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第六十二節 『煉獄』

 想像を絶するほど不快な目覚めだった。


 硬い床は肌に痛みを覚える程冷たく、背中には打撲による鈍痛が残っている。

 部屋の空気は妙に鉄臭く、咳き込むほどに埃っぽい。

 おまけに、身にまとっている服の内にまで砂のようなものが入り込み、僅かに身をよじっただけで全身の皮膚がじゃりじゃりと擦れた。


 妙な既視感(きしかん)を覚えつつミツキはゆっくりと目を開けた。


「……何処だ、ここ」


 視線の先の見知らぬ天井には、人ひとり分ほどの大きさの穴が空いている。

 意識を失う前の記憶を辿り、城の最上部から吹っ飛ばされたことを思い出す。

 落ちた先の建物の天井を突き破っったのかと考え、すぐに、いや無理があるだろうと否定する。

 あの高さから落下して生きていられるとは到底思えない。

 どういうことだと頭に疑問符を浮かべながら、未だに痛みの残る背中を気遣いゆっくりと身を起こす。


「おわっ! な、なんだこれ!?」


 周囲に砂のような粉が舞っているのを視認し、己の身を包むように風が渦巻いていることに気付く。

 もしやと思って右手の中指を窺えば、指輪の王耀晶(ヴェリスティザイト)がネオンブルーの光を放っている。


「トリヴィアの魔法が守ってくれたのか?」


 己の危機に反応し、落下中に発動したのだろうかとミツキは想像する。

 思考する間にも指輪の石は徐々に輝きを失い、完全に消えると同時に風が止むと、空中を舞っていた粉が周囲に降り注いだ。

 ミツキの危機が去ったことで、魔法の効果が消えたのだろう。

 ただし、指輪自体に込められた魔法が消失したわけではないはずだ。

 王耀晶には半永久的に魔法を留める効果があるからだ。

 この先も、危機に反応して己を守ってれるのかもしれない。


「にしても、綱渡りにも程がある。これがなきゃ死んでたぞ」


 トリヴィアに魔法を付与してもらったのは、その場の思い付きだった。

 もし、出発前にあの魔法を使ってもらわなかったら、あるいはドロティアが王耀晶の端切れで指輪を作らせていなかったら、自分は今頃潰れたトマトのようになっていただろう。


「……ふたりには感謝しかないな」


 そう呟きながら立ち上がる。

 周囲を見回すと、どうやら倉庫のような場所らしく、背後に大量の(たる)が積み上げられている。

 ミツキのすぐ後ろには、砕け散った樽と、そこからこぼれた黒い粉のようなものが散乱していた。

 おそらく、ミツキがぶつかったために壊れたのだろう。

 風で周囲を舞っていたのもこの粉だ。

 身を屈めて手にすくってみる。


「なんだこれ? 火薬……じゃないな」


 鉱山都市ゆえ発破(はっぱ)にでも使うのかと一瞬思ったが、そもそもこの世界では火薬など発明されていないはずだ。

 手を顔に近付け、臭いを嗅いでみる。

 微かに、(さび)のような匂いがした。


「これ、砂鉄だ」


 そういえば、と思い出す。

 ブリュゴーリュの鉄器の原料でもっとも質の高い素材が砂鉄なのだと、以前サルヴァが言っていた。


「ってことは、ここは鍛冶屋(かじや)かなにかの材料庫ってとこか」


 なんにしろ運が良い。

 国民が皆洗脳されている以上、もし誰かに見つかっていたら、その時点でアウトという可能性もあっただろう。

 しかし弱ったとミツキは思う。

 ブリュゴーリュ王に寄生していた時点であれば、あの化け物をどうにかできた可能性は低くない。

 〝飛粒(ひりゅう)〟の効果は薄くとも、たとえば油を被せて火を放つなどすれば、ダメージを与えれらたのではないか。

 しかし、あの、エカロ・チリーネフとかいうカルティア人の言葉を真に受けるなら、奴は耀晶刀(ヴェリスサージュ)を吸収したことで体を大きく膨らませたようだ。

 もはや、自分ひとりの手に負える相手ではない気がする。


「あんなのに〝飛粒〟が通じるはずもない。〝飛円(ひえん)〟は使えないし、使えたとして奴に追加で餌を与えるだけだ」


 一旦戻るかという考えが脳裏を過る。


「いや、あの靄の洗脳効果を考慮するなら、やっぱりあれはオレひとりでどうにかしたい。でも、どうすりゃいい。オレの技じゃ圧倒的に火力不足だ。手持ちの鉄球を全部ぶち込んだところで、奴からすれば蚊に刺されたようなもんだろう」


 そもそも、ミツキの念動には、小さな物体程飛ばした際の威力を増すという特性がある。

 そして、小さな弾などいくら当てても効果がなさそうな程、あの化け物は体を膨張させていた。

 ミツキの能力との相性は、甲冑の巨人や虫騎士以上に最悪だと言えた。


「……待てよ。小さい物ほど操ったときの威力がでかいってことは、その力を束ねれば広範囲を高威力で攻撃できるんじゃないか?」


 ミツキは後ろに積まれた樽をチラと見る。

 かなり大きめの樽には、浴槽一杯分程の容積がありそうだ。

 それに、倉庫にはかなり奥行きがあり、積み上げられた樽の数は、三桁になるかもしれない。

 ミツキは樽の山と床にぶちまけられた砂鉄を交互に見てから、嘆息して首を振った。


「何考えてんだ。鉄球や剣とは違うんだぞ」


 今のミツキは、〝飛粒〟を使う時、わざわざ鉄球を数えたりはしない。

 以前は数個単位で放ち、操る数によって操作精度にも大きく差が出たが、今は精度を犠牲にすればおそらく数百個、確実に狙いを付けるにしても数十個を同時に操ることができる。

