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第六十四節 『激情』

 肉の塊の異形と対峙(たいじ)するように、数対の翼を生やした龍のような化け物が(もや)の中から立ち上がったのを見て、トリヴィアの表情が一層険しくなる。


「また、妙なのが出た! 早くっ、早く行かなければミツキが――」

「落ち着け。あれは生物ではない。おそらく、何者かが使った魔法だ」


 と言いつつも、それにしては妙な感じだとサクヤは思う。

 この世界の人間が使う魔法特有の、回りくどくて形式ばった印象がない。

 もっと感覚的で、本能に任せて振るわれた力のようだ。

 ということは、さらに別の異世界人か。

 そもそもあの靄の中でこの世界の人間がまともに意識を保てるはずもない。

 しかし、それは己やトリヴィアやオメガとて同じことだ。

 ゆえに、サクヤは俄然(がぜん)興味をそそられる。

 あの靄の中で、あれだけ大掛かりな魔法を使うとはいったいどんな生物なのか。

 額の第三の目を大きく開き、靄と、その上に突き出た黒い筋へ視線を注ぐ。

 好奇心に輝いていた彼女の顔は、一瞬の間を置いて困惑の表情に変わった。


「な……ん、だと」


 よろめき、後退り、(うつむ)いたサクヤの反応を目の当たりにして、トリヴィアは怪訝(けげん)な表情を浮かべる。


「どうした? なにが見えたんだ?」


 トリヴィアの問い掛けに、サクヤは無言を貫き顔を上げようともしない。


「おい! なにを見たのかと聞いているんだ!? まさか、ミツキが――」


 叫びかけたトリヴィアは、サクヤの肩がひくりと上下したのを見て言葉を止めた。

 人と似通った体構造の彼女には、今のような生理反応はだいたい二つの場合にしか起こらないと理解していたからだ。

 即ち、泣くか、笑うか、そのいずれかだ。

 サクヤの肩の痙攣(けいれん)は少しずつ振動の速度を増し、やがて全身へと震えが伝播(でんぱ)すると、体を()すりながら俯いた顔を上げた。

 トリヴィアは、目の前の人形然とした女が、腹の(よじ)れるほどに笑う姿を始めて見た。

 その顔は、大きく歪みながら、造形は尚も美しい。

 しかし、なぜか見る者に寒気を催させる表情だとトリヴィアは感じる。


 そんなトリヴィアの心中などまるで気に留めた様子もなく、サクヤはケラケラと声を上げながら、笑いの合間に口を利いた。


「こいつはいい! 傑作(けっさく)だ! ()()()なんのお膳立(ぜんだ)てもしなかったというのに、余程の目に()ったと見える! いや、あの刀を置いていくよう忠告しなかったことこそがお膳立てか! それだけっ……たったそれだけのことで、これ程の躍進(やくしん)とは! 私の意図せぬ場面でこうまで驚かせてくれるか! 使い物にならず一度は捨てようか迷ったが、根気よく苦しめて(育てて)良かったと今なら心底思えるぞ!!」


 そう言って再び笑い(むせ)ぶサクヤに、トリヴィアは困惑する。


「な、なにを言って……なにがそんなにおかしいんだ、おまえは」


 そう問われ、くくくっ、と堪え切れぬ笑いを口の端から漏らし、引き()る腹筋を抑え付けながら、目の端に涙さえ浮かべたサクヤはトリヴィアに向き直る。


「なんだ、まだわからんのか!? ミツキだよ! あの黒々としたよくわからんものを操っているのは! あの最頂部に目を凝らして見ろ、奴が立っているだろう! それにしても凄まじい魔力じゃないか! よくあれで頭が破裂しないものだな!!」

「なっ!」


 指摘を受け、目を細めて黒い竜のようなものの頂上付近を観察すれば、確かに、頭を押さえたミツキが乗っている。

 その姿が、大きく右腕を振りかぶると、動きをなぞるかのように、黒龍の翼が大きく開く。

 そして、拳を突き出すと同時に、黒い筋が前方に伸ばされ、肉塊の異形の身を大きく抉り飛ばした。


「なんだ……あれは。ミツキの能力は、鉄球や石、それとあの青い刃の刀を飛ばすというものだろ? あれではこれまでとまるで別ものの力じゃないか!」

「いや、そもそも念動は、手を触れずにものを動かすという単純な能力ゆえ、工夫次第で様々な使い方が可能だ。ここからではよくわからんが、あれはなにかの気体か液体……いや、砂利か粉末のような超極小の物体を大量に操っているというところか。そういえば、奴の能力には小さなものほど高威力高精度で操れるという妙な制約があったな。つまり、威力を発揮しやすいものほど、その小ささゆえ命中させた際のダメージも小さくなるわけだ。しかし、それならば小さいものを大量に操り、束ねて一度にぶつければ、能力の効能を最大限に発揮できるというわけか。それにしても、力技にも程があるだろう、ええ? なあミツキよ!」


