第二十五節 『決裂』
『へ?』
ミツキの返答に、アキヒトは呆気にとられたような表情を作る。
『……あれ? えっと、聞き間違いかな? 今キミは――』
「〝馬鹿め〟と言ったんだ。お断りって意味だ間抜けづらが」
ミツキの言葉に、アキヒトは怒るでもなく、失望したような顔になる。
『それは、キミの独断で決めていいことなのか? 何が気に入らないのか知らないけど、キミの浅はかな判断のせいで、ブリュゴーリュとティファニアの人々が戦争に巻き込まれることになるんだぞ?』
「銃を突き付けながら言うことかよ偽善者が」
アキヒトを睨み付けながら、ミツキは言葉を継ぐ。
「北へ備えるために力を貸せってんならまず講和を求めるべきだろうが。それを、護ってやるから土地と資源と技術と人質まで差し出せだぁ? そうじゃねえだろ! 北から敵が攻めてきそうだってのに、背後にティファニアがいたんじゃ安心できないってこったろうが!」
指摘を受け、アキヒトは動揺の表情を見せる。
ミツキは続けて捲し立てる。
「弱みがあるのはテメエらの方だってのに、自分たちが頭下げて協力を請うところを上から目線で下に付けだと? 笑わせんな、バーンクライブの太鼓持ちが!」
アキヒトは狼狽のため僅かな間視線を彷徨わせるが、大きく息をついて気を鎮めると、己に鋭い視線を向けるミツキの目を真っ直ぐに見つめ返した。
『たしかに、ボクらにとってティファニアは脅威だ。キミたちは戦争によってブシュロネアを破綻させブリュゴーリュを占領している。はっきり言って、軍事力と地理的な条件を考慮すると、普通に手を携えるのはリスクが高すぎるんだ。対等な同盟関係を結んだとして、北から攻められている最中に裏切られて背後を突かれたりでもしたら、ボクらには為す術がない』
「だから軍事力で脅したうえ、ティファニアの強みである王耀晶やドロティアの〝人見の祝福〟を奪おうってことだろ?」
『先に言ったことにも嘘はないけど、まあ、そういうことだ。それになにより、ブリュゴーリュをこちらで押さえれば、他の国境は闇地で遮られている以上、うちの国にもバーンクライブにもティファニアがすぐ攻めてくることはできないからね』
「つまり、おまえらは不平等な関係を迫る以外に術はなかったと」
『そういうことなんだ。正直に打ち明けたところであらためて――』
「〝馬鹿め〟と言った。翻すつもりはない」
『よく考えろ! 人が大勢死ぬぞ!』
「おまえらは信用ならないって言ってんだよ! それに、おまえがオレ等の安全を保障したとして、後々バーンクライブがティファニアの土地や資源を欲したらどうなる! おまえらに止められるのか!? 奴らの気が変わったときに、ブリュゴーリュを差し出したことで地理的に不利になっているうえ、こちらが提供した王耀晶でさらなる力を得たバーンクライブが相手じゃそれこそ為す術なんてないだろうが! そうなりゃ隷従するしかない! 将来的にはティファニアの益となるだと!? 逆だ! 先のことを考えるなら、おまえらと組むという選択肢は絶対にあり得ないんだよ!」
ミツキとアキヒトは、しばし無言で睨み合う。
先に目を逸らしたのはアキヒトの方だった。
苦し気に表情を歪め、俯きながらなおも言葉を継ぐ。
『……うちの国に来れば、キミと、他のティファニアの異世界人には今以上の地位を約束する』
呪いで縛られているので無理だ、とは言わない。
呪いがなくともこの男の誘いに乗るつもりはないからだ。
「ティファニア人の仲間や部下を売れと? おまえ、どこまでオレをコケにするつもりだ?」
『いや、そんなつもりは、ないんだ……ボクはただ、同郷のキミはもちろん、自分と同じ被害者である異世界人とは、できるだけ戦いたくない、それだけなんだ……でも、もう、交渉の余地は、ないみたいだな』
「ああ。おまえとは、手を取り合えない」
アキヒトは目をつぶり、しばし額をおさえてから、ミツキに視線を向けた。
『わかった。じゃあ、次に会う時は、戦場で』
「ああ」
魔導機器から放たれる光が消えると、投影されたアキヒトの姿も消え、イヤーカフから聞こえていた音声も途切れた。
ミツキは耳からイヤーカフを毟り取ると溜息をつく。
「……結局こうなったか」
そもそもサルヴァがやる気満々なため、この結果によってミツキの立場が危うくなることはないと思われるが、アキヒトが指摘したように、自分の選択が「浅はかな判断」でないという確信はまったくない。
