第三十二節 『捨て身』
「〝壱式・波濤〟」
振り抜いた刀から生じた黒い斬撃の波が、射撃を続けていた武者たちの隊列を貫き、不幸にも直撃した者の体を鎧ごと引き裂いて吹き飛ばした。
刀を振り上げたままのミツキの後方から、別の武者たちの足音が鳴る。
「怯むな! ライフルが効かぬのならば槍で貫いてやれ!」
首を捻り、横目で背後を窺えば、ライフルに銃剣を装着し、盾を構えた武者たちが迫っていた。
しかも、散開しているため、斬撃を直線的に飛ばす〝壱式・波濤〟ではすべての敵を蹴散らすことができない。
だが、ミツキは慌てた様子もなく、刀を振り上げた手首をしならせる。
すると、砂鉄に覆われた刀身が、空中に弧を描いた。
「〝陸式・鉄鞭〟」
鞭のようにしなりながら伸びた砂鉄の刃か、ミツキに迫っていた武者たちの首をまとめて刎ね飛ばした。
さらに後続の武者たちが迫るも、左右から素早く振られる伸縮自在の刃に次々と倒されていく。
「銃弾で倒せないからって白兵戦ならどうにかなるとでも? そりゃ発想があまりに――!?」
言葉の途中で、ミツキは大きく目を見開くと、弾かれたように斜め後方へ顔を向けた。
その瞳が、迫り来る巨大な火球を捉え、おもわず毒づく。
「くそっ!」
ミツキに直撃する前に火球は爆裂し、戦場を熱風が撫でた。
周囲の武者たちは、鎧の上から身を焦がすような熱と衝撃に耐え、爆風をやり過ごすと眼を守るため顔の前にかざした手をおろす。
その視界の向こうに、キノコのような形状に立ち昇る爆煙を確認し、歓声を上げる。
しかし、数秒の間を開け、立ち込める煙を突き抜けて、戦場を疾走する影が現れた。
敵の武者から奪った大盾に乗ったミツキだ。
釣鐘形の盾の下には、砂鉄によって波が生じ、サーフィンのように戦場を滑っていく。
「〝拾肆式・盾滑〟……って、あっちぃ!」
高速移動用の〝型式〟だ。
敵の進路上に先回りできたのもこの技のおかげだった。
ミツキは盾の上でバランスを取りながら、ひりひりと痛む火傷に表情を歪めた。
砂鉄の防御は物理攻撃にはめっぽう強いが、一方で魔法攻撃に対してはあまり効果を発揮しない。
鉄ゆえに熱を通しやすいため、先程のような炎の魔法に対してはほとんど無防備だし、冷気や電気を防ぐこともできない。
水や強力な風を受けても、砂鉄ごと吹き飛ばされてしまうだろう。
衝撃や斬撃を飛ばすような魔法であれば防げる可能性はあるが、いずれにせよ要注意だ。
敵が軍の精鋭である以上、魔法を使われる可能性は考慮していたが、実際に食らいかけると肝が冷えた。
とはいえ、ここが敵陣のど真ん中である以上、味方を巻き込むことを恐れ、むやみに連発することはできないはずだとミツキは考える。
この〝拾肆式・盾滑〟で撹乱しつつ、敵が魔法を使えないよう考えて立ち回るべきだろう。
盾に乗り戦場を猛スピードで滑りながら、ミツキは砂鉄の刃を鞭のように振るって敵の体を次々と引き裂いていった。
戦場を縦横無尽に駆け抜けながら、すれ違いざまに部下をなます斬りにしていく敵を睨み付けながら、ジャダ将軍はイヤーカフに手を当て全軍に向けて叫んだ。
「何をしている! ライフルや銃剣で仕留められぬのならば魔法を使え! 元より貴様らは魔導戦のエリートであろうが!」
「閣下、その、申し上げにくいのですが、不意打ちならともかく、あれ程のスピードで動き回られては、詠唱とタメが必要な魔法で奴を仕留めるのは容易ではありません」
進言する副官に振り向いた将軍は、顔を赤らめて怒鳴り散らす。
「言われずともわかっておるわそのようなことなど! だったら範囲攻撃魔法を進行方向へ向けて放てば避けようもあるまい!」
「自軍のど真ん中ですぞ!? そのような真似をすれば、多くの味方を巻き込むこととなります!」
