第六十節 『登城』
予想外の展開にミツキの思考は数秒間停止する。
よもや召喚の秘密を握る人間とこんな所で相対することになるとは思いもよらなかった。
こいつらがどのような方法で自分たちを召喚したのかを知ったところで、元の世界に戻れるなどとはミツキは思っていない。
ティファニアだけでもものすごい数の異世界人が召喚されていたのを鑑みれば、言ってしまえば地引網方式で手当たり次第に召喚したのは明白であり、そんな者らをピンポイントで元の世界の元の時間に送り返す方法があるとは考えにくいからだ。
だが、召喚の秘密を知ることがサクヤの望みであるのは間違いないはずであり、彼女の知識欲を満たすことが力を得る際の条件であった以上、この男からは引き出せるだけの情報を引き出しておきたい。
「じゃ、じゃあ、教えてくれ――」
と、言ったものの、ミツキは混乱の只中にある。
まずは何を聞き出すべきなのか、思考が整理できていない。
「えぇっと、そうだ! どこで召喚を行ったんだ!?」
「このビゼロワが元は鉱山都市だったというのは御存じですな? 都市西部の廃坑を研究用に王より賜り、そこに研究所を作って召喚実験を行いました」
「施設は残っているんだな!?」
「全召喚体を選別のため別の施設に移送してからは使っておりませんが、まあ残ってはおりますな」
これでおそらくは、ティファニアでは調べられなかった召喚のための施設の調査ができるだろう。
能面のようなサクヤの表情が崩れ、狂喜する様が目に浮かぶようだ。
「いや待てよ、そんなことはどうだっていい。もっと聞くべきことがあるだろ」
ミツキは無意識に自分の思考に突っ込みを入れていた。
そう、本当に知るべきは召喚の方法よりもその目的だ。
以前、サクヤとは話し合った際には、国家間に戦争を起こし、いずれは大戦にまで発展させるのが目的なのではないかと推論を立てることができた。
しかし、なぜ戦争を起こしたいのかということまではまったくわかっていない。
そして、それを知ることができれば、今後の自分たちやティファニアの取るべき方針が見えてくる可能性は高いのではないか。
次にするべき質問が決まり、ミツキは思考をまとめるため伏していた視線を上げつつ口を開く。
が、問い掛けようとしたところで、馬車が停止するのを感じ、窓外へ視線を向けたエカロが声を発した。
「到着したようです。それでは参りましょう。王の元へ案内いたします」
「え? ちょ……」
エカロは、戸惑うミツキにかまわず馬車の扉を開け馬車から降りる。
「あ! ま、待ってくれ」
ミツキは靄に包まれ既に視界から消えかけているエカロの背を急いで追う。
「待てよ! このまま王のところへ向かうのか!?」
「左様でございますな」
「じゃ、じゃあ歩きながらでいいから、さっきの質問の続きをさせてくれ!」
「申し訳ないのですが、間もなく王城内に入ります。王は静謐を尊ばれる御方ですので、城内での無駄口は控えていただかなくてはなりません」
「なにを勝手な――」
背後でガチャガチャと金音が鳴り、ミツキは抗議の言葉を呑み込む。
どうやら、また兵士たちに囲まれているらしい。
先程は狭い馬車内にふたりきりだったゆえミツキの方が圧倒的に優位だったが、再び立場が逆転したようだ。
だから先程まではこちらの質問に対し素直に答えていたのかと、前を行く男の背を忌々し気に睨む。
「お? 足元が……」
ミツキはいつの間にか地面が石造りになっていることに気付く。
どうやら王城内に入ったらしい。
周囲に目を向ければ、心なしか靄が薄くなったようで、薄桃色の空間の向こうに武器を持った影がちらほらと見える。
おそらくは衛兵だろう。
こうなってしまった以上、しばらくは大人しくしていようとミツキは考える。
この男を尋問するのは、靄の元凶を断った後でも遅くないだろう。
「ここからしばらく階段を上りますので、足元にお気を付けください」
前方のエカロから注意され、数歩歩くと予告通り目の前に階段が出現した。
「結構急だな」
一段一段が、かなり高い。
この靄の中でうっかり足など滑らせようものなら、大怪我を負いかねない。
トリヴィアの居ないこの状況で、まして敵の本拠地で、負傷などしてはたまらない。