 しかし、今頭に浮かんだアイディアは、〝飛粒〟や〝飛円〟とは次元が違う難易度のはずなのだ。


「そうだ、そんな出来もしないことより、なにかもっと現実的な――」


 その時、体が浮き上がるほどに大地が揺れ、ミツキは体勢を崩して床に手を付いた。


「な、なんだ?」


 さらに、地震のような揺れが断続的に続く。

 最初のような大きな衝撃はないものの、立っているのが困難なほどだった。


「くそっ……いったいなにが、起きてるんだ!」


 急いで倉庫入り口の扉に駆け寄るも、鍵が掛かっており開かない。

 ミツキは数歩離れると、ポケットから鉄球を取り出し、扉に向けて放つ。

 一瞬で穴だらけになった扉を蹴破り、外へ躍り出た。


「な、なん、だよ……こりゃ」


 あれ程濃密だった靄が、大分薄くなっていた。

 以前、側壁塔に住んでいた頃、よく早朝の林に発生していた霧と大差ない程だ。

 おかげで、周囲の様子をよく窺うことができる。

 といっても、ミツキの視界前方は巨大な影に覆われていた。


「に、肉? 肉の壁? まさかこれ、あの肉の化け物か!?」


 まさしく肉の塊が視界前方を埋め尽くしていた。

 表面はぬらぬらと濡れ光り、色は赤や紫で内臓を想起させるヴィジュアルだ。

 見上げれば、おそらく、城よりもさらに高い。

 左右に首を巡らすと、両端も確認できない。


「いや、いくらなんでも、膨れすぎだろ。こんなん、さすがにどうしようも……」


 ミツキが諦めの呟きを漏らしていると、周囲の建物から街の住人が次々と姿を現した。

 おそらく、ミツキと同様に先程の衝撃に驚いたのだろう。

 住人たちは肉塊に気付くと、なにを思ったかのその場に(ひざまづ)き、手を伸ばしながら口々になにかを唱え始めた。

 それがエカロ・チリーネフとまったく同じ反応であることに気付いたミツキは、近くの母子に駆け寄り立ち上がらせようと腕を掴んだ。

「おい! なにやってんだ、あの化け物が見えないのかよ!」

「あア、王よナンといウ神々シイお姿! どうか私たチモお連れクダサい!」

「はあ!? いったいなにを言って――」


 言葉の途中で首筋に悪寒が走ったミツキは、反射的に抜刀しながらその場を飛び退いていた。

 一瞬前まで自分が立っていた場所に肉塊から伸ばされた(くだ)が殺到し、ミツキは咄嗟(とっさ)に耀晶刀で斬り払う。


「攻撃された!? オレを認識して、い……る……」


 周囲を窺い、ミツキは愕然(がくぜん)とする。

 管は無差別に住人たちを襲っていた。

 しかも、住人たちは嬉々としてその攻撃を受け入れている。

 管に貫かれた住人の体は、瞬く間にミイラのように干からびていく。

 そうして絶命するまでの僅かな間、住人は王への感謝を叫び続けた。


 傍らであがった悲鳴を聞き、ミツキは視線を向ける。