「そんなことを言っておる場合か! あれはただの祝福者ではない! 奴の顔に入れられた数字、あれはカルティア人が被召喚者の体に入れる管理番号だった! それにあの顔立ち! 奴はティファニアの擁する異世界人だ! 陛下が近習に選んだ異世界人が使った魔法の威力を忘れたわけではあるまい! こちらの戦力が損なわれていないうちに損害覚悟でどうにかできなければ、最悪全滅すらあり得るぞ! 奴自身、端からそのつもりで攻めておる!」
狼狽する副官から再びミツキに視線を戻した将軍は、あらためて部下に命じる。
「聞いていたな我が騎士たちよ! 今が命の捨て時ぞ! 各班、広域魔法での攻撃に移れ! 損害は気にせず敵の撃破を最優先せよ! 広域魔法の使い手以外は発動まで魔法手の防衛と敵への牽制に努めるのだ!」
将軍からの命令に、戦場に散らばった攻撃魔法の使い手たちが一斉に詠唱を開始する。
隊列は崩れ、戦場には満遍なく兵が散っているため、範囲攻撃魔法を一斉に使ったりすれば、ダイアス騎士団の被害は壊滅的なものとなるだろう。
しかし、それだけの犠牲を払っても、ティファニアの被召喚者と思われる敵の男はここで叩かねばならないと将軍は強く思う。
先程、敵が黒い粉を飛散させた場所を窺えば、地面に円形の赤い沼が出現している。
沼の正体は、液状になるまで引き裂かれた部下の騎士たちだ。
オーバーキルという以外に、将軍は言葉が見つからない。
ほんの一瞬でこのような地獄を作り出したあの化け物を放っておけば、いずれダイアスの脅威となるだろう。
そうなれば、もはや祖国を奪還するどころの話ではない。
だから、早く魔法を放てと将軍は心の内で念じる。
しかし、魔法の詠唱の長さは、一般的に攻撃の威力や効果範囲に比例すると言われており、どの兵士も詠唱には短くとも十数秒は必要なはずだった。
しかも、広域魔法となれば、使用前に展開される魔法陣も人間の体が入るほどに大きくなる。
つまり、術者の位置がかなり目立つのだ。
だからこそ将軍は部下たちに、一斉に魔法を使うよう指示を下したのだ。
あれだけ高速で動き回り、無詠唱で遠距離攻撃ができる敵であれば、魔法が発動する前に自分を狙う術者を仕留めるのは難しくないはずだ。
だが、戦場のあらゆる場所で一斉に詠唱をはじめれば、さしもの奴とてすべてに対処することなどできまいと将軍は考える。
よって、この方法なら仕留めるのは可能だろう。
問題は、どれだけの損害を出すことになるかだ。
奴が魔法攻撃を受けるまでに、どれだけこちらの魔導士が排除されるかによって、ダイアス軍の被害は大きく変わって来る。
ゆえに将軍は、これから兵士らが詠唱を完了するまでの間、人生で最も長い十数秒を己は体感することになるのだろうと考える。
が、そんな将軍の覚悟は、次の瞬間には無駄となった。
戦場に展開された光の方陣のひとつが、唐突に消失したのを皮切りに、連鎖するようにして魔法陣が霧散し始めた。
その異様な光景に、将軍はおもわず眼を剥く。
「なっ、なんだ!? ……なにが、起こって!?」
視線を動かせば、魔法陣の消失は、敵の異世界人の近くから広がっていっているように見える。
そして将軍は、自分に近い場所で展開された魔法陣が消失する直前、術者である部下の頭部が弾け飛ぶのを視認した。
「まさか……これも、奴の仕業か!」
将軍にとって誤算だったのは、狙撃こそミツキにとっての十八番だったということだ。
遮蔽物のない平野で、光を放つ魔法陣を体の前に浮かび上がらせた敵など、いい的以外のなにものでもない。
〝塵流〟で戦場を疾走しながら〝飛粒〟で敵の術者を次々と狙い撃ったミツキは、自分の天敵となる広域魔法の使い手たちに何もさせることなく、彼らを排除することに成功したのだった。