第四十四節 『招集』
フィオーレをドーナツのように囲む塹壕陣地帯の内側、ティファニア軍本陣の天幕内に待機するサルヴァは、部下から戦況の報告を受けていた。
「各所のトーチカで魔導士の被害が報告されています。どうやら銃眼越しに銃撃を受けたようです。その場に居合わせた者らの証言によれば、遠方に撃退したディエビア連邦軍が布陣していたものの、遠すぎてそこから撃たれたのかは確認できなかったとのことです」
「わかった。トーチカは放棄し、魔導士は本陣まで下げるよう各所に通達してくれ」
そう指示を出し、伝令の兵を下げる。
蟲の通信ならサルヴァが自分で指示を出すこともできるが、最前線の兵たちの間では常に相互的な情報伝達によるリアルタイムでの戦況の把握が徹底されており、後方から迂闊に指示を出せば混乱を招くおそれがある。
それゆえ、現場への指示はソニファが統括する通信情報隊に一任されており、緊急時を除いてサルヴァが直接口出しすることはない。
「後退した敵陣との距離を鑑みれば、以前鹵獲したライフルでの狙撃はほぼ不可能だと判断できる」
かつてティスマスらの持ち帰ったライフルの性能は徹底的に検証していた。
トーチカは、その射程外からの魔法攻撃が可能なはずだった。
「つまり、敵はライフルの性能を向上させてきていると考えられる。少なくとも、射程はかなり伸びているはずだ。初戦でトーチカの魔導士が連中を退けられたのは、単に意表を突けたのか、銃兵の練度や得物の性能にバラつきがあったのか。いずれにせよ、トーチカを利用した魔法攻撃はあきらめた方が良いな」
そう言ってサルヴァは、背後に控える三人の部下に向き直り、その内のひとりに声を掛ける。
「そういうわけでキミの働きはあまり生かせなかったな。わざわざ本国から来てもらったのに申し訳ないね」
「気にすんなよ大将! 初戦で敵を削れたってことはまったく無駄ってわけでもなかったんだろ!? それだけでも儲けもんじゃねえか!」
がははと笑って答えたのは、第一王女親衛隊のひとり、オギュールド・スノヴェルだ。
ブリュゴーリュとの戦の後、ティファニア本国に戻りドロティアの護衛に就いていたが、ディエビア連邦へ備えるにあたり、厳重な管理体制のもと一基だけ機能を停止させずに残しておいた転移塔を用いて、急ぎサルヴァが呼び寄せたのだ。
塹壕陣地帯の最前に配置されたトーチカは、すべて〝堅岩の祝福〟を持つ彼が魔法で作り出したものだ。
祝福者の強力な魔法で形成された堅固な石壁は、ライフルの弾丸程度ではかすり傷も付けられないが、結局それも無駄になりそうだった。
そのオギュールドの隣に並び立つのは、やはりブリュゴーリュ戦の後、本国へ帰還していたシュウザ・シャラカンだ。
横目でオギュールドを窺う彼は、いつも通り暑苦しくも豪快な笑い声を上げる同僚の様子に微かな違和感を覚える。
以前、ブリュゴーリュへの進軍中に、戦死したマルキ・シャビーユへの態度を巡ってサルヴァに反抗し危うく斬られかけてから、オギュールドがどこか塞ぎ込んでいるように彼には見えた。
表面的には平素と変わらない態度だが、それはかつてサルヴァから窘められたように、〝キャラ〟がブレないよう必死に取り繕っているように感じられるのだ。
マルキの二の舞にならないよう、注意するべきかもしれないと彼は考える。
本来それをすべき親衛隊長のサルヴァは、部下の命になどほとんど頓着しない冷血漢なのだ。
「しかし、トーチカを攻略されたということは、次に敵が動くのは塹壕への対処だろう。実を言うとキミはそのために呼び寄せたんだ」
サルヴァはシュウザの隣に立つ三人目の親衛隊員に視線を向ける。
青みがかった灰色の長髪を束ねた物憂げな表情の美丈夫は、上官から言葉を掛けられ伏した目をゆっくりともち上げる。
クロゼンダ・マニハという名のその親衛隊員は、かつてミツキがドロティアから王宮に招かれた際、庭園に居合わせたうちのひとりだった。