 再び壊れた人形のように笑うサクヤに、トリヴィアは苦々し気な顔を向ける。


「なにがそんなにおかしいのかまったくわからんが、笑っている場合じゃないだろ! 新たな力を得たとしても、ミツキが危機的状況なのは変わらんのだぞ!」

「それもそうだな。もはやここでおまえと談笑(だんしょう)している暇などない」


 サクヤはピタリと笑いを止めると、額の目を閉じる。

 途端(とたん)、トリヴィアの金縛(かなしば)りが解け、その体が前方につんのめる。

 咄嗟(とっさ)に一歩踏み出し、そのまま走り出そうとするトリヴィアに、サクヤが声を掛ける。


「行くなよ? 理由は先程話した通りだ。それに、今のミツキはおまえの助けを必要としていない。むしろ、新しい力を使うことに全神経を使っている今、下手に介入すればかえって足を引っ張ることになるだろう。加えて、化け物相手とはいえ尋常(じんじょう)の勝負に横槍を入れるのはおまえの信条に反するのではないか?」

「くっ!」


 正論をぶつけられ、トリヴィアはその場に踏み止まった。

 手は血の滲むほどに強く握り込まれ、歯は(きし)りを上げるほどに食い締めているが、考え無しに突っ込むのはどうにか耐えたようだ。

 前方を窺えば、ミツキの操る黒い物質が前方に放たれるたび、肉塊の体は削られていく。


「私はあの男(サルヴァ)らに状況を説明してくる。我ら以外には、今何が起きているのかわからんだろうからな」


 そう言い残すと、サクヤはミツキの戦いを見守るトリヴィアを置いて、さっさと本陣の中を進んだ。

 陣内は騒然としていた。

 天幕内で休んでいた兵士たちもすべて外へ出て棒立ちとなり、ビゼロワで立て続けに起きている異変に不安そうな表情を向けている。

 そんな兵士たちの合間を()うようにして、サルヴァ等将官の居留地(きょりゅうち)の方へと足を進めるサクヤは、心の内でミツキの勝利を祈念(きねん)した。

 ここでミツキが死ねば、あの新しい異能を近くで見ることもできず、この先さらなる成長を見守る楽しみもなくなってしまう。

 だから、今後もますます己を楽しませるために、なんとしてでも戻って来いとサクヤは思うのだった。




 一方、ほとんどの兵士たちが呆然(ぼうぜん)と街の様子を見守る本陣の一画で、先程のサクヤやトリヴィアにも引けを取らぬほどに取り乱す者の姿があった。


「お嬢様! どうかお気を確かに!」


 そう悲痛な声を上げるのは、普段は超然とした態度を崩すことのないメイドのアリアだ。

 そして、その主人であるレミリスは、使用人によって震える身を支えられながら、顔面を死人のように青褪(あおざ)めさせている。


「……大丈夫だ、アリア。こんな、震えなど、す、ぐに、収ま、る」


 そう言いつつも、動揺(どうよう)のあまり胃の中身が喉元までせり上がる。

 口を押さえてどうにか嘔吐(おうと)するのを耐えたレミリスは、靄の中から立ち昇る黒い粒子に視線を向けながら己に言い聞かせる。


 なにを恐れているのだ。

 ここが闇地の最奥でない以上、遠方に見える黒い何かは、()()()()とは全く別のもので間違いない。

 ただ、遠目に見て似ているというだけの話だ。

 しかし、だからこそ先が思いやられる。

 これ程遠方から、ただ似ているものを目撃しただけでこの体たらくでは、いずれ闇地の奥へと戻った際、本懐(ほんかい)を遂げることなど到底無理と言わざるを得ない。

 無様にも死に損ねてから今日に至るまで、酒漬けとなってまで心を鈍麻(どんま)させて来たというのに、いざとなったらこの(ざま)か。


 彼女は己の不甲斐(ふがい)なさをひとしきり呪うと、遠方で肉の異形への攻撃を開始した黒い物質を目に焼き付けようとでもするように、瞬きひとつせず見つめ続けた。


 その、恐怖と怒りと憎悪に(にご)った瞳を見て、アリアは主の心に刻まれた傷が、未だ癒えることなく彼女を苛み続けていることを確信する。

 そして、そんな主に寄り添うことしかできない己が身の不甲斐(ふがい)なさに、ただ悲し気に目を伏せるしかなかった。

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