第三十節 『圧倒』
自軍の中心に、文字通り降ってわいた異様な装いの敵に、ダイアスの王国騎士たちは静まり返った。
ただひとりの敵を数千人で取り囲み銃を向けながらも、発砲を試みる者はひとりとしていない。
これまでのように防がれたうえ、気を引いたことで先程の魔法の標的となるのを恐れているのだ。
一瞬で自分たちの懐に飛び込んできたティファニア兵に鋭い視線を向ける将軍は、敵の魔法の正体を見極めようと思考を働かせる。
その身に纏う黒いなにかは、着地の瞬間周囲に飛散し、将軍の体をも掠めた。
遠目にはまるで生き物のごとく蠢く影のように見えるが、鎧越しに触れたそれは物理的な実在を感じさせるものだった。
それが掠めた部分を見ようと視線を下げた将軍は、眉を顰める。
白い鎧の表面に、黒い汚れが付着している。
籠手を外し指で掬うと、さらさらとこぼれながらも、汗で湿った指の表面に僅かな量が残った。
数秒観察した将軍は、口の端を釣り上げながらイヤーカフに手を当て叫ぶ。
『なにも恐れることはないぞ、我が騎士たちよ! その者の周囲に漂うのはただの黒い粉、つまり虚仮脅しよ!』
指揮官の自信に満ちた声に、騎士たちはどよめく。
将軍は勝ち誇った笑みを浮かべ言葉を続ける。
『何らかの魔法でその黒い粉を操るそ奴は、別の魔法をあたかも自分の纏う闇の如き瘴気の仕業と見せかけこちらの動揺を誘ったのだ! だが、仕掛けがわかってしまえば何も恐ろしいことなどない! 先程はどうやったのか銃撃を防いだようだが、これだけ距離を詰めた状況で全方向からの射撃を防げるものか! 迂闊にもこんなところまで踏み込んできた愚挙を後悔させてやるのだ! 打ち方用意!』
将軍の言葉を聞き、兵士たちは反射的に引き金に指をかける。
その表情は、恐怖から解放された安堵と、ペテンにかけられ敵を恐れた屈辱と、味方を殺した相手への憎悪で一様に歪んでいた。
『てぇ!!』
号令に続いて甲高い金属音が一斉に鳴り、ティファニア兵を包んだ黒い物体の表面に無数の火花が散る。
銃弾が敵の全身に命中していることが確認できても、ダイアスの武者たちは銃撃を止めようとはしなかった。
敵は立ち尽くしたまま倒れる気配がない。
将軍から攻撃を止める命令も出ていない。
だから、銃撃に参加したすべての兵は、装弾数である五発を撃ち切った。
『撃ち方止めい!』
将軍の合図に、兵士たちは銃撃、もしくは装填の動きを止め、襲撃者に注視した。
襲撃者のティファニア兵は未だ倒れていないが、それは男に纏わりつく黒い物質が支えているだけのようにも見えた。
動かぬ敵を見据えながら、副官が将軍に話し掛ける。
「……仕留めましたかな?」
「あれを喰らって無事ということはあるまい。しかし、あの粉が奴を支えているところを見ると、単騎というわけではなかったようだ。自己強化型の補助魔法は、術者が死ねば効果が失われるものだからな」
「彼奴に魔法を掛けた者が別にいると?」
「そのはずだ。でなければ――」
ふたりの会話を遮るように、ティファニア兵の身を包んでいた黒い粉が霧散し、周囲をドーム状に包み込んだ。
黒い粉は霧のようにティファニア兵の周囲に広がると、将軍たちの眼前まで覆い尽くしたところでその動きを止めた。
「な、なんだ!?」
「やはり術者は奴だったのでは!? 魔法の効果が切れた結果ではありませんか!?」
「いや、この粉の広がり方には、なにか作為的なものを感じる!」
将軍はイヤーカフに手を添えると、部下たちに向け指示を飛ばす。
『全軍、粉に包まれた空間から距離を取れ! 霧散した粉に飲み込まれた者は、急ぎ中から離脱せよ!』
「閣下もお早く、あれから離れてください!」
「わかっている!」
副官に促され、馬の手綱を引きながら、将軍は黒い粉の充満する眼前の空間を忌々し気に睨み付け毒づいた。
「くそっ! なんだというのだいったい!」
