第六十五節 『微塵』
ミツキが腕を突き出すたび、巨大な砂鉄の渦が肉塊を襲い、その体を抉り取っていく。
削れた肉片が四方に飛散し、靄の下で燃える街へと降り注ぐ。
なかなか大した威力だと思うが、異形の体は予想以上に硬く、既に十発攻撃を命中させているが健在だ。
考えてみれば、城よりも巨大な体だというのに、この化け物に骨格があるとは思えない。
自重を支えるため、体を構成する肉が鋼のように硬いのは当然と言えば当然だ。
しかも、抉られた箇所は、みるみる肉が盛り上がり、傷を塞いでいく。
凄まじい回復能力だ。
とはいえ、攻撃が効いていないわけではない。
異形を見下ろすミツキの視線の角度は、攻撃を始める前よりも大きく下がっている。
つまり、傷を塞ぐことはできても、削り取られた肉が再生するわけではない。
このまま攻撃を続ければ、体が小さくなるほどに防御力も低下し、最終的には粉々に粉砕することもできそうだ。
「問題は、それまでオレがもつかだ」
力を振るう程に、頭痛はますます強烈なものとなっていた。
それだけ大きな負担が掛かっているということだろう。
この痛みに、いつまでも耐えられる自信はなかった。
意識を失う前に、なんとしてもこの化け物を駆除しなければならない。
「ちんたら削っている暇はない。もっと効率よく力を振るう方法は――!?」
一瞬思考する間に、肉塊がボコボコと波打ったかと思うと、その表面から管が生えミツキに伸ばされる。
その数、百や二百ではない。
数千、あるいは数万本かもしれない。
それが、あらゆる角度からミツキに殺到する。
「忙しいってのに!」
こんなものに対処している余裕はない。
そう考え、ミツキはポーチから取り出した手拭いで口を覆いつつ、足場の砂鉄に念を送る。
すると、その体はずぶずぶと砂鉄の中へ沈み、管が伸ばされるより先に、姿を隠した。
攻撃目標を喪失した管は、戸惑うかのように砂鉄の周りで動きを止めたが、やがてミツキを追うため砂鉄の中へ潜り込もうとする。
しかし、数千本の管が砂鉄の塊に触れると同時に、その先端が黒い斬撃によって斬り飛ばされた。
しかも、砂鉄の刃は管の表面を滑るようにして引き裂き続け、やがて根元の肉塊へ辿り着くと、波のように全体へと広がっていった。
数千、あるいは数万本の管はものの数秒で輪切りにされ、飛び散った血液とともに靄の中へと落ちていった。
さらに、管を辿って肉塊に到達した数千、数万の斬撃が延々と異形の身を切り裂き続ける。
さすがにたまりかねたのか、打撃を受けてもうんともすんとも言わなかった異形から悲鳴が上がる。
その「ミギイィィィィィイ」という声は、人の赤子の泣き声や発情した猫の鳴き声によく似ていた。
砂鉄の中から這い出し、髪や服に付いた砂鉄を払うミツキは、悍ましい響きに顔を歪める。
「なんっつぅ気味の悪い声だよ。つうか、どこから声なんて出してんだ?」
ともあれ、打撃よりも斬撃が奏功していることに、ミツキは手応えを感じる。
やみくもにぶつけるよりも、束ねて斬った方が、局所的なダメージは大きいということか。
肉塊の表面を切り裂き続ける砂鉄の刃を浮き上がらせ、巨大な鎌のような形状を作って振り下ろす。
肉塊にぶつかると同時に、ウォータージェットのように超高速で放射された砂鉄が肉を切り裂き、殴るようにぶつけるよりも多くの質量が異形の体から滑り落ちる。
「いい感じだ。この砂鉄の刃で数等分してから、最初と同じ攻撃でミンチにすれば――ん?」
肉塊の化け物が大きく動き、ミツキは身構える。
これだけ一方的に攻撃されたのであれば、いい加減、本格的に反撃してくるだろうとは思っていた。
足場の砂鉄で壁を作り防御しつつ、カウンターの斬撃を浴びせてやる。
そう目論んでいたミツキは、肉塊の化け物の意外な行動に戸惑いの表情を浮かべる。
「え? ……遠ざかって、いる? まさか、逃げるつもりか!?」
拍子抜けだが、よくよく考えれば当然とも思えた。
これだけの巨体に加え硬さと回復力を兼ね備えている以上、この化け物を害することのできる生き物などそうはいまい。
しかも、近付く者は靄によって洗脳し、手駒にも餌にもできるのだ。
それだけの備えがあれば、外敵への攻撃手段など不要だろう。
つまり、先程の管による攻撃が、肉塊の化け物にとって最後の反撃だったということか。
「勝ったな。そんな巨体で脚もない。ナメクジみたいに這いずりながら、オレから逃げられると本気で思ってるのか? 追撃して一気に終わらせて、や……」
言い終わる前に、視界が白くなり、意識が飛びかける。
慌てて片膝を着き、どうにか倒れるのを堪える。
「い、今、意識が……まさか、限界か!?」
よくよく考えれば、いつ意識を喪失してもおかしくはなかった。
そして、ここまで腰を据えて攻撃するだけで、これ程凄まじく消耗してきたのだ。
足場の砂鉄を移動させながら、追撃する余力など残ってはいない。
慌てて肉塊へ視線を向ければ、全身を蠕動させつつ向かっているのが、ティファニア軍本陣の方角だと気付く。
今、ここで肉塊の化け物を止められなければ、ティファニア軍は為す術もなく壊滅させられる。
「じょ、冗談じゃないぞ! 敵はもう攻撃の手段もないってのに、詰んでるのはオレの方かよ!」
