第四節 『犬』
その店に近寄って看板を確認してみると、〝鳥獣屋〟と書かれていた。
「まんまだな」
率直な感想が口をつく。
簡易テント製の店内とその店先には、大小様々な檻が並べられ、中には鳥や動物が入れられている。
種類は実に多彩で、犬猫や鹿や豚などに近い容姿の動物もいれば、ミツキが見たこともないような、奇妙な姿の生物もいる。
しかし、動物を販売しているのはわかるが、用途がわからんとミツキは思う。
ペットなのか家畜なのか、あるいは食用なのか、それとも店側から用途を指定していないのか、店の前に立っただけではよくわからない。
「おいミツキ! なにボーっと見てやがんだ! こっちはテメエが待てっつうから抑えてんのによぉ! 彼女を助ける気がねえならオレが――」
ミツキの後ろから、今にも飛び出しそうなオメガが身を乗り出す。
犬男の正気を半ば以上疑いながら、ミツキは刺激しないよう声のトーンを落として言い聞かせる。
「冷静になれ。あの犬っぽい動物を助けたいんならよく見てみろ」
「ああ!?」
ミツキに促されたオメガが檻の中の犬に視線を向けると、その身に装着されたものに気付いて苦々し気な声をあげる。
「あれは……前にオレ等を拘束していた道具じゃねえか!」
「制魔鋏絞帯、な。と言っても、機構が大分簡略化されているように見える。たしか、簡易版みたいなものが囚人の管理とかに使われてるって聞いたことがあるけど、動物にも使用されるみたいだな」
「クソが! ムゴい真似しやがる! すぐにぶっ壊して――」
「だから落ち着けって言ってんだろ! あれを無理やり取ろうとしたらどうなるかは、オレよりもおまえの方が詳しいだろうが」
指摘され、歯噛みしながらも、ようやくオメガは引き下がる。
ミツキは息をつきながら、店員を呼ぼうと店の中を覗くが、そこへ、外の騒ぎを聞きつけた店主と思しき人物が姿を見せた。
「お客さん、店の前で騒がしくされたら困りますよ」
店主は恰幅の良い体型に頭の禿げあがった、愛嬌を感じさせる顔の壮年男性だった。
「ああ、申し訳ない。ちょっとその檻の、えっと動物を見せてほしいんですが」
この世界の生物に詳しくないミツキは、檻の中の生き物が犬かどうかもわからなかったので、とりあえず〝動物〟と口にした。
「お! お目が高いですねぇお客さん。この大型犬、立派なものでしょう?」
「あ、犬であってるんだ」
「ええ、ええ勿論。と言っても、かなりの大型犬なのでわからなくても無理はありませんがね。それで、この犬はですねえ、南西部で代々ブリーダーとして王家に犬を献上してきた貴族によって生み出された超希少品種なんですよ。しかし、先の戦役で当主とその息子は戦死しまして、残された夫人は生きていくため、もはや不要となった犬たちをすべて売り払ったというわけです。私は運よくこいつを手に入れ、今や国内の商売の中心地となったここフィオーレまで売りに来たというわけですよ」
店主の話は眉唾だとミツキは思ったが、檻の中を窺えば、たしかに珍しい容姿の犬であるのは間違いなかった。
すらりとしたスマートな体躯に長い毛足が特徴で、元の世界のボルゾイとよく似ている。
檻の中で身を伏せながら、穏やかな瞳でミツキたちを観察している様子からは、確かに知性と気品を感じる。
「で、いくらなんです?」
「ふむ、そうですねえ……」
店主はミツキの姿をしげしげと眺め値踏みする。
しかし、妙な私服と見慣れぬ顔立ちから、どんな人物か判断しかねたらしく、腕を組んで唸ってから、右手の指を四本立てて突き出した。
「大銀貨四十枚ですな!」
「高っか」
そう言いつつも、革袋の中からシリー銀貨八枚を取り出し、店主の手に握らせる。
店主は値切りもせずに大枚をはたかれたことで、もっと吹っ掛けておくべきだったという悔し気な表情をほんの一瞬見せるが、すぐに愛想笑いを浮かべた。
「お客様ぁ、シリー銀貨でお支払いということは、ティファニア軍の方でしたか。それもかなりのお立場の方とお見受けいたします。よろしければ他の動物もご覧いただければ勉強させていただきますよぉ」
「結構です。そろそろ連れが痺れを切らしそうなので、犬だけすぐにいただきたい」
「お連れ様、ですか?」
ミツキにだけ注視していた店主が、上客の連れを探そうと視線を彷徨わせたところ、ミツキの背後で背を向けていたオメガが振り返り、身を乗り出した。
「おい! 話はまとまったんだろ! だったらいい加減、彼女を解放しやがれ!」
「んなぁ! い、犬人間ん!」
ようやくオメガに気付いた店主は、その姿に衝撃を受けたように数秒程硬直すると、興奮に上気した顔をミツキに近付けて捲し立てた。
「ちょ、鳥獣一筋で三十年以上商ってきたが、こ、こんな珍しい犬は見たことがありません! そこの犬は無料で差し上げますので、是非とも譲っていただきたい! お譲りいただけるなら、金貨五枚、い、いや十枚出しましょう! ついでにこの店の生き物もすべて付けますぞ! いかがですかな!?」
「い、いや、コイツは売りもんじゃ――っ!?」
