第六節 『研究所』
「それで? あのデカ女やガキどもと一緒に愉快な休日を過ごしてきたというわけか?」
「ああよ。わるいか?」
「いいや別に? 今となってはおまえも総督代行様だ。職務そっちのけで女子どもと戯れていたところで文句を言える者などいやしまいよ。私が馬車馬のように働いている間であっても、遠慮なく遊び回るといいさ」
「……たまの休みに孤児院訪問しただけで、ここまでの嫌味を言われるとは思わなかったよ」
机に向かってなにかの作業に専念しつつも、淀みなく受け答えするサクヤの背を見ながら、ミツキは苦々しい笑みを浮かべる。
机の上には試験管やビーカーに似た器具が拡げられ、中には得体の知れない薬品や色とりどりの素材が入れられている。
孤児院を辞した後、ミツキがその日最後に訪れたのは、サクヤに提供している城の地下だった。
元々は留置場と倉庫だった空間は、サクヤの望むままにリフォームが重ねられ、今では立派な研究施設に生まれ変わっている。
同じ城で仕事をするミツキだったが、普段はあまり地下に出入りしないにようにしている。
脳をいじられたり、囚人を〝蟲憑き〟にする様子を見せられたりと、彼女の〝実験〟には碌な思い出がないからだ。
この日も、数十日ぶりに訪問したが、口の悪さは相変わらずだった。
ただ、フィオーレに来てからもっとも大きな成果を出しているのが彼女なのも事実であり、嫌味を言われてもあまり強く反論できない。
この街で、まずサクヤに与えられたのは、捕虜にした数少ないブリュゴーリュ兵や、ビゼロワで保護した住民たちの洗脳を解くという仕事だった。
王、というか王に寄生した肉塊の化け物亡き後も、洗脳の解けないブリュゴーリュ人たちは、ティファニア軍に対し強烈な敵意を示していたので、ビゼロワで保護した後、事情を聞くこともままならなかった。
しかし、サクヤはまず、先の戦で捕虜にした兵士たちを使って、靄に毒された体の浄化を試み、実験を重ねて開発した薬液を用いることで、無事解毒することに成功した。
と言っても、洗脳が解けるまで、拘束した患者の口から管を通し、ひたすら薬液を流し込むという処置が必要なため、解毒までにはかなりの体力を消耗することとなり、衰弱のために未だ病床から起き上がることのできない者も少なくない。
そうして回復したビゼロワの住人から話を訊いたところによると、件の靄はある日突然城から流れ始め、そこからの記憶は酷くおぼろげなのだという。
ブリュゴーリュ兵の所業や、潜入した際目の当たりにしたビゼロワの住人の日常を考慮すれば、記憶がはっきりしないのはむしろ救いだろうとミツキは思っている。
ただ、ひとつだけはっきりしているのは、靄の発生時期が、ミツキたちの召喚された頃の少し後だったということだ。
その情報からも、おそらく王に寄生していた生物が、異世界から召喚されたということは間違いなさそうだった。
靄に毒されたブリュゴーリュ人の洗脳解除に成功した後も、サクヤは地下の研究所で数々の成果を上げ続けた。
たとえば、多くの病に効果を発揮する薬品の開発、あるいは植物が異常によく育つ化学肥料の発明などが挙げられる。
特に前者は、食料不足による体力の低下で様々な病にも罹っていた難民たちの命を多く救うこととなった。
その薬効からミツキは、抗生剤ではないかとも考えたが、サクヤの外法の得体の知れなさを鑑みれば、まったく別の物質という可能性もありそうだった。
サクヤが人助けに貢献するのはミツキにとって意外だったが、「結果を出せばティファニアも私を認めないわけにはいくまい」との打算を本人から聞かされ納得した。
動機はどうあれ、彼女のおかげでブリュゴーリュの復興は予定よりも大幅に進んでいるが、サクヤに不信感を抱いているミツキは、後々彼女の薬や肥料の副作用でも起きないかと気が気でなかった。