ミツキはパニックを起こしかけるが、咄嗟に、落ち着けと自分に言い聞かせる。
追撃が無理なら、別の手段を考えろ。
一旦、砂鉄の足場を解除して、自分の足で追うかと思い付くが、今の自分が一度でも集中を途切れさせれば、二度とこの大質量の砂鉄を操ることはできない気がする。
それなら、追撃ではなく、奴が戻ってくるよう仕向けることはできまいか。
しかし、知性が感じられない化け物には、得意の挑発は効かないだろう。
それなら、奴の気を引くようなものはないかと思考したところで、ハッとなる。
「くそっ! 思考力も相当鈍ってるな! こんなことにも気付かないなんて!」
苦々し気に呟きながら立ち上がると、腰の耀晶刀を引き抜き、見せ付けるよう頭上に掲げながら肉の化け物に向かって叫んだ。
「どこへ行くんだよナメクジ野郎が! おまえの好物はこいつだろうが! いらねえんなら二度と奪われねえようどっか遠くに捨てちまうぞ!!」
ミツキの声の直後、肉塊の動きがぴたりと止まり、蠕動が再開すると今度はミツキの方へと向かいはじめた。
餌で釣れたことに安堵し、ミツキの口の端が持ち上がる。
実のところ、本陣には十一対の耀晶刀を残してきたのだが、目の前の化け物は気付いていないようだ。
抜刀するまでミツキが耀晶刀を持っていることにも気付いていなかったということは、もはやブリュゴーリュ王に寄生していた時ほどの知性はなく、ただ本能に突き動かされて向かってきているのだと思われた。
「つっても、オレにももう余力はない。頭痛で意識が途切れる前に、大技で一気に勝負を決めてやる」
ミツキは足場を形成する最低限の量を残して、砂鉄を頭上へ巻き上げると、耀晶刀の周囲に纏わりつかせる。
「固まれ」
言葉に反応したかのように、耀晶刀に吸い寄せられた砂鉄が中心に向かって凝縮する。
ギチギチと音を立てながら、ミツキが持ち上げた柄の先に、耀晶刀を芯とした巨大な刀が出現する。
ミツキ自身には視認できないが、刀身は高層建築物並みの高さに達している。
いったいどれだけの砂鉄が固まってできているのか推測することもできないが、その一粒一粒に念を送るようミツキは意識する。
念動によって物体に加わる力は、物体の大きさに関わらず一定だ。
己の念動が小さいものを操った時ほど高威力を発揮するのはそのためだとミツキは理解している。
ということは、仮に刀を構成する砂鉄の数が五兆粒だとして、単純計算で〝飛粒〟一発の五兆倍の力が使われていることになる。
「さすがに、そのまま威力に還元できるわけじゃないだろうがな」
ミツキは向かってくる肉塊との間合いを測りながら足を前後に開く。
刀を形成しているだけで、己の意識が削られていくのがわかったが、この一撃で決めねばならぬ以上、タイミングを誤ることはできない。
頭痛は全身に悪寒を覚える程になり、滝のような油汗が流れるが、ミツキはさらに数秒を耐え続けた。
そして、肉塊の化け物が大きく体を伸ばし、続いて身を縮めた一瞬を見計らい、踏み込みと同時に巨大な刀を振り下ろした。
刀身に想像を絶する程の力を宿した超巨大刀は、大きさからすれば不自然な程の素早さで弧を描くと、次の瞬間には大地に深々とめり込んでいた。
肉塊は真っ二つに両断され、その中心には漆黒の壁が聳えていた。
ミツキは振り下ろした刀の軌道上に、圧縮された砂鉄を薄い板状にして残していた。
肉塊の中心にそそり立った扇状の巨大な物体に向け、ミツキは念じる。
「微塵に引き裂け」
次の瞬間、薄壁は真横に走る数万、あるいは数億の刃と化し、肉塊を中心から左右に向けシュレッダーのように裁断した。
裁断といっても、重ねた刃の密度の高さゆえ、まるで一瞬で液状に分解されたような様相で、肉塊の化け物は大量の血と挽肉と化して崩れ落ちた。
街は劫火に包まれているが、それでも、この山のような挽肉を焼ききるには熱量が足りないだろう。
「終わ……った」
呟いたミツキの視界が暗転する。
どうやら、今度こそ本当に限界らしい。
しかし、気絶する一歩手前で、ちょっと待てよと、辛うじて意識を繋いだ。
このまま気を失っても、城から投げ出された時のように、指輪にかけられた魔法が落下の衝撃から身を守ってはくれるだろう。
しかし、風を纏う性質を鑑みれば、街を覆う炎まで防いでくれるとは思えない。
「く……そ」
視覚も聴覚も機能せず、頭を弾けさせる勢いの痛覚ばかりが認識できる状況で、ミツキは足場にしていた砂鉄を人の手のように変形させ、自分の体を掴むと思い切り投擲した。
肉塊の化け物の逃走時に、本陣の方角は確認している。
繊細な力の調節はできなかったが、地面に落ちる前に魔法が守ってくれるだろう。
ミツキの期待通り、錐揉み回転しながら宙を舞う体は、軌道が上昇から下降へ移るタイミングで風を纏い失速した。
綿毛のようにゆっくりと落下した体が、何かに受け止められる。
その柔らかな感触には覚えがあった。
「……ああ、おっぱいか」
そう一言呟くと、必死に己の名を呼ぶ声に安堵し、ミツキはようやく意識を手放した。
第五章完結です。次回、幕間挟んで新章となります。もし作品を気に入ってくださったのであれば、ブックマーク登録と評価(↓の☆☆☆☆☆)をいただけると嬉しいです。