第六節 『妖女』
「種族? それとオレの今後の生存と、何のかかわりがある」
「その問いに答える前に、ひとつ確認しておきたい。私たちはこの世界に召喚される際、不完全な魔法の副作用とやらで記憶を失っているわけだが、おまえは自分の知識や能力が妙に優れていると感じてはいないか?」
「それは、何度も思ったよ。驚くほど動ける体だとか、記憶喪失にしては自分のこと以外の知識はいろいろ知りすぎているとか、あとは何故か外国語に堪能だったりとか……」
そのために、独房で目覚めてしばらくは、自分が他国に侵入して捕らえられた工作員か何かかと思っていたのだ。
今考えると、思春期の妄想のようで気恥ずかしい。
「なるほど、その程度か。やはり、というべきか」
「どういう意味だ」
「私の種族はおまえたち〝人〟よりも大分長命でな。軽く五、六百年は生きる。成体はだいたいが今の私のような容姿で、死ぬまで老いることはない」
「ごっ……!」
それではこの少女のような姿も見た目通りではないということか。
詐欺だ、と思う。
あるいは合法ロリだ、とも思う。
「人を超える英知と人の理を超える力も使う。よって、人からは天孫や神仙と呼ばれて崇められ、あるいは鬼や化生として畏れられている」
「比喩でもなんでもなく〝超人〟じゃないか……ってことはあんたの世界じゃ人類ではなくあんたの同族が最も繁栄している種族なのか?」
ミツキは少女に対して用いる代名詞を「キミ」から「あんた」へと切り替えた。
実のところ〝少女〟ではない可能性が極めて高そうだからだ。
「繁栄の定義によるが、質問の意図を汲んだうえで答えるなら、それはない。まず、我らは人に比べて圧倒的に個体数が少ない。また、人のように徒党を組まねば生きられぬほど弱くもない。それゆえ、社会というものを形成しない。同族とは距離を置き、山や森の奥でひっそりと生きる者が大半だ。まぁ、中には、人に化け町や里で暮らすもの好きもいないではない」
「ああ……なるほど。まるっきり仙人だな」
「私の種族は気紛れに下界へと降り人の営みに干渉することもあるが、基本的には人里離れた土地でひっそりと暮らし、一生を外法の探求に費やす」
「外法ってのは、さっきオレに見せた影に虫を忍ばせたり、虫を操るような技術のことだな?」
「そうだ。そして人に比べれば格段に寿命の長い我ら一族でも、生涯に極められる外法は一系統のみ。魔道の探求にはそれほど長い歳月を要するのだ」
だとすれば、少女の言う〝外法〟とやらは、この世界の〝魔法〟とは根本的に異なる技能なのかもしれないとミツキは考えた。
ひとつの道を究めるだけで数百年掛かるというのなら、人の手に負えるものではあるまい。
「だが、独房で過ごす間、己に何ができるか確認したところ、どうやら私は多系統の外法を極めていると確信するに至った」
「……ちょっと待てよ。今、ひとつ極めるのに数百年の生涯を費やすと言ったばかりだよな? それを複数なんて、あり得るのか?」
「まず不可能だ。才覚や要領の問題ではなく、水が千年をかけ岩を穿つように、時間をかけることでしか習得できない術は少なくない。かといって、外法による延命にも限度がある。召喚魔法で呼び出されたという監督官の説明を否定するもうひとつの根拠がこれだ。私の一族のどんな傑物であろうと、習得した外法の多彩さでは私の足元にも及ぶまい。つまり、現実的に考えれば私は、私自身が故郷と認識する世界に存在したはずがないのだ。まして、奴らはそんな特別な者を無作為に呼び出したのだという。疑わぬ方がおかしいというものだろう」
少女のなりをした妖女の主張には説得力があるとミツキは感じた。
この女程ではないにしても、荒事に慣れているはずのないただの日本人が、魔獣と相対してあれ程動けたことからして、今にして思えば不自然だ。
身体能力以前に、命の危機に晒された際、咄嗟に対応できるような素養を備えた者などどれだけいるというのか。
にもかかわらず、召喚対象はランダムに選んだという主張には無理があるのではないか。
付け加えるなら、〝不完全な魔法の副作用で記憶を失くした〟というのも、よくよく考えれば疑わしい。
この国の、自分たちを召喚したという者らにしてみれば、過去を憶えていない、つまり自分が何者なのかわからない、何の拠りどころもない人間の方が操りやすいはずだ。
意図的に記憶を消されたと考えた方が自然ではないか。
では召喚など嘘っぱちで、何かそれ以外の方法でミツキらを拉致し、魔法か薬で記憶を消したのだろうか。
だがそれでは、召喚された者の能力値が不自然に高いことの説明がつかない。
ミツキ自身はともかくとして、目の前の女は己の習得した技能をあり得ないとまで言い切っているのだ。
それとも、ミツキを惑わそうとする女の虚言なのだろうか。
情報不足と疑心暗鬼で頭がおかしくなりそうだった。
