第二十節 『出現』
ブリュゴーリュ北部、国境付近の要塞に駐留するヴォリス・ドゥ・ヴァーゼラットから使い魔を用い急報がもたらされたのは、ティスマスら精鋭部隊がテトを連れ帰って三ヶ月以上が経過したある日のことだった。
知らせを受け、会議室に出向いたミツキは、ソニファの腕にとまった鳥の使い魔の足に括り付けられた筒に視線を向け、嫌な予感を抱く。
書簡の入れられた筒の端が、緊急の知らせであることを示す紫の蝋で封を施されていたからだ。
足に固定する紐を解き、筒の端を短剣で落として中から紙を取り出したミツキは、書面に視線を走らせ表情を歪めた。
「なんて書いてあったんだい?」
遅れて入室してきたサルヴァが、ミツキの表情を窺いつつ尋ねた。
ミツキは忌々し気に歪めた顔をサルヴァに向ける。
「ディエビア連邦の兵、四千程が国境地帯に出現しそのまま布陣。先方から、ブリュゴーリュに駐留するティファニア軍の代表者との外交交渉のための会談の申し入れを受けたそうだ。ちなみに、物見からの報告によれば、そいつらはダイアスの王国軍旗を掲げ、おそらくほとんどの兵がライフルを装備しているらしい」
「それはまた」
サルヴァはクスクスと笑う。
「なにがおかしいんだよ?」
「いやいや、敵はうちの兵士がライフルで武装した追跡者と交戦したことを承知のうえで、同様の装備の軍を派兵し会談したいと言ってきたってことだろう? 銃を突き付けながら交渉したいとは、脅し以外のなにものでもないな」
「ああ。交渉というよりは降伏勧告だろうな。まあ、外交の手段としては珍しくもない」
強制外交というやつだ。
話し合いのテーブルについたところで、まともな交渉など望むべくもない。
「こっちにライフルの知識がなければ脅しとして成立しない。先だっての戦闘は敵の戦力分析には役立ったが、こうなるとむしろアダになってしまったね」
「勝ったのはこっちだってのに、転んでもただでは起きないってわけか」
「北部の国境地帯といえば猫女を確保した西部の山林地帯を除けばだいたいが平野だ。となれば、戦になれば先日のように奇襲で一気に殲滅するというわけにもいかないだろうね。さて、どうするか」
そう言って嬉しそうな表情を作るサルヴァに、ミツキは嫌悪の感情を抱く。
騎馬で突撃してくるブリュゴーリュ軍とはわけが違うのだ。
先の戦で効果を挙げた戦闘教義などまったく通用しないはずだ。
こいつは戦争がしたくてたまらないのかもしれないが、まともに戦えばティファニア軍は一方的に壊滅させられることになるだろう。
しかし、ディエビア連邦やバーンクライブがどう出るのか、ミツキはシミュレーションを済ませてもいた。
そして、幸か不幸かこの状況は、対応策も含めて検討済だ。
とはいえ、その対応策はひどく気のすすまぬものだった。
溜息をつきながら、ミツキはどうにか重い口を開く。
「オレに考えがある。とはいえ、まずは軍議だ。ソニファ、全将官と各部隊の長を招集してくれ」
「もう済ませましたぁ」
会議室内に、この期に及んで緊張感を欠いたソニファの声が響いた。
ブリュゴーリュ北部の国境地帯は闇地に挟まれている。
まず、西にはティファニアで北部大闇地帯と呼ばれている闇地が広がっている。
ブリュゴーリュ北部ばかりかティファニア北部全域、さらにブシュロネアの北方にも広がり、さらに西へと延びている大陸最大規模の闇地帯だ。
歴史を紐解けば、大規模な越流によって国土に深刻な災害をもたらしたことも多々ある北部大闇地帯の存在はティファニアにとって頭の痛いものだと言えた。
一方で、隣国との間の壁としても機能しており、国防という観点から見ればティファニアにとって不可欠な存在でもあった。
隣国とはバーンクライブのことだ。
この大国は、ティファニアの北に北部大闇地帯を挟んで存在している。
仮に、バーンクライブがティファニアへ攻め入るとすれば、国土の南東部に狭い範囲で国境を接するブリュゴーリュを通らなければならない。
一方、東には、ブリュゴーリュ領東端とディエビア連邦南端の間に聳える超高度闇地帯、フェノムニラ山脈が南北に走っている。
海にまで突き出たこの異形の山脈は、ブリュゴーリュ領の傍らを遮り、ディエビア連邦の最西北に位置するブリリア国土内で唐突に途切れている。
