第五節 『蟲憑』
何を言い出すのかと、ミツキは戸惑う。
異世界からの召喚など不可能と言われても、現に自分たちはここにいるではないか。
己には魔法の知識などないので彼女の発言の正否を測ることなどできないが、こうしてここにいる自分たちこそが、この世界の人間によって召喚された証だと言えるのではないのか。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。キミだってここに至るまでの経緯はオレとそう変わらないはずだろ? キミが魔法に精通していたとしても、ずっと閉じ込められていたのに、この世界の魔法で何ができるかなんてどうしてわかるんだ?」
「私は既にこの世界の情報をある程度得ている」
さらりと言うが、どうやって情報など得られたというのか。
少なくともミツキは、こちらに来てからずっと独房に入れられていたのだ。
情報を得る手段など考え付きもしない。
「手に入れた知識を基にこの世界の魔法がどの程度のものかを判断した結果、私の世界の外法よりも技術的に進んでいるということはなさそうだと判断した」
「それは、キミのいた世界にも召喚魔法はなかったってこと?」
「〝もどき″ならあった。私の足元を見ろ」
「足元?」
地面に視線を向けると、月光に照らされた少女の足元に暗い影が落ちている。
夜なのによくもこうはっきり見えるものだとミツキが思ったその時、ぼこりと影が波打ったように見えた。
反射的に飛び退きつつも影に視線を向け続けると、膨張した暗がりの中から無数の蜘蛛がはい出て来た。
「ちょ! なんだよこれ」
「おまえの独房にも羽虫は入り込んできていただろう? あの施設にはそういった小さな虫を狙って大型の虫も住み着いていた。蟲術といってな、虫を使役して様々なことをさせる外法があるのだが私にはその素養があるようだ。さっき隠し通路を見つけたのも、虫を使って調べていたからだ」
「蟲術って……蟲毒とかの?」
「よく知っている。正確には、蟲術に使う虫を仕立てるための儀式が蟲毒だ。まあ蟲術のことは置いておくとして、眷族にした虫共を影の中に潜ませ、今のように召喚してみせた。これが〝もどき″だ。これも外法の一種でな。おまえも物を隠すときには物陰や暗がりを利用するだろう? そういった概念を拡張して自身の影にものや僕を潜ませるのが今の術だ」
説明を聞きながらミツキは納得していた。
この少女も他の連中と同じく魔法かそれに類する技術を使うのだと。
一方、ただひとり魔法を使えない自分に、この先何ができるのか。
内心で気落ちするミツキにかまわず、少女は話を続ける。
「この程度の術を召喚と言うのであれば、この世界に召喚魔法の使い手がいたとして不思議はない。さらに、ごく少数の、人をはじめとした生き物や、限られた質量の物体であれば、瞬時に離れた土地へ移動させる魔法もこちらには存在するそうだ。しかしな、異界からの召喚などというのは、先に述べたものとは文字通り次元が違う。異世界というのは、私の世界の言葉で〝かくりよ″という。現世とは決して交わらぬものだ」
〝かくりよ″という言葉にミツキはハッとなる。
確か、日本にもそんな言葉があったはずだ。
「そういった場所への干渉ができるということは、生と死、あるいは過去と未来を自在に操ることにも等しいと言える。まぁ、疑似的に死者を操る術なら私も知っているが、要するにそういった紛いもので代用できる程度の術ではないということだ。少なくとも、この世界の人間の魔法では、ただひとりとて異界から召喚などできるはずがない」
「それじゃあオレらはどうやってこっちに呼ばれたんだ」
「まるでわからんが……」
一瞬の間をおいて、少女がニッと笑った。
「本当に魔法の類にしろそれ以外の方法にしろ、是非とも知りたい」
造形的には極めて美しい顔に浮かんだほほ笑みなのに、なぜかミツキには不気味としか感じられない。