リスクを払い、サルヴァと敵対することになろうと、恭順を選ぶべきだったのではないか。
もはや取り返しなど付くはずもないが、ミツキは胸の内の重い感情に表情を歪め歯を食い締める。
「ミツキ様には苦渋の決断だったことでしょう。心中お察しいたします」
ディルに話し掛けられ、ミツキは俯いていた顔を上げる。
会談中も部屋の隅に控えていたこの男の存在をすっかり失念していた。
「まあ、覚悟はしていたんだけどな……なあ、ちょっと訊いていいか?」
「なんでしょう?」
ミツキに尋ねられ、ディルは微かに首を傾げる。
「率直な意見が知りたいんだが、オレの選択は間違っていたと思うか?」
近くで聞いていただけのエンジニアに意見を求めるとは、大分弱っているなとミツキは心中で自己分析する。
問われたディルは、腕を組み少し考えてから答えた。
「正直、ブリュゴーリュの侵攻で故郷を焼かれた身としては、戦争はもううんざりです」
「……そりゃ、そうか」
よくよく考えてみれば当然だと気付く。
第十四副王領は先の戦争で陥落した東部副王領のひとつだ。
己も大概デリカシーがないと自己嫌悪に陥る。
「ですが、脅されたからといって、いちいち屈していては、国は立ちゆきません。私が思いますに、結局選択の正否というものは結果によってしか計れないのではないでしょうか」
「……決まったことを悩むよりも、今後のために知恵を絞り、最良の結果を出すのがオレのするべきことか」
ディルは穏やかに微笑むと小さく頷く。
技師というよりは教師のようなもの腰だなとミツキは思う。
ともあれ、おかげで少しは心が軽くなった気がする。
まずは、とにかく動くしかない。
「参考になったよ。礼を言う。ところで、奴らとことを構える前に聞いておきたいことがある」
「なんでしょう?」
「このイヤーカフなんだが――」
話の途中で、部屋の外を走る複数の人物の足音が耳に届き、次いで広間の扉が勢いよく開かれた。
「ミツキ殿! 敵が進軍を開始しました!」
ヴォリスの叫びに、ミツキは小さく舌打ちする。
「早速か。迷いがある様子だったが、動きは迅速だな。国を転覆させただけはあるということか」
「交渉は決裂したのですな?」
「そういうことだ。ディエビアとは現時点をもって戦争状態となる。フィオーレにも使い魔を放って伝えろ」
「了解いたしました! 砦の兵たちの出撃準備は完了しております! 兵力差はさほどではありません! ミツキ殿とオメガ殿が率いてくだされば、必ずや退けることができるでしょう!」
「いや――」
敵のライフルの射程が、大抵の魔法より広いということは確認済みだった。
要塞の兵をいくら出したところで、犠牲が出るだけだ。
「兵は出さない。オレとオメガだけで出撃する」
「なっ!? 正気ですか!? いくらなんでもそれはさすがに――」
「そもそも援軍を連れてこなかったのはそのためだ。オメガを連れてこい。オレたちが出撃した後は、門を閉ざし、物見を立て使い魔を放ち戦況の把握に務めろ。オレたちが無事連中を殲滅できればよし。まんがいち失敗したとしても、安易に出撃するな。その場合、籠城して奴らを少しでも長く足止めしろ」
「し、しかしっ……いえ、了解いたしました」
ヴォリスは悲壮な表情で首肯すると、部下に命じてオメガを呼びに行かせる。
「ああ、それとな、作戦行動中、オメガの連れている犬を預かっといてくれ。くれぐれも丁重に扱うように。傷ひとつ付けただけでも、奴は味方だろうがお構いなしにこの要塞の兵を皆殺しにしかねん」
「え? は、はっ! あ、あれは軍用犬かと思いましたが、違うのですな? どおりでオメガ殿の可愛がりようが尋常でないはずです。あの方のペットでしょうか?」
「いや、ペットというか……説明が面倒だから訊くな。それと、ペットという言葉もオレらが滞在中は使用するな。特に、オメガの前では絶対に使わないようくれぐれも注意しろ」
「はあ」
戸惑った反応のヴォリスに、ミツキはもうひとつ注文を加える。
「あと、盾をひとつ貸してくれないか? 要塞なんだからないってことはないよな」
「はっ。た、盾、ですか? それは、余るほどございますが、軽盾から大盾まで、いろいろ種類があります。どのようなものをご所望ですか?」
「できるだけ大きなやつがいい。それこそ、人が乗れるほどのな」