傾斜角は垂直に近く、山というよりは巨大な壁に見える。
高度は計り知れず、青天の日中であればブリュゴーリュの西端からでも視認することができる。
その高さと険しさ、そして斜面に生息する魔獣のため、登頂は不可能とされており、ブリュゴーリュとディエビア連邦の行き来には北方のブリリアを経由する以外に方法はないとされている。
「つまりディエビア連邦やブリュゴーリュと事をかまえるとなれば、我々は北方の守りに集中すればいいわけだ」
長卓に広げられた地図を指差しながらサルヴァが言った。
「現状で動かせる自軍の兵数は?」
「今すぐということでしたら、一万二千程度でぇす。他には北の備えとして駐屯させている兵が四千五百、南部地方へ派兵しているのが三千五百、その他ブリュゴーリュ各地に派遣している兵が概算で一万七千といったところでぇす」
少ないなとミツキは思う。
ブリュゴーリュとの決戦のためジュランバー要塞を出た時の兵は、後方部隊を含めれば四十万、戦闘部隊に絞っても二十五万に達していた。
随分減ったと言わざるを得ない。
先の戦での損耗もあったが、それ以上に大半の兵がティファニア本国に帰還してしまったのが大きく影響している。
ブリュゴーリュ国内には残っても、退役して別の職に就いた者も少なくはない。
「傷痍軍人を除いた退役者を招集するかな。こっちで徴募した新兵は使えそうですか?」
「使えるわきゃあねえだろ。一番最初に入って来た奴らでも、まだ半年と鍛えられてねえんだぞ。つっても、どうしようもなくなったときは、そいつらでも使わにゃならんだろうけどな」
サルヴァに問われ、カナル翁が苦虫を噛み潰したような顔を作る。
現地徴募の新兵は、ほとんどが少年兵と言って良い年頃だ。
元々兵士として適切な年齢に達していた男は、ティファニアとの戦のために徴収されそのほとんどは戦死している。
ゆえに、ティファニアからの入植者と老人を除けば、ブリュゴーリュ国内の健康な成人男性は極めて数が少なく、軍の徴募に応じてくるようなことはほぼ皆無だった。
一方、先の戦で親を亡くし寄る辺を失った子どもの中で、条件である十五歳以上の少年が多く志願し、見習いとしてカナルに鍛えられている。
その中には、食っていくために年齢を偽っている者も少なくはないと思われた。
そんな若い兵士は、できれば戦場に出したくないとミツキは考える。
面倒を見ているカナルはなおさらだろう。
「となると、まずはすぐに動かせる兵だけで北部に進軍し要塞の兵と合流。奴らとの交渉は可能な限り引き延ばしつつ、各地の兵を呼び戻し、本国にも応援を要請する、というのが妥当か」
「講和の可能性はないのでしょうか?」
不安そうな顔をした将兵が尋ねた。
「まあ、相手次第ではあるが、武器を突き付けたうえで交渉がしたいと言ってきていることを鑑みれば、まともな話し合いなど期待すべきではないだろう」
「しかし、あの武器を装備した軍を相手どるとなると、いくら兵数に優るといっても分が悪いのではないでしょうか? 戦になれば最悪全滅ということもあり得るかと……」
「だったら白旗を上げろとでも? いいか? ブリュゴーリュはティファニアの壁だ。我らが屈すればティファニアへの侵攻を許すことになるんだ」
めずらしく鋭い語調のサルヴァに睨まれ、質問した将兵は身を縮ませる。
「今、ディエビア連邦の中核を担っているのは、前政権を打倒した反政府軍だ。圧政により虐げられてきた人民が自ら武器を取り自由を勝ち取った、などと言えば聞こえはいいが、奴らは正規の訓練を受けた軍人ではない。そんな連中が引き金を引くだけで離れた場所から人を殺せる道具を手にし侵略国でなにをすると思う? 仮に、奴らのトップが和平を求めていたとして、末端の兵士まで綱紀粛正が徹底されていると言い切れるか?」
周りを見回しながら厳しい口調で捲し立てたサルヴァに、集まった将兵たちは顔を強張らせ口を噤んだ。
「オレもサルヴァに賛成だ。奴らは武力行使による勝利の味を占めている。しかも、大国の後ろ盾まで得ている。戦争になるという前提で事に当たるべきだ」
ミツキの賛同に、サルヴァは表情を緩める。
「ただし、派兵には反対だ」
「……なんだって?」
訝し気な表情を浮かべるサルヴァに、ミツキは一瞬ためらってから言った。
「北にはオレとオメガだけで向かう」