第二十八節 『防遏』
元ダイアス騎士団を指揮する将軍、ディスナード・ジャダの号令に続いて、ライフルを発砲する金属音が平原に響きわたった。
満足げな笑みを浮かべ遠眼鏡を覗き込んだ将軍は、一瞬の間を置いて、困惑の表情を浮かべた。
「無傷、だと?」
遠眼鏡を下ろしつつ、副官に視線を向ける。
「射程距離を外れていたか?」
副官も遠眼鏡で標的を観察しながら応じる。
「い、いえ。射程範囲内です」
「間違いないか?」
「射程の観測は対魔法戦の必須技能です。間違えようがありません」
「アキヒトの小僧が不良品を持たせたのではあるまいな?」
「それもあり得ません。ここに来るまで幾度も試射を重ね、使えることは確認済みではありませんか」
「ならば外したというのか? これだけの兵が一斉に撃って?」
将軍は忌々し気に呟くと、イヤーカフに触れながら声を張り上げる。
「なにをしている貴様ら! 敵は健在だぞ! 余興とはいえ真面目にやらんか!」
戸惑う騎士たちに向け、将軍は遠眼鏡を覗きつつ再び命令を下す。
「えぇいもう一度だ! 撃ち方用意! 放て!」
金属音が断続的に鳴り、突き出された騎士たちのライフルが、射撃の反動で一斉に揺れる。
遠眼鏡で標的を観察していた将軍と副官は、同時に眼を剥いた。
標的の前方で無数の火花が散ったからだ。
つまり、放たれた弾丸は、遠方のティファニア兵に命中する前に、目に見えない壁のようなものに阻まれたのだと推測できた。
「防御魔法か!?」
「い、いえ、それにしては妙です! 一般的な防御魔法は魔法陣の展開や発光現象などなんらかの視覚情報を伴うはずです! 敵にはそれが――」
ティファニア兵を観察していた副官は、一瞬言葉に詰まると、将軍に視線を向ける。
「あの男、よく見れば腰まわりや肩から腰に掛け、なにかの器具のようなものを複数装着しております。あれは魔導兵装では!?」
「なに!? ティファニアが魔導兵装を開発していたというのか!? だとすれば、先程の射撃を防いだのもそれの仕業だということか!?」
「い、いえ、そこまでは。しかし、もしこの推測が当たっていたとすれば、ただ考えもなく突出してきたわけではない可能性も――」
「か、閣下、進言の許可をいただきたく!」
将軍と副官のやりとりを遮ったのは、ライフルを携えた徒歩の武者だった。
部下の行動にふたりは一瞬眉を顰めるが、将軍は部下の口調から伝わる緊張に気付いて発言を許可する。
「話せ」
「私は先の賊徒共との戦で、あれと似たものを見たことがあります! おそらく、私以外にも思い当たる者は少なくないと思われます!」
「なに!? あれがなにかわかると申すか!」
「い、いえ、似ているというだけで確証はないのですが……」
「かまわん。知る限りの情報で良い。申してみよ」
「はっ! 先の戦で相対した敵の中に、奴のように円筒状の金属の塊をたすき掛けにした者がありました。そ奴らが、その円筒から先端の金具を引き抜き投げると、僅かな間を置いて爆発しました。我々の仲間は爆発に巻き込まれ、あるいは破裂した金属の破片を浴び、大きな傷を負う者が続出したのです」
部下からもたらされた情報に、将軍と副官は顔を見合わせる。
「爆破型の魔道兵装の情報はたしかに報告されております。ただ戦の終盤に投入された兵器らしく、ライフルに比べればさほどの被害は報告されておらず失念しておりました」
「あれがそうだというのか? だとすれば、なぜティファニア軍が持っているのだ!? いや、それよりも射撃を防いだものの正体がわかっていないではないか!」
動揺するブリュゴーリュの騎士たちだったが、将軍らの交わす話の内容は、実のところまったくの見当はずれだった。
ミツキは弾き落とされた弾丸のひとつを念動で手元に引き寄せる。