ミツキはエカロの背を見失わないよう前方に注意を払いつつ、足元をよく確認しながら上る。
そのため、階段を上りながら、絶え間なく首と視線を上げ下げする羽目になった。
それから、エカロは延々と、ミツキの体感で三十分近く階段を上り続けた。
無論、ひと続きの階段ではなく、何度か城内の廊下を進んだりもしたが、平坦な場所を進んでいるよりも階段を上っている時間の方が圧倒的に長い。
ティファニアの王宮と比べてもやたらと起伏の多い城だ。
ビゼロワの王城は、かつて鉱山だった山にめり込むように建てられており、内部は山の中へと続いているのだという。
敵国首都へ進軍すると決まった際、ビゼロワの地形などを把握するため、ミツキたちは行商で訪れたことがあるという酒保商人に絵を描かせていた。
その中には城の絵もあったが、玉座があるという最上階は、山の頂にも近い高さだったとミツキは記憶している。
鉱山自体は山として然程の高さでもないらしいが、それにしても、上るのにやたら時間が掛かるのも納得だった。
「もう少しで城の最上部です。玉座の間まで今少し御足労願います」
前方のエカロに声を掛けられる。
既に息も絶え絶えなミツキに比べ、線の細い非戦闘員の男は、まるで呼吸が乱れた様子がない。
これも靄の効能かと考えていると、薄暗かった周囲が明るくなり、急に視界が開けた。
「な!? うわ! なんだこれ!」
周囲の靄が晴れ、左手に地平まで見渡せる絶景が広がっていた。
おそらく今まで屋内で靄が充満していたのが、屋根や壁のない場所に出て晴れたのだとミツキは察した。
ティファニア軍の本陣からは、角度的にあらゆる建物を含めた都市のすべてが靄に呑み込まれているように見えたが、どうやら城の最上部は、僅かに靄の上に顔を覗かせていたらしい。
眼下を窺えば、靄が雲海のように広がっている。
手すりがあるものの、誤ってその向こう側へ落ちようものなら、三十分かけて上った高さを一気に落下することとなるだろう。
腰が引け、思わず右手の壁に手を付きながら、少し距離の開いたエカロの背を追う。
靄が晴れた今となっては、見失うことを気に掛ける必要もない。
「この奥が玉座の間となります」
階段を上り切ったミツキに、エカロが声を掛けた。
呼吸を乱しながら、ミツキは周囲を見渡す。
目の前には半円形の広場があり、その中心に複数の柱に支えられた豪壮な建物が聳えている。
これが玉座の間ということなのだろう。
ギリシャのパルテノン神殿と少しデザインが似ているとミツキは思う。
「さあ、こちらへ」
エカロはミツキを促すと、玉座の間へと歩きはじめる。
建物の威容に圧倒され、一瞬躊躇するも、ミツキは意を決してその後に続く。
建物内は薄暗く、靄は空間に充満していないものの、ドライアイスのように足元を覆っている。
また、屋内の左右の壁の脇には、ブリュゴーリュ軍の重騎兵と似た鎧の衛兵たちが控えていた。
それを見て、ミツキは制服のポケットにいつでも手を突っ込めるようさり気なく身構える。
中には鉄球が入っている。
それに、制服の腹部に通したベルトで腰の部分に固定されたポーチの中にも、無数の鉄球が収められている。
更に、腰には耀晶刀も二振り差している。
概ね靄が晴れた今なら、〝飛粒〟と〝飛円〟の威力を十全に発揮できるだろう。
衛兵たちがなにをしてこようと恐れるに足りない。
そう考え、ふとミツキは疑問に思う。
なぜ、己は武器を没収されていないのだ。
あのエカロという男は、あれ程崇拝する王の前に敵の刺客を連れてくるのに、その程度のことにも思い至らなかったのだろうか。
靄のせいという可能性もある。
しかし、いくらなんでも迂闊過ぎまいか。
こんなにも己にとって都合が良いのは、なにか裏があるからではないのか。
思考する間にも、ミツキは建物の奥との間を遮る薄布の前までたどり着いていた。
その奥の一段高い場所に玉座が置かれているのが、薄ぼんやりとしたシルエットとして確認できる。
ここまで来てしまった以上、もはや引き返すことなどできない。
腹を括ると同時に、ミツキの右斜め前に進み出たエカロが、薄布の向こうへ声を掛けた。
「我が王よ、手筈通り件の侵入者を連れてまいりました」