断りの言葉の途中で、傍らから発せられた熱気に気付いたミツキは、苛立ちと屈辱のピークに達し、毛先から火の粉を散らすオメガに気付いて慌てた。
それをどうにか宥めすかし、なおも食い下がろうとする店主を半ば脅しつけて諦めさせ、檻の中の犬を引き取って、ようやくその場を離れた。
犬を連れたミツキらは、とりあえず近くの広場へやって来た。
拘束具を外された大型犬は、甘えたような鳴き声を発しながら、ミツキの体に鼻面を擦り付ける。
その光景を目の当たりにしたオメガは、頭を抱えながら震え声で叫んだ。
「なんでだよ!」
「落ち着けって。この犬は誰が自分を助けたのかわかってるんだ。利口な犬だよ。ま、これが金の価値をわかってるオレと、金に見向きもしないおまえの差ってことだな」
「ぐぬぬ」
悔し気に呻いたオメガは、ミツキに人差し指を突き付けて喚く。
「彼女を助けてくれたことには感謝するがな、犬扱いは許さねえぞ! 彼女に失礼だろうが!」
「だって犬じゃん」
「てめっ! 今オレの言ったこと聞いてなかったのか!? 次犬つったらマジで〝炎爪〟で引き裂いてやるからな!」
「わかったわかった。それじゃあ何て呼べばいいんだ? その、彼女のことは」
ミツキに問われ、オメガはしばし考えると提案した。
「テメエが決めろ」
「オレが? なんで?」
「オレの名前を考えたのはテメエだろうが。だったら、オレのつ、連れの名前も、テメエに決めてもらいてえ」
「いや、連れって……」
やはりオメガは、そういうつもりでこの犬を引き取ったのだろうか。
困惑しながらもミツキは名前を考える。
「んじゃ、ミューで」
「か、かわいい名前じゃねえか。で、意味はなんだよ」
「おまえと同じギリシャ文字だよ。特定の意味はないけど、あえて言うなら、なんとなくミューズっぽいっよな、響きが」
「みゅ、みゅーず?」
「神話に登場する女神姉妹の総称だ」
「め、女神……へへっ、ぴったりじゃねえか、お、オレの女神」
「……えぇ」
どうやら己の推察は間違いないらしいと確信し、同時に、ミツキはドン引きした。
オメガはこの犬を異性として認識している。
顔こそ似たような造形だとしても、四つ足だぞと思わずにはいられない。
ミツキが戸惑う間にも、大型犬、あらためミューは、オメガの手に持っているものに鼻を近づける。
「お、おう、忘れてたぜ」
オメガは冷めた骨付き肉をミューに差し出す。
満足に餌を与えられていなかったのか、ミューは一瞬オメガを窺うが、すぐに肉に齧り付き、夢中で喰らった。
ミューの食事する姿を見ながら、オメガは眼尻を下げながら独り言つ。
「くそっ! なんてチャーミングなんだ!」
犬が餌を食べる姿はたしかに可愛らしいが、こいつはそう言う意味で言ったのではないだろうと考えつつ、ミツキはオメガに問う。
「で、このい……彼女をどうするんだ?」
「ど、どうするって、べべ別にどうもしやしねえよ! 助けたからっつって恩に着せて迫ったりとか、そんな下衆い真似はしたくねえし。で、でもよお、もし彼女がオレのことを憎からず――」
「いや、そういうこと言ってんじゃなくてだな、連れて帰るのかって訊いてるんだが」
「そっ、そんなの当たり前じゃねえか! まさか見捨てるつもりじゃねえだろうな!」
「いや、まあ側壁塔の頃と違って食べ物に不自由はしてないし、部屋も融通はできるだろうけど――」
ミツキたち異世界人は、フィオーレに来てからは、都市の中心に位置する城の一画に間借りしている。
部屋数は余っているので、屋内で飼うことは可能だろう。
「ちゃんと世話できるのか? 言っておくが、オレはなにもしないぞ?」
「する! するって! だからいいだろ!?」
「食事はどうするんだ? 今迄みたいにオレと城のメイドに任せきりにするつもりじゃないだろうな」
「ちゃ、ちゃんとテメエで用意するって!」
「でも、おまえ金を使えないんじゃ買えないだろ」
「覚えるからよ! 覚えて慣れる! だからいいだろ!? 意地の悪いことを言うんじゃねえよ!」
オメガは子犬を拾って帰った少年のようなつぶらな瞳でミツキを見つめた。
ミツキは小さく溜息をつく。
「わかった。とりあえず、オレはこれからトリヴィアの所に行くけど、おまえはミューを連れて先に帰ってろ。あそこに連れていくには、ミューはまだいろいろ慣れてないからな。子どもたちも怖がるかもしれないし」
場所が場所だけに、狂犬病のチェックも済ませずに連れてはいけないというのが本音なのだが、オメガが怒りそうなので黙っておく。
「お、おう。それじゃあミュー、い、いきなりふたりきりとか、不安かも知れねえが、オレはおめえの嫌がることとかぜってえしねえからよ、あ、安心してついて来てくれよ、その、オレたちの家によ」
オメガが歩き出すと、ミューは骨を咥えながらも後に従った。
本当に賢い犬だとミツキは感心する。
王族への献上品というのも、完全な口から出まかせではないのかもしれない。
「まあ、なにはともあれ、あいつが幸せそうでよかった……よかった、よな?」
そう呟いて、ミツキは去って行くオメガたちを生暖かい目で見送るのだった。