 母親が自ら差し出した幼子の胸を管が貫いていた。

 子どもはビクビクと痙攣(けいれん)したかと思うと、一瞬で老人のような風貌(ふうぼう)となり、全身を脱力させた。

 しかし、母親の悲鳴は、我が子を殺された悲しみゆえではなく、我が子が王の糧となれた歓びから発せられたものだった。

 その光景を見ながらミツキは、あの化け物が住人を生かしておいたのは、いずれ栄養源とするためだったのだと気付く。

 涙を流しながら歓喜の悲鳴をあげていた母親も、ミツキが助ける(いとま)もなく、全身を管に貫かれ、乾涸(ひから)びて崩れ落ちた。


「なんだよこれ……地獄じゃないかよ」


 己に(まと)わりつこうとする管を斬り払いながら毒づいた。

 すると再び地響きが襲い、ミツキは倒れぬよう下肢(かし)に力を込めながら前方を窺う。

 肉塊はその身を大きく蠕動(ぜんどう)させながら移動し始めていた。

 その下で建物の潰される音がミツキの耳にも届く。

 製鉄を主産業とする街ゆえ、そこら中で火が使われているらしく、間もなく煙があがると、街は炎に包まれた。


 血の臭いと無惨(むざん)に転がる死体、そして炎に囲まれ、ミツキの脳裏に過去の凄惨(せいさん)な情景がフラッシュバックする。

 魔獣によって何もわからぬままに殺されていった異世界人たち、街道に山積みとなった敵兵の死体と己が反吐を浴びせた少年兵の骸、開拓村での虐殺と腕の中で息絶えたペルの死に顔、自分たちが襲撃した砦のブシュロネア兵たちの断末魔、ティファニアに押し寄せた難民の虚ろな目、どれだけ倒しても向かって来たブリュゴーリュ騎兵から飛び散る血肉、滅びた村に捨てられていた住人たちの白骨死体、そして心を壊されたこの街の住人とその死。


 もうたくさんだとミツキは思う。

 どれだけ力を付け、困難を切り抜けようと、結局は()()()()()ばかり見せられる。

 しばし頭を抱えた後、前方に(うごめ)く肉の塊を睨み付ける。


「…………おまえが、悪い」


 そうだ、こいつが悪いとミツキは憎悪する。

 脈絡もなく破壊と悲劇を()き散らす醜悪な化け物は、この世界に放り込まれて以降、己の身に幾度となく降りかかった〝理不尽〟の化身のようだとミツキには感じられた。

 そして、そんな〝理不尽〟を退け、打ち払い、大切なものを守るためであれば、この手を血に染めることも(いと)わないと己は誓ったはずだ。


「できるできないじゃない。なんとしてもやるんだ」


 肉塊から伸ばされた管が、再びミツキへと群がる。

 住人たちを食い尽くした分、その数は刀一本で対処できるものではない。

 ミツキはポーチの中から両手に収まるだけの鉄球を取り出す。

 そして、一斉に動き出した管ではなく、背後の倉庫へ向けて〝飛粒〟を放った。

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