「しかし、今の状況ではそれも叶わないだろう。そこでおまえに声を掛けた」
「どういうことだ?」
「あの女の言葉を鵜呑みにするなら、我々はただ戦力として召喚されただけの戦奴に過ぎん。この先、奴らの思い通りに戦ったとて、待遇が変わるとも思えん。ただし、おまえだけは例外だ。この世界の人と酷似したその姿なら、立ち回り次第で取り入ることもできるだろう」
「つまり、オレらがどうやって召喚されたのか知るため協力しろってことか?」
「召喚もそうだが、我らがここにいる理由、この国の置かれている状況、他にもこの世界について得られるだけの知識は得たい」
この少女の行動原理が何となくわかった気がした。
好奇心、あるいは知識欲か。
人形のような少女が、未知なるものについて語る瞬間のみ、僅かに喜悦の感情を覗かせる。
「ひとつ聞いておきたいことがある」
「何だ?」
「さっき、ある程度の情報を得ているって言ったよな? 少し前まで独房に入れられていたのに、どうやって情報収集なんてできた?」
「外部から隔絶されていた私たちには情報を得る手段などなかった。疑問はもっともだな。だが、その質問には答える用意がある。というか、それを説明するため、わざわざここまで歩いたのだ」
「それはどういう……」
ミツキの言葉を遮るように、大樹の影でがさりと落ち葉を踏む音が鳴った。
「誰だ!?」
その問いに答えるように、木陰から人影がゆらりと進み出た。
月光に照らし出されたのは、胴鎧に手甲脛当てだけの簡素な鎧を纏った初老の男だ。
鎧の上からでもわかる弛んだ肉体と、禿げ散らかした頭部、団子鼻に目の小さすぎるあばた顔、顔の下半分を青々と彩る無精髭、あまつさえ左目下の黒ずんだイボから縮れ毛が数本飛び出している。
すくなくとも容姿は、見苦しいという以外に形容のしようがない。
「いや、ほんとに誰!?」
「私の房を担当していた看守だ」
「はあ!? なんで看守がここにいるんだよ!」
「私がこいつを操っているからだ。男の右耳に注目しろ」
〝操っている〟という少女の言葉に不穏なものを感じながらも、ミツキは言われた通り男の右耳に視線を向けた。
すると、影になった男の耳元でなにか得体の知れないものがチョロチョロと蠢いているのに気が付いた。
「なんだ?」
ミツキが更に目を凝らすと、それは体を大きく伸ばして男の顔にへばり付き、無数の足をわさわさと動かしてみせた。
「ま、さか……ムカデか?」
「正確にはムカデに似た虫、だ。蟲術については先程簡単に説明したが、人を操るのにも使えるというわけだ。ムカデのように小さな穴に潜り込むのが得意なヤツを選び、食事を持ってきたそいつの鼻から侵入させ、脳を乗っ取った。その男を含め、今の私は人の僕もそれなりの数を揃えている」
「の、脳を……」
あらためて看守だという男の顔を見れば、半開きの口から涎を垂らし、視線は虚空を見つめている。
少なくとも、正気の人間の表情でないのは間違いなさそうだった。
ミツキのこめかみを冷や汗が伝い、心臓が早鐘を打ち始める。
同時に、眼前の少女に対する警戒心が一気に膨らんでいく。
まさか己もこの男のように操る目的で呼び出されたのか。
いや、だとすればわざわざ手の内を明かす意図がわからない。
ボボボッという音を立て、手に持った燭台が燃え尽き、ミツキの不安をさらに煽った。
落ち着け、と自分に言い聞かせる。
月明かりでどうにか視界は確保されている。
少女は無言でミツキの顔に視線を向けていた。
とにかく会話を続けて情報を引き出さなければ、どう動くべきかも判断できない。
内心の動揺を押し隠しつつ、どうにか言葉を絞り出した。
「……情報ってのは、この男等から得たのか?話せる状態には見えないが」
