない魔導士のほとんどを隠蔽魔法や偵察用の使い魔の駆除などに回しているが、敵が複数の斥候を使い本気で本陣の様子を探れば、こちらの目論見が露見し、ティファニア側は無理にでも攻撃に転じる可能性がある。
歩兵部隊は散開して進軍させているため、防御には向いていない。
最悪の場合、犠牲を厭わず堅固な陣形を組んで歩兵部隊を突破して来たティファニア軍によって、兵器を準備中の無防備な本陣が壊滅の憂き目に遭うという予測さえ立てられる。
よって、敵にはこちらが全力で攻めていると思い込ませ、防衛に徹してもらう必要があった。
「だから、あくまで塹壕の攻略をすすめなければならないんです。少なくともその姿勢を敵に見せ付け続ける必要があります」
幕僚たちは互いに顔を見合わせる。
「しかし、それではさらに損害が出ます。未だ戦は始まったばかりです。にもかかわらず歩兵部隊が機能しなくなれば、本末転倒ですぞ」
「べつに強行突破させようというわけじゃなですよ。塹壕への対策はちゃんと考えてあります」
余裕を見せるため、幕僚たちに微笑んで見せたアキヒトは、イヤーカフに手を当て、遠方に待機させている仲間と通信する。
「エリザさん、これからボクの指示通りの魔法で敵陣を攻めてもらいたいのですが」
『わかりましたわアキヒト様。それで、どうすればよろしいの?』
「はい、それではまず――」
エリズルーイに指示を出しながら、相手の手の内が見えているのはこちらも同じだとアキヒトは思考する。
それに、あのミツキという男は、今頃ブリュゴーリュ北部で、国境の要塞に駐屯するティファニア軍とともに、ジャダ将軍の率いるダイアス騎士団を相手にしているか、あるいは戦死しているだろう。
つまり、今のティファニア軍は知恵袋となる異世界人が不在なのだ。
そして、自分の策であれば、塹壕を突破できるどころか、その下に潜む兵を一掃できるはずだ。
そうすれば、これ以上自軍に犠牲を出さずに済むし、敵にしたところで、少なくともフィオーレの一般人を戦火に巻き込むような真似はせずに済むのだ。