「で、今はどんな研究をしてるんだよ、おまえ」
「穀物や野菜の品種改良、衣類の素材となる糸を出す虫の開発、伝染病の予防薬の研究、疫病を媒介する害虫を改造して絶滅させる実験など、まあいろいろだ」
どれも自分がいた世界では既に行われた試みだとミツキは思う。
とはいえ、それをすべてひとりでこなそうとしているのだから、外法を抜きにしても、規格外に優秀と言わざるを得ない。
これで性格がまともなら、どれほど心強かったかと、ミツキは考えずにいられない。
「そういえば、こいつの解析もようやく終わった」
そう言って振り向いたサクヤの手には、試験管に似た器具が握られている。
その中に満たされた液体の底に、白く崩れた有機物が沈殿している。
それを見てもなんのことだかわからず、ミツキは首を傾げる。
「こいつって?」
「なんだ、もう忘れたのか? ビゼロワ郊外地下の研究施設で手に入れた腐肉の欠片だ」
サクヤに言われ、ミツキはビゼロワ陥落直後の出来事を思い出す。
ミツキが肉塊の化け物を打倒した後、ティファニア軍は街に燃え広がった炎の鎮火を計りつつ、生存者の救助を行った。
洗脳の解けていない住人の中には、救助にやって来たティファニア軍に対して反攻を試みる者が少なくなかったが、靄の発生以降まともな食生活を送れていなかった人々の力は極めて貧弱であり、また住人の大半が肉塊の化け物に取り込まれるか火災で命を落としていたため、あまり大きな混乱もなく生存者の救助と拘束が完了した。
そして結局、城も大部分が崩れ、街の半分以上は炎で焼け落ち、あるいは化け物の挽肉で潰され、軍の上層部は協議の結果、ビゼロワの復興は不可能と判断し、別の場所に新政府を打ち立てるべく、まずは最寄りの大都市であるフィオーレへの進軍を決定した。
軍が移動の準備を整えている間、ミツキらはエカロ・チリーネフから訊きだしたカルティア人の地下研究所の探索を行うことにした。
当初は被召喚者の四人で調査する予定だったが、現場へと向かう途中で、いつの間にかオメガが姿を消した。
オメガが途中で逃げ出した理由は、すぐに明らかとなった。
「……なんだ、この匂いは」
金網で仕切られた施設の敷地に入る前から、酷い異臭が周囲に立ち込めていた。
たとえるなら、嘔吐物の中で煮込んだクサヤのような臭いだ。
「あの犬は、この臭いにいち早く気付いて離脱したのだろう」
「まぁ、犬の嗅覚でこの空気の中を進むのはキツイだろうな」
オメガの話をするミツキたちに遅れてついて来ていたトリヴィアが口を押さえて地面に蹲る。
「トリヴィア、大丈夫か?」
「問題ない……と、言いたいところだが……少々厳しいな。オメガほどではないが、私も嗅覚は人より鋭いようだ」
「仕方あるまい。先に本陣に戻っていろ。おまえが来たからといって、なにかに役立つわけでもなかろうからな」
「あ、じゃあ、オレも戻ろうかな」
「はあ? 何を言っている。たとえ鼻が捥げようと、おまえには最後まで付き合ってもらうぞ」
「……オレが同行したからって、絶対役に立たないだろ」
ごねるミツキを無視して、サクヤは先へと進む。
ミツキは溜息をつくと、袖で鼻と口を押さえながらサクヤの後を追った。
元は廃坑だったという研究施設の入り口は、地下へと続く洞穴だった。
ここに至って異臭は、さらに耐え難い程になっている。
そして、臭いは明らかに、洞穴内から発生していた。
「お、い……ちょっと、これ以上は……」
怯むミツキに、サクヤが何かを投げつける。
慌てて受け取ると、ビゼロワの靄を調査した時に彼女が使っていたというペストマスクだ。
「被れ。臭気も遮断できるよう改造してある」
そう言う間に、サクヤは自らもマスクを装着する。
ミツキはカラスの顔を模した不気味なデザインに一瞬躊躇するも、臭いに耐えられずいそいそと被った。