第八節 『魔法』
頭部に強い衝撃を受け、ミツキは覚醒した。
見上げると、白い肌に白銀の髪、紫水晶の瞳の美少女が自分を見下ろしている。
「いつまで寝ているつもりだ?」
「え? 今蹴った? 頭を蹴った?」
「だったらどうした」
のそりと身を起こし、頭を押さえながら立ち上がった。
「オレさっき頭の手術をしたんだよな? その頭を蹴ったの?」
「しつこい男だな。手術なら無事成功している。あの程度の衝撃でどうにかなるようなら、それは手術が失敗したということだ。その時点で、そうやって口を利くことなどできんよ」
ミツキは女の人間性を疑った。
そもそも、騙し討ちのように脳外科手術など始めたことからしてどうかしている。
しかし、すぐに〝人〟でないことを思い出した。
人間に虫を寄生させゾンビ同然にして操る冷血動物。
同じ人外でも、鬼女とは雲泥の差だと、内心で目の前の女を嫌厭する。
「それで、調子はどうだ?」
「なんか、頭がくらくらするよ」
「それは私が蹴ったからだ。力を得た実感のようなものはあるかと聞いている」
「ねえよ。やっぱり失敗だったんじゃないか?」
「いや。施術に成功しても最初から力を自覚する者はほとんどいない」
「じゃ聞くなよ」
ミツキは小さく舌打ちしてから周囲を見回した。
未だ夜だ。
どのぐらい意識を失っていたのかわからない。
女に時間を尋ねようと思ったが、そもそもお互い別世界の出身である以上、時間の単位も異なるはずだと思い至り諦める。
仕方がないので別のことを尋ねてみる。
「最初から自覚できないなら、いつから力を使えるようになるんだ?」
何気なく尋ねたが、実は重要な問題ではないかとすぐに気付く。
そもそも、ひとくちに〝力〟というが、具体的にどんなものかほとんど何も説明されていない。
「それはおまえ次第だ。言っておくが、時間が経てば使えるというものではない。今のおまえは、力を使う器官こそ得たが、その使い方は何もわからない、言わば赤子も同然。力を使うためには、訓練が必要だ」
「訓練、だと?」
不平が口を衝きそうになるが、考えてみれば当然だ。
訓練もなしに、いきなり使える技術などあるわけがない。
当たり前のように行っている直立歩行や会話ですら、幼少期の訓練の賜物なのだ。
超人的な力を使おうというのなら、相応の手順というものがあるのは当たり前だ。
「神通の力は個人の素養によって様々に変容するため、具体的な説明は難しいのだが、それでも大まかに分類すると、念じるだけで物を動かすことのできる〝念動〟、瞬間的に身体能力を上昇させる〝練気〟、他者を惹きつけ自身に好意的印象を与え場合によっては行動さえ操る〝魅了〟、他者の感覚を狂わせ幻聴や幻覚を引き起こす〝幻惑〟、先に起こる事象を察知する〝予知〟、透視や遠視など特殊な視覚能力を使う〝眼力〟、人の心の内を読み取る〝読心〟、などが一般的だ。高度な術者だと言霊を操り声だけで事象へ干渉する者や、堪輿に精通し自然を自在に制御する者もいる」
一部の能力は、まるでエスパーやサイキックだなとミツキは感心した。
確かに、使いこなせれば魔法にも対抗できそうだ。
「ただし、すべてを習得できるとは思うな。私の一族が一系統の外法の探求に生涯を費やすように、神通もひとつの能力に特化して延ばすべきだろう。多系統に手を出したところで、〝人〟の一生では力を延ばす時間も限られているからな。結局は器用貧乏で終わるだけだ」
「じゃあ、おススメは?」
「まあ、状況を鑑みれば念動が無難だろう。練気も戦向きではあるが、遠距離攻撃の可能な魔法を相手取るには分が悪い」
「決まりだな。当面は念動の習得に励むことにする。で? 訓練の方法は?」
「〝火煙土器〟」
「は?」
何を言い出すのかと思う。
なぜこの会話の流れで縄文時代に作られたユニークなデザインの土器が出てくるのか。
というか、なぜ異世界人がその存在を知っているのだ。
「カエンドキって火焔土器?」
「〝火煙土器〟だ。まずは火を起こし、炎を動かすように念じる。気体は軽く動かしやすい物質ゆえ念動の最初期段階での訓練に適している。火を起こすのは単純に視覚で確認しやすいからだ。炎を自在に動かせるようになったなら、水を掛けて煙を起こしそれを動かせるように訓練する。同じ気体でも水や灰を含んでいる分、重さが増すので炎よりも難易度が上がる。煙を動かせたら、土に移る。個体ゆえに難易度は格段に上がるが、砂から始め、小石、岩、大量の土砂と段階的な訓練ができる。最後の器は〝うつわ〟という意味ではなく〝鉄器〟や〝青銅器〟などの人が作った道具だ。例えば、槍や剣を操ることができれば、戦闘でかなり役立つだろう。要は徐々に重いものを動かせるよう段階的に訓練せよということだ」
「な、なるほど」
訓練の方法はなかなか理に適っていると思うが、その一方で新たな疑問が生じていた。
