第二十三節 『通信』
「ここです。どうぞ、お入りください」
先導していた下士官が開けた観音開きの扉の奥へ進むと、中は奥行きのある大部屋だった。
元は礼拝堂として用いられていた広間らしく、奥には精霊神を現す光の広がりのようなデザインの偶像が設置されている。
神聖精霊派の活動が盛んなブリュゴーリュの要塞ならではの施設だ。
そんな広間の中心付近に、見たこともない機械が複数配置されている。
ミツキは機械へ歩み寄りながら、斜め後ろに従うヴォリスに尋ねる。
「これが例の?」
「はい。ディエビア連邦の使者が置いて行った魔導機器です。これを起動すれば、連中の責任者と即座に通信できるとのことです。ミツキ殿にはこれを使って敵軍の代表と交渉していただくことになります」
「なるほどね。互いの関係を考慮すれば、顔を突き合わせて会談などすれば騙し討ちにでも遭いかねない。ずいぶんと大がかりだが、お互いにリスクを負わず交渉できるってわけか」
ミツキは機械をしげしげと観察する。
大型のプロジェクターに見えなくもない。
「……こんなの見たことあるか?」
「いえ、アタラティアのような僻地には、カルティアから提供された魔導機器が回されて来ることは滅多にございませんので、一部の軍事用のものを除けば魔導機器自体あまり目にした経験がありません」
「そうなんだ」
そういえば、ティファニアでも、王都の市民区にはスチームパンクチックな設備が見られたが、非市民区や別の副王領、あるいはブリュゴーリュ国内でも機械のようなものを見たことはあまりない。
ドロティアの関係者やリズィのようなカルティア人と関わってきたため、ミツキは魔導機器を備えた設備を見る機会が幾度もあったが、本来は相当珍しいものなのだろう。
「あれ? でもここの要塞には魔導技官が付いてるんじゃなかったか?」
「はい。この国境地帯はバーンクライブとも接しておりますので、かの国の軍が侵攻してきた場合に備え、魔導兵装相手に戦力分析ができるようサルヴァ総督が派遣してくださったのです」
「いつの間に……」
ブリュゴーリュのことはミツキ任せにしていたようで、意外に抜け目がなかった。
「で、さっそくこいつを使いたいんだけど、どうすりゃいいんだ?」
「件の魔導技官がディエビア連邦の使者から説明を受けましたので、その者に準備させます。少しお待ちを」
間もなく、線の細い白衣の若者が、兵士に連れられ部屋に入って来た。
眼鏡をかけているが、茶髪を短く切り揃え、白衣の下の服も白いワイシャツとカーキ色のチノパンのような下履きですっきりとまとめ、清潔で垢抜けた印象だ。
同じように白衣を纏っていても、リズィとは対照的だとミツキは思う。
「ブリュゴーリュ北部方面軍随伴魔導技官のディル・キュルレと申します。お見知りおきを」
「はじめて見る顔だな。戦時からティファニア軍に参加していたか?」
「いいえ。元は第十四副王領転移塔の整備責任者を拝命しておりましたが、先の戦で転移塔は破壊せねばならず、その後王都に避難していたところを王妹殿下に拾っていただき、今はサルヴァ様の下で碌を食んでおります」
どうやらドロティアの〝人見の祝福〟によって見出された人材らしい。
スマートな外見もあの女の趣味と思えば納得させられる。
とはいえ、ここに居る経緯から判断すれば、優秀な人物であるのは間違いないだろう。
「なるほど。オレもあの方に見出されたくちだ。いろいろ話してみたいところだが、今は緊急時だ。手っ取り早くあの装置を使いたいんで準備を整えてくれ」
「承知いたしました。といってもややこしい工程などはございません。ミツキ様にはまずこれを耳に装着していただき、あとは私の方で本体を起動させれば、部屋の中央に遠隔地にいる会談相手の姿が映し出され、耳の装置を通じて声が送られてくるようですので、そのまま会談を進めていただけるとのことです」
そう言ってディルに手渡されたのは、耳の形に湾曲した銀色のイヤーカフだった。