口数が少なく何を考えているのかわからないようなところがあるが、祝福持ちの実力者ということもあって隊内でも屈指の実力者と高く評価されていた。
「キミにはすぐに塹壕外縁部の指定した地点へと向かってもらいたい。敵にミツキと同じ世界の人間がいるということは、塹壕への対応も早いはずだ」
「……わかった」
クロゼンダは短く答えると、足早に天幕の出口へと向かう。
「隊長、ひとつ聞きたいことがある」
送り出した部下の背に視線を向けていていたサルヴァに、シュウザが話しかける。
「なにかな?」
「あの塹壕ってやつが敵の銃撃に有効なのはわかった。フィオーレを囲むように陣地を構築した以上、敵がどこから攻めようと簡単に突破はできないだろう。しかし、それならどうしてこの塹壕陣地帯と街の間に平野を残した? 時間と人手にはまだ余裕があったし、なんなら現在進行形で工兵に塹壕を掘り続けさせてもよかったはずだ」
「大軍勢に捨て身で攻められて、今の塹壕帯を抜けられた場合を想定し、町の間近までもっと深く塹壕を掘っておいた方が良いってことだね?」
「ああ」
「理由はね、もし塹壕を突破されたら、今度は籠城戦をやらなければならないからだ。その場合、城郭の上から魔法や矢で奴らを迎え撃つことになるだろうけど、塹壕があると敵に利用されて、かえってこちらの攻撃が効き難くなる。最悪、塹壕に潜んで地下を掘り進めて来た敵に、地中から街へと侵入されるおそれさえある」
「なるほど……籠城するなら周囲は平野の方が都合は良いってことか」
「できればそうなるのは避けたいところだけどね。キミだって嫌だろ? 籠城戦は」
「……そうだな」
フィオーレを取り囲み、城郭の上の兵へとライフルを撃ち掛けながら、破城槌や攻城塔を押して群がるディエビア連邦の兵を想像し、シュウザは身震いする。
そして、戦闘以上に不安なのが兵糧だ。
フィオーレは城郭都市であり、中には街の住人も抱えている。
戦に備えて食料の備蓄は十分に掻き集めてあるが、それでも長期の籠城戦となった場合、城郭内は地獄と化すだろう。
「とはいえ、その場合先に干上がるのは奴らの方だろうけどね。なにせ遠路の行軍だ。敵の後方まで確認できていない現状、どうやってあのバカ高い山脈を越えて来たのかはわからないが、物資を輸送するだけでも相当負担なはずさ。普通に考えれば時間が経つ程こちらが有利になるはずなんだ」
「その〝普通〟が通用する相手とも思えないがな。あのライフルは、あくまで歩兵用の武器だ。もっと強力な魔導兵器を持ち出されたら、塹壕や城壁なんてあっという間に突破されるかもしれない」
「可能性の話をしたところで仕方ないさ。敵兵がライフルで武装している以上、当面の間、こちらにできるのは銃撃されないよう身を潜め、進軍してくる奴らを迎え撃つことだけさ。塹壕戦だろうが籠城戦だろうが、敵の消耗を待つしかないわけだ。幸い、ライフルには弾丸を消費するという欠点がある。無限に撃ち続けられるわけじゃない以上、いずれはこちらから仕掛けることもできるだろう。それまでは、せいぜい突破されないよう迎撃に徹しつつ気長に待つさ」
「守り一辺倒か……その割には随分と楽しそうだな」
「え?」
指摘され、サルヴァは自分が上機嫌であることに初めて気づく。
たしかに、シュウザが指摘するように、敵は〝普通〟が通用する相手ではない。
そして、だからこそ面白いと彼は思う。
なにしろ、敵の首魁はあのミツキと同じ世界から召喚された人間なのだ。
ディエビア連邦を革命にまで導いた手腕を鑑みれば、用兵術も相当なものと期待させられる。
そんな未知の存在が率いる軍との戦いは、ブリュゴーリュ騎兵との戦闘以来の高揚をサルヴァの心に沸き上がらせていた。
「まあ、たしかに、わくわくしているかな。キミたちも楽しみなよ、戦争をさ」
己の不謹慎な発言に眉を顰める部下たちなど気にすることもなく、サルヴァは戦の先行きを想像して薄く微笑んだ。