「なあ、今の〝火煙土器〟って〝漢字〟だよな。言葉が通じるのはこの世界の不思議パワーが原因として、何で漢字を知っている? あんた、日本って国知っているんじゃないか?」
ミツキの問いに女は眉を顰める。
「知らんなそんな国は。それと〝カンジ〟と言ったか? 今述べた文字は海を隔てた遠い異国のもので、〝カンジ〟などという呼称ではなかったはずだ」
「んん?」
自分の思い違いかと考え、ミツキは首を振った。
確かに漢字のはずだ。
例えば、生きていた時代が違うと考えれば、辻褄は合わないだろうか。
〝日本〟を国とする概念も漢字という呼称も存在しない過去で、大陸の文字がある程度入ってきている時代の日本から、この女はやって来たのではなかろうか。
しかし、だとすれば過去の日本には、こんな化け物がいたということになる。
そんなことがあり得るのだろうか。
少なくとも自分は、額に三つ目の眼窩がある頭蓋骨が出土したなどという話は知らない。
「んんん? なん……か、単純な過去ではなく、パラレルワールド的な世界ってことなのか?」
「なにをブツブツ言っている。今後の方針が決まったなら早速試してみるぞ」
「試すって、何を?」
「訓練に決まっているだろう。面倒事は一度に済ませてしまうに限る。この場でささっと教えてやるから、明日以降は自分で訓練してもらおう」
「そりゃ、わかったけど、火を付ける道具がないな。燭台の火は燃え尽きちゃったし」
いや、女の外法とやらで火を起こすのかと思ったところで、傍らからどさりと音がした。
驚いて視線を向けると、女に操られた看守の男が、林の中で拾い集めて抱えてきた枯れ枝の束を地面に落としたところだった。
「ちょうどいい。おまえ、魔法を間近で見たことはほとんどないだろう。参考までに、訓練前に見ておくと良い」
間近で見たと言えるのは、闘技場の待合室でローブの集団が殺されるところぐらいだろうか。
とはいえ、あの時は気が動転していて、まともに観察することなどできなかった。
あるいは、アリアとかいうメイドに治療してもらった際には自分で体験しているはずだが、意識を失っていたため、やたら熱かったという以外の記憶が無い。
それに比べれば、犬男の熱波や鬼女の防御と治癒魔法は良く見えた。
だが、どちらもこの世界の魔法ではないと考えれば、参考にしてよいのかミツキには測れなかった。
「そりゃ見れるなら見たいが、誰が魔法なんて使うんだ」
「何を言っている。この場で魔法を使える人間などひとりしかいないだろう」
そう言って女が視線を向けたのは、看守の男だった。
「ええ? 使えるのか? こんな状態で?」
「無論だ。私の命令が届く限り、元々有していた技能は問題なく使うことができる。それに、元兵士だけあって、一般の市民や非市民が使用を禁止されている攻撃魔法も使える」
「一般人は攻撃魔法を禁止されているのか?」
「傀儡にした人間から得た情報によると、そうらしい。威力を抑えた自衛程度のものであれば許可されているらしいがな」
ふたりが会話している間にも、枯れ葉と枯れ枝を一カ所に寄せた看守は、目標からやや距離を置いた位置で構えを取っていた。
両足を揃えて気持ち程度左右に開き、開いた両の掌をヘソの前あたりで前方にかざした姿は、見苦しい中年男にしては様になっていると感じなくもなかった。
「よし、始めろ」
女の合図と同時に、看守の詠唱が始まった。
『灼の徴証にして緋の形象たる火精よ、理の僕たる我が意を酌み存在の一端を示し賜う――』
「おぉ、なんか、それっぽい」
ミツキはおもわず感嘆の声を漏らしていた。
詠唱に合わせて周囲の空気が動くとともに、看守の掌の前に小さな炎が生まれる。
マジで魔法を使えるのかと、羨望の眼差しを向けた看守は、少し男前に見えるような気さえした。
「ん? ……あれ、でもちょっと」
空気の流れは看守の前の炎へと吸い込まれ、その体積をぐんぐんと増していく。
どう見ても、焚火の着火には過ぎた勢いの炎だ。
『其は万象の終焉にして起源、千載の潭に刻まれし紫荊の華龕、其は曙暁を累ね気水を還流せし尾を食む大蛇――』
「待て待て! もういい!」
しかし、詠唱は終わらない。
膨張は止まったが、先程まで赤かった炎が、白みを帯びた橙色に変化し始めている。
まるで小さな太陽だ。
温度が上昇しているのは明白だった。
ミツキは表情を引き攣らせて後退る。
はっと気が付き、視線を巡らせて女を探せば、大樹の影から顔の半分だけを覗かせている。
こうなるとわかっていたなと、抗議の声をあげようとしたところで、看守の詠唱が佳境を迎えた。
『汝れが浩歌せしは生の終焉にして起源、我が弾きしは想いの弦、而して放たれしは炎の鏃〝起炎直射〟』
看守の叫びと同時に、地面に積み上げられた枯れ木の山へ向け火球が放たれた。