「それは問題ない。命令さえすれば頭だって働かせる。まあ、裏を返せば命令しなければほとんど何もできないのが難点ではあるな。なにせ当人の意思は完全に消失した、いわば生きた屍のような存在で、私の目の届かない場所では、せいぜい既定の行動を繰り返す程度にしか操れん。元に戻すことも不可能ゆえ、一時的に操るということもできんのだ」
「オレや監督官にさっさと虫を使わない理由はそれか」
「よくわかっているじゃないか。この男は訓練中の怪我が元で兵士として使い物にならなくなってからは十年ほど牢の看守を務めてきたそうだが、家族はおらず人付き合いもほとんどないので私に操られた状態でも他人に不審がられず生活を続けさせることができている。逆にまともな社会生活を送っている人物を長期間操れば、周囲の人間に気付かれる可能性が高い。当然、おまえを虫で操っても、他の二人や監督官に程なく露見するだろう。あの監督官と使用人を操っても、上の者に悟られないはずはない。まぁそれ以前に、操り人形程度にしか動かせん者では行動に限界がある。お前はお前のまま、私の役に立ってもらわねばな」
淡々と説明する少女に、ミツキは鳥肌が立ちっぱなしだった。
確かに彼女の目的を考えれば、ミツキを操ろうとはしないだろうが、これ程におぞましい術を躊躇いもなく使う者と協調などできるのだろうか。
この理不尽な状況を打破するためとはいえ、脳に虫を寄生させ人間の人格のみを殺し、生き人形として使役する少女に、ミツキは強烈な嫌悪を感じていた。
「〝蟲憑き〟を見た程度で随分な青褪めようだ。よもや協力する気が失せたとは言うまいな?」
「……そうだと言ったらどうする? オレにも虫を付けるか?」
「そんなことをしても私には何の益もない。むしろ監督官らに不信感を抱かせる危険性がある分、不利益を被る可能性が高い。だから、私への協力を拒むのであれば、どうもしない」
「どうもしない、だと?」
「ああ、おまえのことは放っておくことにする。立場の近い人間の方が足並みを揃えやすいゆえ、おまえの協力を得られるならそれに越したことはないが、多少手間でもこの世界の人間の中から協力者を捜すという手もあるのだ。さして困りはせんよ。一方、おまえはどうかな? これから戦の道具として扱われるのが決まっているのに、おまえは魔法を使うこともできない。断言してもいいが、おまえ、今のままではそう遠くないうちに死ぬよ?」
魔法を使えないと見抜かれているとは想定していたが、こうも直裁に死ぬと言われては、さすがに平静でいられなかった。
こわばった表情から血の気が引いていくのを自覚しつつ、ミツキは少女の言葉を心の内で反芻した。
確かに自分は無力だ。
闘技場の控室で兵士が使ってみせたのが攻撃のための魔法だとして、今後敵として戦うことになる相手も同程度の攻撃手段を有すると想定するなら、自分は生き残るどころか誰より早く死ぬ羽目になるはずだ。
そんなことは、言われるまでもなく己が一番よくわかっている。
だからこそ、少女の言葉は聞き捨てならなかった。
「ちょっと待てよ。その言い方だと、あんたに協力すればオレは死ななくて済むと言っているように聞こえるぞ」
「協力者に死なれて困るのは私の方だからな。死ぬ死なないはおまえ次第だとして、生き残る機会は与えるつもりだ」
「どういう意味だ。あんたがオレを守ってくれるってのか?」
「まさか。戦働きをさせられるのであれば、他人の命を気遣っている余裕などあるまい。協力するとは言っても、戦場での頼みは己自身のみと知れ」
「じゃあどうやってオレが生き残る可能性を上げられるんだよ。今後協力していきたいっていうなら、勿体付けずに教えろ!」
己の荒っぽい口調にハッとなり、ミツキはバツの悪さに少女から視線を逸らした。
命が掛かった会話に加え、得体の知れない少女への警戒と嫌悪が、ミツキの心から余裕を奪っていた。
一方の少女は、そんなミツキの動揺など気にも留めず、ひと呼吸おいてゆっくりと口を開いた。
「それを説明するためには、まず私の種族について知ってもらう必要がある」