ティスマスらがライフルと一緒に鹵獲してきたのと同じものだということにミツキは気付く。
追跡者全員が耳に装着していたとの報告から、通信用端末と予想されたが、案の定だった。
おそらく、インカムのようなものなのだろう。
ある意味、ライフル以上の脅威と言えるかもしれない。
少なくとも一キロ程度離れている人間と通信できるということは、サクヤの蟲を使った通信によるティファニア軍のアドバンテージはなくなると考えていいだろう。
ミツキはディルに視線を向ける。
「はじめる前に、これらの魔導機器に対する、専門家としての意見を聞きたい」
ミツキの問いに、ディルは眼鏡のブリッジを中指で持ち上げてから答える。
「率直に申し上げて、画期的だと言わざるを得ません。まず、カルティア製の魔導機器は付与魔法に依存するところが大きく、その複雑な魔法式は現行の術式理論ではほぼ解明不能です。カルティアが唯一無二の先進文明とされる所以であり、彼らから見れば我々の用いる魔法など石器にも等しい」
この世界の魔法では異世界からの召還など不可能だというサクヤの言葉をミツキは思い出す。
やはり、カルティアの魔法だからこそ、自分たちの召喚が可能だったということなのか。
「一方、ディエビア連邦の使者が持ちこんだこれらの機器は、魔法式のみでは実現し得ない機能を、機構の複雑化により達成しています。まさしく発想の転換であり、これを考案した人間は控えめに言って天才ですよ」
「機構の複雑化ね……」
ここにもアキヒトなる人物の知識が反映されている可能性は高そうだとミツキは考える。
「ティファニアで再現できそうか?」
「すぐに、ということであれば、不可能とお答えするほかありません。これは、おそらくはバーンクライブの高い技術力と生産力があってはじめて製造できるものです。本国で魔導機工学の分野へ莫大な研究予算が投資されたとしても、再現に五年、量産にはもう五年必要でしょうね」
「そうか」
つまり、敵国とティファニアの技術レベルには、絶望的な開きがあるということだろう。
おそらくはライフルと通信機器ばかりではあるまい。
火薬の代わりに魔素を用いるというライフルの仕組みを知って以来、ミツキの心にわだかまっていた不安が、より色濃いものとなる。
「だからといって、ことここに至っては後に退くこともできないか……わかった、そろそろ起動させてくれ。それと、ディル以外の人間は退出しろ」
ヴォリスをはじめ、要塞の将官らが部屋を出ると、ディルは機械をいじりはじめる。
ミツキが指示通りイヤーカフを装着して待つと、少しして耳がノイズを拾い、続いて人の声が聞こえてくる。
『――く……たか。失礼、ティファニアの代表者ですね? すみませんが少し待ってください。すぐに準備を済ませますので』
間もなく、魔導機器から部屋の中央に向けて幾筋もの光が投光され、それらが交差する場所に人の姿が映し出される。
ホログラムまがいの技術まであるのかと、ミツキは愕然とする。
さらに、映し出された人物の姿に、ミツキは表情を歪める。
ジャケットにパーカー、デニムによく似た下履きとハイカットのスニーカー。
完全に、現代の若者の服装だ。
黒髪に黒い瞳のアジア系という、こちらの世界ではめずらしい容姿からも、この男がアキヒトという日本人なのは間違いなさそうだ。
おもわず、苦し紛れの文句が口をつく。
「戦争になるかもしれない国の代表同士の会談だぞ? カジュアルすぎるだろうが」
一方、機械によって映し出されたアキヒトも、ミツキの顔を視認して困惑の表情を浮かべる。
『あ、あれ? ティファニア人って、こういう容姿の人種なのか?』
「ちげえよ」
その返答を聞き、アキヒトは大きく眼を剥く。
ミツキの言葉がこちらの世界のものではなく日本語だったからだ。
『え? ま、まさか――』
「そうだ。あんたと同じ日本人だよ、たぶんな。驚いてくれたか?」
答えを聞くまでもなく、驚愕の表情を浮かべるアキヒトに、ミツキは多少は溜飲が下がった気分になる。
なにしろこちらは一方的に驚かされ続けてきたのだ。