第三節 『市場』
串に刺した肉を炭火で焼いていた中年男が、目の前に出現した犬の顔にギョッとなり、手に持っていた串を危うく火中に落しかける。
「オヤジ、串焼き十本くれ。いや、こいつの分も入れて十一本だな」
「なんでオレの分が一本だけなんだよ」
ミツキの不平はオメガの耳に届いていない。
魅入られたように、目の前で火に炙られる肉を涎を垂らしながら見つめている。
この世界に来たばかりのこいつなら、肉を強奪したうえ、店主も焼いて食っていたかもしれないとミツキは思う。
仲間の成長を心の内で噛み締めつつも店主を窺えば、オメガに対し弱り切ったような視線を向けている。
自分以外の異世界人を目にした時の反応で、相手がこの街に来てどれ程経つのか、ミツキにはなんとなく察しがついた。
街に来たばかりの者は、まず驚愕と、同時にほとんどの者が恐怖を顔に浮かべる。
少し慣れてくると驚きは好奇心へと変わり、さらに時間が経つと無関心へと至る。
店主の表情から、この街に来てそれなりの時間が過ぎているとミツキは推測するが、どこか妙な反応だとも感じた。
ともあれ、まずは代金を払うことにする。
「オレは二本にしてください。十二本でいくらになりますか?」
「あ、兄ちゃん、もしかしてこの犬のダンナの飼い主かい?」
「あぁ!? 誰が犬だゴルァ!」
「ひぃぃ!」
店主の胸倉を掴み上げるオメガを引き離す。
「やめろ。餌を前に気が立ってるのはわかるが落ち着け。ステイ!」
「て、てめっ! 焼き殺されてえのか!」
いきり立つオメガを無視して、ミツキは店主に向き直る。
「すみませんね、うちの子が。猟犬としては優秀なんですが、どうも気性が荒くて。火傷とかしませんでした?」
「あ、ああ、そりゃ大丈夫なんだが、それより飼い主ならこのダンナのツケを支払ってくんねえか?」
「は? ツケ?」
戸惑いの表情を浮かべるミツキに、困り顔の店主は説明する。
「このダンナには何度か肉を持ってかれてるんだ。ただ、どうもティファニア軍の偉いひ、人? らしいって聞いてよ。取り立てるにゃ相手が悪いんで、とりあえずツケってことにしてあるんだよ。あんた、随分若いみたいだけど、このダンナと一緒にいるってことは軍人の見習いかなにかだろ? 基本的にティファニア軍の人は支払いで揉めたりしねえし、このダンナだけ例外だと考えて頼むんだが、ツケを支払っちゃもらえねえかな?」
ミツキは頭を抱えた。
ぜんぜん成長などしていないではないか。
「……すみません、いくらですか?」
「だいたい五十本ほど持ってかれたんで、銅貨百枚、小銀貨なら二枚だな」
そんなにかとミツキは思うが、オメガの身体能力なら店主が反応する暇さえなくかっぱらうことが可能だろう。
ポーチから革袋を取り出し、中からつまみ上げた貨幣を店主の手に握らせる。
掌を開いた店主は、渡された貨幣を見て眼を剥いた。
「ちょっ! ティファニアのシリー銀貨かよ! 困るって、こっちの大銀貨五枚分以上じゃねえか。こんな店で出すもんじゃねえだろ。釣りが用意できねえよ。中銀貨か、せめて大銀貨はねえのかい?」
「いえ、迷惑料込みで取っておいてください。ただ、今後もこいつが来るようなことがあれば、また串焼きを恵んでやっていただけると助かります。もちろん、ツケにしておいていただければ、代金は後日お支払いしますので」
「えぇ、本当かよ……やっぱり軍の偉いひ、人? ってのはマジだったんだな。ってことは、あんたは付き人かなにかかい? 随分と気安いように見えるが……」
「えっと、まあそんなとこです」
最近、執務室に籠ってばかりのミツキは、あまり市井の人々から顔を覚えられていない。
幹部用の軍服を着ていれば察することもできるのだろうが、今日は私服だ。
オメガに両手いっぱいの串を渡した店主は、ミツキの左目の下に視線を向け気の毒そうに声を掛ける。
「その顔の入れ墨、もしかして軍の認識番号かなにかかい? 普通そんなところに彫らねえだろ。あんなダンナの下に付けられてることといい、もしかして兄ちゃん、軍の中でいじめられてんのか?」
ミツキは苦笑しつつもあえて否定しなかった。
ここに来るまでの経緯や現状を鑑みれば、当たらずとも遠からずだと考えているからだ。
