第九節 『虎視』
「おい! どうした一班! 応答しろ!」
イヤーカフに手を当てた追跡者の男は、突然仲間との連絡が途切れたことに狼狽していた。
通信が途切れる直前、その一班の男は、三班とも連絡がつかないと言っていた。
試しに呼び掛けて見ると、やはり応答がない。
「なぜ繋がらない! くそっ! この役立たずのガラクタが!」
男はイヤーカフを毟り取って地面に叩き付けようとするも、すんでのところで思い止まる。
このうえ後方に控える本隊との連絡手段を失えば、自分たちの安全も脅かされる。
男は心を落ち着けるため深呼吸してから仲間たちの方を窺う。
他のふたりも動揺を隠せていない。
「……仕方がない。ここは一旦本隊へ戻り、作戦を立て直そう」
仲間の提案に、他のふたりが顔を見合わせる。
「しかし、この山を越えられると、もはや完全にブリュゴーリュ領だ。そうなると我らでこれ以上の追跡は難しくなるぞ」
「連携が取れなくなった時点で、このまま作戦を続けることに意味があるとは思えない。それに日没を迎えれば、オレ達と奴の立場は逆転する。奴が闇夜に乗じて幾度となく追手を返り討ちにしてきたことを知らないわけじゃないだろう」
「まぁ……そうだな。リスク承知で先行しても、日が沈むまでに奴を確保するのは難しいか」
「そもそも、命を懸けてまで奴を捕らえる必要なんてあるのか? この際だからはっきり言うが、せっかく革命が成ってオレ等の時代が来たってのに、こんな僻地であんな化け物女に殺されるのなんてごめんだぞオレは」
ぶっちゃけた仲間に対し、他のふたりも曖昧に頷く。
「決まりだな。そうと決まればとっとと本隊と合流して――!?」
撤退しようと引き返しかけた男は、進路上に枯草色のマントを纏った男がひとり佇んでいることに気付いて身を固くする。
他のふたりもすぐにマントの男に気付き、三人組は一拍の間を置いて得物を構える。
「おい、なんだあいつ」
「ここいらの住人か? 話しかけてみるか?」
「いや、最寄りの村でも五レフィアは離れている。状況から考えても、敵以外にあり得ないだろ」
早口で相談する間にも、マントの男は自分たちに向かって駆けだす。
「くそっ! 撃て撃て!」
その声に続いて、甲高い金属音が三度鳴る。
しかし、前方の男は攻撃とほぼ同時に右側へ身を翻し、背後の木の幹が弾け飛ぶ。
「お、おい! 今あいつ、躱したのか!?」
「バカ言え! ただの人間に、それも初見で見切ることなどできるか!」
追跡者のひとりがそう叫ぶが、二度三度と攻撃を重ねても、マントの男は左右に体を振って、そのことごとくを避ける。
「嘘だろ!? どうなってんだよこいつは! ダイアスの親衛隊も圧倒した兵器だぞ!?」
焦りの色を浮かべる追跡者たちに対し、マントの男は表情を崩すこともなく少しずつ間合いを詰める。
男が横へ大きく踏み切った瞬間、翻ったマントの内側に、青と白の軍服と、腰に差した特異な意匠の曲刀が覗いた。
前方で三人の男たちが構える筒状の武器から発射される得体の知れない攻撃を躱しながらジャメサ・カウズは、事前に情報を得ていなければ瞬殺されていたなと他人事のように考えていた。
ミツキから指示された異世界人を確保するため、ティファニア軍の北部方面部隊は、指定された国境付近で網を張り続けてきた。
そして、使い魔を用いて上空からの哨戒を行っていた魔導士が、ディエビア連邦方面から迫る武装集団と、その追跡から逃げ回る奇妙な生物を発見したのが二日前だった。
事前に進路を予測し、待ち伏せるティファニア軍精鋭部隊は、斥候から敵の使う奇妙な武器の情報を受け取ることとなった。
携行した王耀晶製のタブレットに映し出された敵部隊の攻撃の様子に、ティファニア軍の兵士たちは色めき立った。
「おい、なんだあの武器……筒を向けただけで木が弾けたぞ」
映像を観て、誰かがそう最初に呟いた通り、兵士が筒状の得物を構えると、その直線上の物体に攻撃が加えられるようだった。