砂鉄に包まれ銃弾の雨をやり過ごしたミツキは、まず自分のまわりの敵兵を一掃することにした。
見回せば、周囲は一面が念動によって飛散した砂鉄に包まれており、二メートル先も視認できない。
砂鉄の充満する空間の向こうからは敵兵の声が聞こえてくる。
「ゲホッ……助けて、く、れ! 息が、できな、いんだ!」
「おい、おいしっかりしろ! 誰か、手を貸してくれ! こいつ、この黒いやつを吸い込んじまったんだ!」
「布で口元を塞げ! 直に呼吸するのはまずい!」
「なにも見えねえ! 離脱しろったって、これじゃあどっちに向かえばいいのかわからねえぞ!」
「目が! め、目に入っちまった! ちくしょう、痛え! 目が潰れちまうぅ!」
「落ち着け! 水で洗い流すんだ!」
「こんな状況で水なんか出せば、すぐこの粉で汚染されちまうだろうが!」
「どうなってんだよ! ひどく動き難いぞこの中! まるで水の中、いや、なにかの粘液にでも漬かっているみたいだ!」
狙い通り、周囲の敵は完全に恐慌状態に陥っていた。
この状況を作り出すために、ミツキは〝塵流〟の〝型式〟をふたつ使っている。
まず、遠方から上空に体を押し上げ、敵陣の中へ移動するのに用いたのが〝拾壱式・陞龍〟。
ビゼロワにて肉塊の化け物と戦った時に砂鉄で足場を築いたのを基に考案した技だ。
移動ばかりか高所への足場としても使える技で、〝飛粒〟と併用すれば頭上から敵を狙い撃つこともできる。
そして、全方向からの射撃をやり過ごした後に使ったのが〝弐式・黒霧〟。
自分の周囲の空間に砂鉄を漂わせ、その内に取り込んだ相手の呼吸を妨げ視界を奪い動きを阻害することができる。
さらに、この弐式は続く技によって効果範囲内の敵を一掃することも可能だった。
「〝参式・旋風〟」
呟きと同時に、周囲に展開した砂鉄が、ミツキの体を中心に高速で周回飛行を始める。
黒霧の内に囚われていた敵兵は、〝飛粒〟と同等以上の威力で旋回する砂に全身を引き裂かれ、悲鳴をあげる間もなく液状にまで粉砕された体を大地にぶちまけた。
まるでミキサーだなと思いつつ、再び砂鉄を自分の体の周囲に集結させる。
元々鉄臭い砂は、敵兵の血を吸ったことで咽るような臭気を放っている。
生臭さに顔を顰めつつ晴れた視界の向こうを窺えば、砂鉄に覆われた空間が一瞬で晴れたのに驚いた敵兵たちが、続いてその中に閉じ込められていたはずの味方が消失したことに戸惑いの表情を浮かべた。
ミツキはその中でもっとも豪奢な装飾の施された鎧と、金糸で刺繍の入れられたマント型の鎧布を身に纏った厳つい中年男に目を付ける。
先程、兵士らに射撃の指示を出していたのもおそらくこの男だったはずだ。
同じように特別な装いの武官を周囲に従えており、己との間には護衛と思われる屈強な武者が犇めいていることからも、おそらくはこいつがこの軍の指揮官ではないかとミツキは推察する。
指揮官らしき男は、砂鉄の晴れた空間から部下の姿が消えたこと以上に、ティファニア兵ただひとりが残っていることに意表を突かれたらしく、呆気にとられたような表情でミツキに視線を向けている。
ミツキは指揮官の男に向き直ると、身を屈めてから大きく跳躍した。
踏切りの瞬間、砂鉄で体を押し出し、数十メートルの距離を一気に詰める。
生身の人間では足が折れる勢いで跳んだが、着地の瞬間に足の下へ砂鉄を移動させ衝撃を和らげた。
間合いを詰めてきたミツキに、護衛の武者たちは一瞬身を竦ませるが、すぐに敵を討ち取ろうとライフルを構える。
しかし、ミツキが砂鉄を捲いた耀晶刀を横薙ぎに振ると、胴を真っ二つに両断された武者たちはガシャガシャと鎧の崩れる音を響かせ大地に頽れた。
「なっ! なぁっ!!」
「動くな!」
絶句する敵将の喉元に剣を突き付け、ミツキは冷たい声で問い掛ける。
「この軍の指揮官と見受けるが如何か?」