第五節 『孤児院』
フィオーレ西区の郊外には、この街で城の次に大きな建物がある。
寺院だ。
精霊信仰が盛んなこの世界では、原初精霊派と神聖精霊派という教会の二大派閥が対立しているが、大概の寺院は後者の施設なのだという。
原初精霊派はアニミズムの延長のような信仰形式で宗教施設というものがあまりないのだと、ミツキはティファニア軍の幹部らから聞いていた。
ティファニア王都で寺院を見た記憶が無いのも、ティファニアでは原初精霊派が主流だったからだ。
一方、ブリュゴーリュでは神聖精霊派が幅を利かせており、街にひとつは寺院が建てられ、教会も市政を含めた多方面に強い発言力を有しているのだという。
フィオーレに来てからミツキは、この世界の信仰についての基礎的な知識を学んでいる。
文化圏によっては、人の営みと宗教は切っても切れない関係だからだ。
幸い、この世界では宗教が戦争や差別の火種となるようなことはあまりないようだ。
ただし、精霊をただそこにあるものとして敬い、祈りの対象とする原初精霊派に比べると、厳格な戒律が定められ布教活動も積極的に行われている神聖精霊派の教会は、無神論者のミツキの目には、少し面倒な存在に映る。
実際、街の開発に対して、寺院の高僧が文句を付けてくるようなことが何度かあった。
とはいえ、悪い面ばかりでもない。
教会は医療や福祉の分野で、さまざまな貢献をしているからだ。
戦時中に物資の供出を命じられ街が干上がりかけた時も、真っ先に逃亡した町長とは対照的に、教会は寺院を開放し、隠していた食料の備蓄で炊き出しを行ったという。
これからミツキが訪問しようとしている施設も、この教会によって運営されている。
寺院の巨大な尖塔を横目に見ながら、その傍らを通り過ぎたミツキは、巨大な宗教建築の裏手にある、こじんまりとした施設の門をくぐる。
目の前にある二階建ての建物の正面玄関まで続く庭石の上を歩いていく。
狭い庭だが、よく手入れされており、花壇には色とりどりの花が咲いている。
進みながら耳をすませば、建物の中からは複数の人物の声が聞こえてくる。
ミツキは僅かに口元を綻ばせながら、玄関扉の前に辿り着くと、簡素なデザインのドアノッカーを鳴らす。
一歩引いて少し待つと、ゆっくりと扉が開かれ、丸眼鏡をかけた中年女が顔を覗かせた。
「あらミツキ様じゃありませんか。いらっしゃるのであれば、事前にご連絡いただければ皆でお迎えいたしましたのに」
「ちょっと様子を見に来ただけなんで、気を使わないでください」
女が扉を大きく開き、ミツキは建物の中へと足を踏み入れる。
「あ、これ、来る途中の市場で買ったんで、後でみんなで食べてください」
そう言って、ミツキは右手に下げていたものを差し出す。
巨大な笹のような葉で巻かれ、植物の蔦で縛られた包みの中身は、ベビーカステラのような菓子だった。
包みは五段に重ねられており、かなりの量が入っている。
「まあまあ、いつもありがとうございます。皆も喜びますわ」
そう言って微笑む中年女は、純白のゆったりとした長衣を纏っている。
裾と首周りにドレープを作るこの衣装は、精霊信仰における尼僧の正装だ。
奉仕活動や祭事にあたっては、着用が義務付けられているのだという。
この女は、名をマリル・キャバルペという。
先程通り過ぎた寺院に所属する〝聖女〟であり、この施設の責任者でもある。
〝聖女〟といっても、単に、教会に所属する高位の尼僧をそう呼ぶだけで、何か特別な力があるわけではない。
「子どもたちにも是非会ってあげてくださいな。皆歓びますよ」
「そうですね。あまり時間は取れませんが、顔だけ出させてもらいます」
ミツキの返答に、マリルは鷹揚に頷くと、先導するように歩き出す。
聖女の背を追って建物内を進むと、子どもたちの賑やかな声が耳に届き、ミツキはアタラティアの開拓村での日々を思い出し懐かしい気持ちになる。
ミツキが訪問したこの施設はフィオーレで唯一の孤児院だ。
