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第五十四節 『靄』

 国境を越えたティファニア軍は、ブリュゴーリュの首都ビゼロワを目指して進軍した。

 当然、ブリュゴーリュ軍から迎え撃たれることを警戒しながらの行軍となった。

 しかし、結果から言えば、首都の(のぞ)める場所に至るまでの間、ティファニア軍は一度たりとも敵軍と交戦することはなかった。

 おそらく、ブリュゴーリュ軍はティファニアへの侵攻にほぼすべての戦力を投入したのではないかというのがサルヴァや、カナルら古参将官の推測だった。

 それにしても、進路上にある砦や要塞など、あらゆる軍事施設までもぬけの(から)なのを目の当たりすると、この国でなにかただならぬことが起こっているのだと、ミツキは感じずにいられなかった。


 ただ、戦闘こそなかったものの、意外なことで軍が足止めを食う場面もあった。

 進路上の街や村落が、どこもティファニアへ向かうブリュゴーリュ軍からの略奪に遭い、住人が餓死寸前、もしくはほとんど全滅していたのだ。

 ブリュゴーリュ軍が通ってからミツキらティファニア軍がやって来るまで、およそ一年が経過している。

 その間、生き残っていた住人たちは、隠していた食料や野草などでどうにか飢えを(しの)いできたらしかった。

 しかも、ブリュゴーリュ軍のティファニア侵攻のさらに一年程前には、働き手となる男たちが町や村から根こそぎ徴兵(ちょうへい)されていたらしく、狩猟(しゅりょう)等で食料を得ることもできなかったのだと、生き残った人々は語った。 


 ブリュゴーリュの首都を陥落(かんらく)させ政権を奪取した後は、サルヴァはミツキからの強い勧めもあり融和路線(ゆうわろせん)()ると決めている。

 ブリュゴーリュはティファニアの新たな副王領となり、ドロティアは悪政から民を解放した正義と慈悲(じひ)の姫として喧伝(けんでん)される予定だった。

 ここで自国の(ブリュゴーリュ)軍に虐げられた人々にティファニア軍が手を差し伸べれば、後々ブリュゴーリュ国民に対して好印象を与えることができる。

 ゆえに、ミツキたちは酒保商人(しゅほしょうにん)から食料や物資を買い上げ、行く先々で炊き出しを行った。


「支援部隊を充実させたのが活きたな。輜重隊(しちょうたい)設営(せつえい)給養隊(きゅうようたい)衛生隊(えいせいたい)、こいつらをぞろぞろと引き連れていなければこれだけ大掛かりな援助はできなかった。おまえが鬱陶(うっとう)しいと言っていた商人どもも、ここに来て役に立っている」


 そうサクヤに言われるまでもなく、ミツキの采配(さいはい)あってこそ住人たちへの支援は滞りなく行えたと多くの者が評価した。

 事前準備の大部分をミツキに丸投げしたサルヴァにしても、ことここに至っては慧眼(けいがん)だったと誰もが認めた。


 兵士たち、特に難民から募兵に応じた兵の中には、侵略国の人民を助けることに不満を抱く者も少なくはなかった。

 しかし、シェジア・キーフェをはじめとした実力派の下士官が兵たちを引き締め、綱紀粛正(こうきしゅくせい)を徹底させたことで、大きなトラブルが起こることはなかった。

 もしブリュゴーリュ軍に襲われたティファニアの街や村の住人が食われていたと兵たちに知られていたら、兵たちは支援活動などには協力せず、感情的になった挙句、最悪虐殺を招いた可能性もあったかもしれない。

 自分の選択がことごとく奏功(そうこう)したのに安堵(あんど)しながらも、ひとつ間違っていたら多くの人命を損なっていたという現実に、ミツキは日々胃の締め付けられるような思いだった。


 寄り道しながらでは行軍が大幅に遅れると気付いたティファニア軍は、途中で本隊と街や村への支援部隊を分けることにした。

 幸い、ブリュゴーリュ軍から多くの馬を捕獲できていたため、各地へ派遣する支援隊の〝足〟が不足することはなかった。

 とはいえ、非戦闘部隊だけではさすがに心許ないと判断し、ここで歩兵部隊の二割を支援部隊の護衛に割いた。

 戦力を割くのはできれば避けたかったが、住人たちの状況を考慮(こうりょ)すれば仕方のない選択だった。

 ミツキはこの采配が首都攻略に向かう己らの首を絞めることにならないよう祈ったが、結局それは杞憂(きゆう)に終わることとなる。




「今日も晴れませんなぁ」


 朝食をとった後、天幕から出て首都ビゼロワを観察していたミツキに、テオが声を掛けた。


「……ああ」


 そう短く返すが、言葉に反して空には雲ひとつなく、昇って間もない朝陽に、ふたり目を細めている。


「これでは今日も動けませんかな」

「サクヤ次第だろうな。()()がなんなのかわかれば、対処のしようもあるだろ」


 そう言って、ミツキはテオに向けていた視線を再び敵国の首都に移す。

 その目に映る街は、薄桃色の(もや)に包まれ、王が住まうという城も、ぼんやりとしたシルエットとして浮かび上がっている。



 四日前、丘陵地(きゅうりょうち)を超えビゼロワが視認できる場所までたどり着いたティファニア軍は、眼前に臨む目的地が(ほの)かに色付いた瘴気(しょうき)に包まれているのを確認し、進軍を止めた。