「まあ、召喚の件については今考えたところで仕方がない。それよりも、今重要なのは、私が多系統の外法を会得しているという事実だ。先程、私は〝私の種族は気紛れに下界へと降り人の営みに干渉する〟と言ったな。ひとくちに〝干渉〟と言っても、その目的も方法も個体によってまったく異なる。例えば、人の姿に化け外法を用いて政を行う者、あるいは思想や真理を説き人々を啓蒙する者、色香で為政者を惑わし国を傾かせる者……そ奴らのもたらすものが繁栄にせよ破滅にせよ、大抵は人の歴史において大きな転換点となる場合が多い」
「おい、長々と話して結局身内自慢かよ。私の一族ツエーってか? その中でもあり得ない能力を持った自分なら、こんな世界どうにだって変えられるとでも言いたいのか?」
「そう急くな。ここからが本題だ。今、例として挙げたのは、私の一族の者が直接人の営みに干渉する場合についてだが、それとは別に間接的に干渉することもある」
「間接的?」
「人に力を与えるというかたちでの干渉だ」
ミツキの目の色が変わった。
「力、だって?」
「例えば、私を捨て多くの人民を救いたいと願う者、稀有な野心を遂げるため生涯を賭す者、仇敵への遺恨を秘め復讐に身を捧ぐ者、信仰を証明するため殉教の道を歩む者、そういった人物の前に現れ理想や野望を遂げるための力を授ける、ということもある」
「なるほど。つまり、あんたがオレにその力とやらをくれるってわけか」
「ああ。私の世界では〝人〟の身で魔法の如き力を扱える者など極めて稀有な存在だった。先に述べた外法というのも私の同胞だけが使える異能だ。すなわち、私の世界の〝人〟とは、この世界の魔法を使える〝人〟とは違う、おまえと同種の魔法などと無縁の〝人〟だ。であれば、私の外法でおまえに力を与えることは可能だろう。人に力を授けるには、特定の外法を習得している必要があるのだが、既に述べた理由からこの条件も満たしている」
随分と遠回りしたが、ようやく話の核心に至ったとミツキは感じた。
つまり、協力の見返りに生き延びるための力を提供すると言っているのだ。
この女の言うように、今のミツキが戦争になど駆り出されれば、まず生き残ることはできまい。
申し出は渡りに船だと言えた。
「一応確認しておくが、その力ってのがあれば、魔法に対抗できるんだな?」
「もちろんだ。私の世界では神に通ずる力という意味で〝神通〟と呼ばれていた程だ。極めた者は、念じるだけで海さえ断ち割ったという」
「どっかで聞いたような話だな」
「それで? 力は要るのか要らんのか、返答を聞かせてもらおう」
女の問いを受け、ミツキは少しの間、目を閉じた。
力を受け取るということは、事実上目の前の女と契約するということだろう。
当面の間、この国での地位向上を目指すという目的については異存ないが、この得体の知れない女が己に何を求めるかは全くの未知数だ。
そして、女の意に背けば、どんなペナルティが課せられるかわかったものではない。
女の冷酷さは傍らに佇む看守が証明している。
到底逆らう気にはなれなかった。
おそらく、女もそこまで見越したうえで、看守をミツキに引き合わせたのだろう。
つまり、力を受け取った瞬間から、ミツキは女の手駒になり果てるということになる。
看守と違うのは、自我を残しているか否かという点だけだとも言える。
抵抗を感じないはずはなかった。
一瞬の沈黙の後、小さく息をついてからゆくりと目を開く。
「考えるまでもないな」
「ほう。ではどうする」
「力とやらをくれ。見返りに、あんたの望みを叶えるため力を尽くすと約束しよう」
そう、考えるまでもない、と心の内で繰り返した。
どれ程リスキーな契約であろうと、目前の死を座して待つよりはマシなはずだ。
おぞましい虫を使役し、人を傀儡同然に操る女への嫌悪の念も、死を想えばどうにか押し殺せる。
「ふむ。二言はないな?」
「何度も言わせるな。いいからさっさと力をよこせよ」
ミツキの返答を聞き、女が僅かに俯いた。
星と月に照らされているとはいえ、周りを木々に囲まれた夜ゆえ、表情を窺うことはできない。
ほんのひと時、木々のざわめきも虫の音もない林の中を静寂が支配した。
「……どうした?」
口を噤んだ女を訝しみ、ミツキが目を凝らしながら顔を覗き込もうとするのと同時に、クスクスという小さな笑い声が響いた。
「お……い。何が、可笑しい?」
そう言ったミツキの声は、微かに震えていた。
笑い声は耳を澄まさねば聞こえぬほど小さく、その声音も可愛らしい少女を思わせる涼やかな響きだったが、女の本性を垣間見ていたミツキには、それがかえって不気味で不吉なものと感じられたのだ。
「私の額を見ろ」
唐突に、女の声が響いた。
ミツキは相手の顔に向けていた視線を、反射的に上へずらし、大きく目を見開いた。
先程までシワか細い傷痕だと思っていた額の縦線が左右にパックリと開き、双眸と同じ紫水晶の瞳が覗いていた。
怪しげに光さえ放つ第三の目に驚き、ミツキはおもわず声を上げそうになったが、声帯が機能せず掠れたような息だけが微かに漏れた。
喉の異常に動揺し、手を口に当てようとしたが、今度は腕が動かない。
そこで、ミツキははじめて、自分の全身が硬直していることに気付いた。