浮き上がった弾をキャッチすると、掌の中に納まったそれは、先端に針で刺したような傷が付き、僅かに拉げている。
「見事にすべて弾けたな。実験済みとはいえ、さすがに冷や冷やしたが」
先程、二度の斉射によって放たれた銃弾を防いだのは、当然魔法ではない。
だが、単純な念動でもなかった。
ミツキは過去、雨のように浴びせられる矢を念動で逸らしたことがあったが、それは矢を視認できたからこそ可能だった。
目で捉えることのできない銃弾は、念動では止めることはおろか逸らすこともできない。
ではどのようにして銃弾を弾き落としたのかといえば、敵との射線上に念動で砂鉄を浮かべていたのだ。
砂鉄といっても、その一粒一粒には〝飛粒〟一発と同じだけの魔力が込められている。
しかも、小さい物体である程、操ったときの威力は増すという能力の性質上、当たった際の被弾面積などを計算に入れなければ、砂鉄の一粒には〝飛粒〟以上の力が働いているといえた。
ゆえに小さな砂鉄の一粒でも、弾丸を防ぐには十分だった
そして、遠方からでは視認できない細かな砂鉄は、敵とミツキの間で霧ように漂っていた。
もし、敵騎士団を率いる将軍か副官がもっと冷静に遠眼鏡から見える風景を観察していれば、敵と自分たちとの間の空間が微かに黒く煙っていることに気付いただろう。
とはいえ、仮に気付けたところで、結局はただの砂塵としか判断しないはずだ。
このミツキの能力は、ブリュゴーリュ王に寄生していた肉塊の化け物を倒す際、砂鉄を操作した経験を基に編み出されたものだ。
以前使った際には、無茶な能力の行使に脳が耐え切れず気絶してしまった。
ギリギリで肉塊の化け物を倒せはしたものの、あのままでは実用性に欠けると言わざるを得なかった。
そこで考えたのが、単純に砂鉄の量を減らすという対処法だった。
状況に合わせて操る砂鉄の量を調節できれば、消耗をコントロールできるはずだった。
そして、そのために利用したのが超拡魔導収納器という魔導機器だった。
カルティアからもたらされたというその道具をミツキが初めて目にしたのは、かつてブシュロネア軍に占拠されたアタラティア国境の砦を攻める直前だった。
水筒のような金属の筒一本に、馬車十台分以上の積載量に相当する質量の物体を収められるその魔導機器は、道具の口より大きなものは入れられないという制限こそあるが、水や全粒穀物を入れる分には特に問題などないため、兵站や軍事施設などにおけるの食料の備蓄などには大いに役立っており、軍でもっともよく使用される魔導機器のひとつだった。
そして、この魔導機器を使えば、大量の砂鉄を運搬することも可能だった。
ミツキにとってその容積と同じくありがたかったのは、どういう原理かは不明だが、収納した物質の重量も大幅に軽減されるということだった。
フィオーレを発つ前、ミツキは砂鉄を満杯まで詰め込んだ超拡魔導収納器を改造したベルトに通して腰に巻き、また肩からたすき掛けにして身に着けていた。
その数、三十本。
単純計算で馬車三百台分の積載量を越える容量だ。
「敵は銃兵四千人……とりあえず十本でいってみるか」
そう呟き、ミツキは自分の体に巻き付けた超拡魔導収納器に意識を集中させる。
以前、アタラティア軍が使っていたものよりも新しい型らしく、蓋をとらずともスイッチひとつで口が開閉する仕組みになっている。
ミツキの念動によってカタカタと短く震えた金属製の円筒の先端が開いた。
三度目の射撃を敢行しようと兵たちに射撃の用意をさせつつ遠方のティファニア兵の様子を窺窺っていたダイアス軍の将軍と副官は、レンズ越しに見える敵に起きた異変に息を呑む。
「な、なんだ、あれは!?」
突如、その身から溢れ出た漆黒の物質が、ティファニア兵の体を巨大なマントのように包み込んだ。