 ティファニア王都程ではないものの、ブリュゴーリュの首都であるビゼロワは、非常に広大だ。

 それが得体の知れぬ靄によってすっぽりと包まれている。

 元々鉱山都市だったという街の背後には峻険(しゅんけん)な山がそびえているが、その山から下りて来た濃霧(のうむ)でもなさそうだ。

 この街で何らかの異常事態が起こっているのは、誰の目から見ても明らかだった。

 自国民を(ないがし)ろにしてまで、総兵力で隣国に戦を仕掛けたこととも無関係とは思えない。

 そこで、丘陵に布陣したティファニア軍は、魔導部隊の使い魔による偵察(ていさつ)を試みた。

 が、すべての使い魔は靄の中から戻らなかった。

 この異常事態に、ティファニア軍は将官を集めて対応を協議することとなった。


「なにはともあれ人による偵察はしたいところだ。褒賞(ほうしょう)を出して志願者(しがんしゃ)(つの)ろうか」

「馬鹿言え。使い魔が戻らなかった時点で危険なのは明白だろうが。兵を無駄にするんじゃねえよ」


 サルヴァの案をカナル(おう)が即座に否定した。


「そうは言っても、情報がないことには対応のしようがないでしょう」

「調査よりも、あの靄をどうにかする方向で考えたらどうだ? 例えば、魔法で吹き飛ばすとかどうよ」

「となると、一級魔法でないと無理でしょう。それだと街ごと破壊することになるでしょうね」


 今度はサルヴァがカナルの案を(つぶ)し、天幕(てんまく)内の面々は口を(つぐ)んで考え込む。


「トリヴィアの風なら、街に被害を出さずに靄を吹き飛ばせるんじゃないか?」

妙案(みょうあん)だね」


 ミツキの提案にサルヴァが反応し、一同の表情が明るくなる。

 しかし、ここで異を唱える者がいた。


「あまり良い案とは思えんな」


 そう言ったサクヤに、皆の視線が集中する。


「風で靄が散ればこちらに流れて来ないとも限らん」

「風上にいれば問題なくないか?」

「あれは間違いなく魔法かその類で発生させたものだ。ならば作った者の意思で操れる可能性も考慮すべきだ。それに、一瞬吹き飛ばしたところで、間を置かずに再び発生させることができるという可能性も十分にあるだろう。だとすれば、風で散らして不用意に踏み込むのはかえって危険だ」


 たしかに、安全を確保したと思って攻め込んだところで、すぐに靄が発生しないとも限らない。

 靄そのものに害があった場合、最悪、それで全滅することにもなりかねないだろう。


「たしかに、ダメっぽいな。で、おまえにはなにか代案はないのか?」

「今はない」

「今は?」

「あの靄を調べれば対応策は出せるかもしれない。というわけで、数日ほど時をもらいたい」


 サクヤの提案にミツキがサルヴァを(うかが)う。


「わかった任せよう」


 サルヴァが了承して会議はお開きとなり、サクヤはその直後に本陣から姿を消した。




 会議が行われたのは、丘に陣を布いて二日目の晩だったので、サクヤが調査を開始してから今日で三日目になるのかとミツキは思う。


「あいつにしては仕事が遅いな」

「だったらおまえが代わりにやったらどうだ?」


 背後から声を掛けられ、ミツキとテオはビクリと身を()ねさせる。

 慌てて振り返ったミツキは、背後に落ちた己の影の中から姿を現したサクヤの姿を見て、再びギョッとなる。


「お、おい、その、それはなんだ?」

「それ? ああ、これか」


 ミツキの視線を受け、サクヤは顔に被った防毒マスクを手でひと()でする。

 鳥の顔をモチーフにした皮革製のフルフェイスマスクで、いわゆるペストマスクと酷似(こくじ)している。


「酒保商人から買った。戦場の死体を(あさ)る時に使ったらしい。もっとも、あの靄を防ぐには心許ない仕様だったので、私の方で改造を(ほどこ)しているがな。そんなことよりミツキ、ちょっとこの天幕の中へ来い。ああそれと、そっちのおまえ――」


 サクヤはテオを指差す。


「おまえは来るな。天幕から離れて、誰も近付かないよう見張っていろ」


 それだけ言うとサクヤは、さっさと天幕内へ入っていった。

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