この孤児院には、元々フィオーレに住んでいた家庭で徴兵などにより親を亡くした子どももいれば、戦時中にブリュゴーリュ軍の進軍に巻き込まれた村で飢えなどにより両親を亡くした子どもが引き取られて来たというケースも少なくない。
ミツキにとっては戦災孤児を引き取ってくれるありがたい施設だが、孤児院側も多額の献金を断続的に続けているティファニア軍の実質的なトップであるミツキを粗雑に扱うことはなかった。
だが、ミツキ以上に彼女たちの信頼を得ている人物が、ティファニア軍にはひとりいる。
「あいつはうまくやっていますか?」
背後からミツキに問われ、マリルは微笑みながら顔の片側だけ振り向く。
「それはすぐにわかることですよ。どうかご自身の目でお確かめください」
マリルはそれ以上言葉を継ぐことなく、廊下を進んだ先の部屋へと入っていく。
ミツキが後に続くと、広々とした室内は幼い子どもで溢れかえっていた。
年長の子どもは不在だ。
ミツキの発案により、この街の子どもは学問所に無料で通えることになっている。
孤児たちも対象であり、この時間、八歳以上の子どもたちは皆そちらに行っているのだろうと推察できた。
残っているのは七歳以下の子どもということになる。
室内には、走り回る子どももいれば遊具で遊んでいる子もいる。
喧嘩している子もいれば、部屋の隅で眠っている子どももいる。
施設に入っている子どもの数に対し、職員数はまったく足りていないので、基本的に日中は放置していると以前聞いていた。
そんな子どもたちの中に、ひとり、巨大な体躯の人物が混じっている。
蹲って赤子のオムツをかえているが、周囲には多くの子どもが集まり、その人物に話しかけたり、体によじ登ったりしている。
彼女の容姿を考慮すると、なかなかに信じ難い光景だと思いつつ、ミツキはその背に声を掛ける。
「忙しそうだなトリヴィア」
巨体がピクリと震え、灰肌巨躯の女が振り返る。
「ミツキ!?」
トリヴィアは大きく目を見開くと、微笑みながらも少し戸惑ったように首を傾げる。
「どうしたんだ!? キミこそ今日は忙しくないのか!?」
「用事があって休みをとったんで、ついでだけど見に寄ったんだ。なかなか頑張ってるみたいじゃないか」
トリヴィアは取り換えたオムツを傍らに用意してあった箱に放り込むと、赤子を抱き上げつつ立ち上がる。
右手だけで赤子を持ち、伸ばした左腕にはやんちゃそうな子どもたちがぶら下がってはしゃいだ声をあげている。
さらに、角や髪にも複数の子どもがしがみ付いているが、よろめく素振りもないのはさすがだった。
「戦場で剣を振るうより余程大変だ」
苦笑するトリヴィアは、マリルと同じ衣装をまとっている。
鬼とも悪魔ともつかない容姿の彼女が〝聖女〟の衣装を着ると、違和感が半端ではない。
「でも、意外と似合ってるよ」
衣装ではなく、子どもたちに囲まれている姿についてそう言うと、トリヴィアは満面の笑みを見せた。
ティファニア軍がブリュゴーリュの首都を移すことに決め、フィオーレにやって来た際、両親に先立たれた子どもたちが市街地に溢れている様子を目の当たりにしたトリヴィアは、自分が戦で得た報奨金のすべてを戦災孤児のために使うと決めた。
彼女は教会にすべての報奨金を寄付したうえ、人手不足の孤児院を手伝いたいと自ら申し出たのだ。
最初に孤児院を訪問した際、トリヴィアの姿を目にした子どもたちは、その人間離れした悪魔のような風体に恐怖し、部屋に集められた人数の半分以上が泣き出したうえ、一割近くがその場で失禁した。
それが、よくぞここまで懐かれたと、ミツキは内心でトリヴィアの努力を讃える。
「数字のおじちゃんだ!」
誰かがそう声をあげ、ミツキの周囲にも子どもたちが集まって来る。
たまに顔を出す際には、かならず甘味を持参するようにしてきたので、子どもたちはそれなりにミツキに懐いている。
〝数字のおじちゃん〟というのは、左目の下に刻まれた番号と記号を見て付けられた呼び名だ。
「〝おじちゃん〟じゃねえっていつも言ってんだろうが」
そうぼやきながら、ミツキはトリヴィアと子どもたちに向かって足を踏み出した。