一見すると、魔導士が魔法を行使するための補助器具として好んで使う杖に似ていなくもないが、〝魔視持ち〟の兵士によると、間違いなく魔法ではないようだった。
ただし、攻撃の際、ほんの一瞬微弱な魔力反応が確認されたことから、〝魔導兵装〟の一種と断定された。
大陸北部で〝魔導兵装〟の量産と軍での運用を実現しているのは、ブリュゴーリュとディエビア連邦の両国とも国境を接する大国バーンクライブのみのはずだった。
ディエビア連邦からやって来た敵部隊が、なぜ〝魔導兵装〟を運用しているのかは不明だが、たとえ伏撃でも下手にぶつかれば甚大な被害を被る可能性が高いと判断できた。
「敵は二十名強程で構成される小隊から三名の班を同時に複数出撃させ、本隊は後方に控えて追跡班の交代と補給を行いながら対象を追っている。基本、追跡には三つの班が出ており、各班は緻密な連携によって多方面から対象を追い詰めようとしているらしい。おそらく、こちらがサクヤさんの魔法で遠距離通信ができるように、奴らも離れた仲間と情報をやり取りする術を持っていると考えられる」
作戦会議の場にて、現場の指揮を任されているティスマスが仲間に視線を巡らせながら言った。
「対するこちらは歩兵十八名に弓兵八名、斥候含む補助隊員が八名で、総数三十四名だが実質の戦闘要員は二十六名。人数的には敵とほぼ互角か若干多い。が、魔導兵装を勘定に入れると、まあ正直かなり分が悪い。総力戦で正面からぶつかれば確実に全滅できるね」
口元に苦笑いを浮かべる隊長を部下たちが無言で見つめる。
さすがに選りすぐった兵を揃えただけあり、動揺は見られない。
「そこでだ、こちらの被害を可能な限り抑える方向で作戦を考えてみた。私的には死ぬほど気乗りしないんだが、まあ不本意にも作戦の指揮なんて任されちゃった以上、やらんわけにもいかないよな」
嘆息するティスマスに、部下たちは微かに怪訝そうな表情を浮かべる。
「ジャメサ、相手が三人ならやれるよな?」
「問題ない」
「うん、たぶん私もイケる。そこでだ、奴らが戦力を束ねてこちらに対抗する暇を与えないよう、すべての敵追跡班を同時に叩く。私とジャメサでそれぞれ一班、対象を追い回していて最も周囲への警戒が緩んでいる一班を歩兵十六人で奇襲する。この十六人には、私たちより楽できるかわりに、対象の確保も任せる。今回の作戦のキモだから、くれぐれも油断はしないでくれ。そして、後方の敵本隊はエウルが弓兵隊を率いて強襲してくれ。あの武器は地形によっちゃあ弓を圧倒するだろうけど、森の中ならどうにかなるだろ?」
「うん、わかった」
「じゃ、そんな感じで、まずは各々これから指示する地点に向かってくれ。私の方で合図を出すから、あとはまあ、それぞれ現場の判断でやれるだけやってみてよ」
そうしてジャメサは今、追跡者たちと相対している。
つい今しがた、ティスマスから担当の班を討ち取ったと通信を受けた。
さらにその前には、部下たちから対象を追っていた班の処理と対象の確保も知らされている。
追跡班への対処はジャメサがもっとも遅れていた。
しかし、焦りは禁物だと、剣帝は己に言い聞かせる。
その三白眼は、常に敵の得物の向きと、指の動きを注視している。
映像を確認した時から、遠距離への攻撃は真っ直ぐに放たれること、そして攻撃の瞬間金具に引っ掛けた指を動かしているという敵の武器の特性をジャメサは見抜いていた。
射程と威力は油断ならないが、攻撃のタイミングに合わせて、射線から外れるよう動き回れば、避け続けることは難しくない。
しかも、攻撃と攻撃の合間には、かならず予備動作を挿む。
その分、避ける方にも余裕が生まれる。
そして、この武器にはもうひとつ致命的な弱点があるということも看破していた。
だから、好機が訪れるまでは、焦らずに躱し続けることが肝心なのだ。
そう考えている間に、追跡者のひとりが構えを解き、ウェストバッグに手を伸ばした。
続いて、他のふたりも同じ動作を行う。
この瞬間を待っていたと思考しつつ、ジャメサは足に力を込め三人に向かって駆けだした。