「まあ、元気出しなよ。そういや今、総督の代理でこの街を仕切ってるティファニア軍のなんとかって方は、多少融通の利かねえところもあるが、基本、目下のもんにも隔てなく接してくださる、人間の出来た方らしい。機会がありゃあ直訴してみるってのも手じゃねえかな」
一本おまけしてくれた店主から三本の串焼きを受け取りつつ、ミツキは笑顔で応じた。
「お気遣いありがとうございます。でも、まあ、それほどでもないですよ」
疑問符を浮かべる主人に背を向け、ミツキは次の店に向かうオメガを慌てて追いかけた。
東区の市場を通り抜けたふたりは、大通りの交差する広場の噴水前に座っていた。
噴水は街の施設整備に伴い、中水道を設置する際のついでで作らせたものだったが、今では住民たちの憩いの場となっている。
結局、オメガは複数の店の商品をかなり頻繁にかっぱらっていることが判明し、ミツキは謝罪と補償に追われた。
今日回ったところ以外にも被害に遭っている店がある可能性は高いので、後で調査と対応をソニファに命じなければならない。
ものすごく嫌な顔をされるだろうが、躾のなっていない犬を野放しにした責任は己にある。
そう自分を納得させるミツキの横で、オメガは骨付き肉を片手にもつ煮込みを啜っている。
ミツキは嘆息しながら恨めし気な視線を向ける。
「おまえね、暇なのはわかるけど盗みは犯罪なんだって。オレが一緒の時以外でも市場に行くんなら、いい加減金の使い方ぐらい憶えろよ」
「断る。そんな意味の分からねえもん使うぐらいなら、奪い続けるぜオレは」
「なんなの、マジで! なんでそんなに頑ななの!? 商品と貨幣を交換するだけじゃん! なんにも難しいことないだろ! 拒否り続ける意味がわからないんだけど!」
「うるせえ! 弱いから奪われるんだろうが! 弱肉強食は自然の摂理だろ! オレはそれに従ってるだけじゃねえか! テメエらこそバカじゃねえのか!? あんな金属の塊、かさばるだけで何の役にも立たねえだろ! そんなものと食いもんを交換するとか、意味不明過ぎて気色わりいんだよ!」
貨幣経済の仕組みを理解できていないオメガに、これ以上の説得は無意味に思えた。
ついさっきまで、こいつの人間のような成長に感動すら覚えていただけに、裏切られた気持ちになる。
「所詮は口が利けて二足歩行できるだけのケダモノかよ」
「んだとぉ! さっきからゴチャゴチャと文句ばかり垂れやがって! 表に出やがれ!」
キレたいのはこちらの方だと思いつつ、どうにか気を鎮めながら言葉を返す。
「落ち着け。ここはもう外だろ」
「屋外って意味じゃねえ! 街の外ってことだ!」
「……そこは良識的なのかよ」
立ち上がったオメガに続き、ミツキもゆっくりと腰を上げる。
しかし、こいつと喧嘩するのは不味いと、内心では慌てている。
オメガとの相性が、極めて悪いと考えているからだ。
トリヴィアを大きく凌ぐ速度で動き回られれば、〝飛粒〟も〝飛円〟も当てることはできまい。
仮に命中させる手段があったとしても、〝炎叫〟一発で死ぬのは火を見るより明らかだ。
さすがに喧嘩で炎を使うほど考え無しとは思いたくないが、たった今、獣と断じた相手だけに、信用はできない。
一瞬、蟲の通信でトリヴィアに助けを求めるかとも考えるが、それこそ、逆上したふたりが街を巻き込んでの喧嘩を始めかねないと判断して却下する。
どうにかして宥める方法はないかと思案していたミツキは、オメガが動き出そうとせず、言葉を発しもしないことに気付いて、顔を窺う。
犬男は、明後日の方向を見つめながら、呆けたように口を半開きにしている。
その視線を辿れば、広場の隅でさまざまな動物や鳥を商っている店に置かれた大きな檻を見つめていることがわかった。
中には、一頭の大型犬に見える動物が入れられている。
「あの獣がどうかしたのか?」
そう問いかけるミツキに、オメガは口を何度かパクパクと動かしてから、ようやく声を絞り出す。
「……き……ぶ」
「え? なんて?」
「…………激マブ、じゃねえか」
突然の死語に、意味を計りかねたミツキは、言葉の意味を頭の中で確認したうえで、あらためて理解不能と再認識し、問い掛けた。
「なに言ってんだおまえ?」