第五十三節 『狂信』
ミツキたちが砦内でささやかな酒盛りを始める少し前、サルヴァと他の第一王女親衛隊のふたりは、砦内にある長官用の居室に集合していた。
「そうか、マルキは逝ったか」
悲痛な面持ちのオギュールド・スノヴェルを前に、長官の椅子に座って机に両肘をつき手を組んだサルヴァが、感情の籠らぬ声で呟いた。
その隣には、不安そうな面持ちのシュウザ・シャラカンが控えている。
「あいつは役に立ったかい?」
そう自らの所属する隊の長に問われたオギュールドは、一瞬言葉に詰まると、どこか不服そうな面持ちで答える。
「騎兵縦隊の先頭で、やや突出し過ぎだったが、オレは大将を守りながら戦ってたし、あの異世界人の女も左右から来る騎兵に対処していたから、正面の敵兵の大半はあいつが倒した。マルキがいなかったら、作戦が成功したかは微妙だったと思う」
オギュールドの回答を聞き、サルヴァは革張りの椅子に寄り掛かりながら面白くもなさそうに述べた。
「そうかい。ま、上出来だろ」
その言葉を聞いたオギュールドは、憤りに表情を歪めると、顔を紅潮させ、眼前の机を平手で叩いた。
「上出来!? 上出来ですって!? ここのところあいつが精神的にまいってたのは隊長も承知していたはずではありませんか! たしかにマルキの祝福と魔法は騎馬戦でも力を発揮しましたよ! 実際、騎馬戦だけならあいつも死ぬことはなかったかもしれない。でも、あんな精神状態だったことを考慮すれば無茶をするという可能性は十分考えられたはずでしょう! あいつに必要だったのは戦場ではなく、しばらく殿下から離れて療養することだったんだ!」
一気にまくし立てたオギュールドは、息を荒げながらサルヴァの様子を窺った。
一方のサルヴァは、目を大きく開けながら部下の訴えを聞き終えると、しばしの間黙考してから口を開いた。
「オギュールド……」
「はい」
オギュールドは隊の長から不興を買うことを覚悟で自分の言いたいことを吐き出した。
だから、厳しい叱責も、あるいは処分を言い渡されることさえ覚悟していた。
しかし、サルヴァの口から出たのは、予想もしていない言葉だった。
「キャラがブレているよ?」
「へ?」
上官の発言の意味を計りかね、オギュールドはおもわず間の抜けた声を出した。
一方、サルヴァの横のシュウザは不穏な空気を察し、さり気なく身構えている。
「キャラだよキャラ。キミのキャラは豪快で品はないが情に厚い体育会系熱血漢だろ? 今の発言はまあ情には厚そうだったが、敬語だしキミのキャラの口調とは程遠かったじゃないか」
冗談を言うでもなく淡々と説明するサルヴァに、オギュールドは怒りに身を震わせ叫んだ。
「ふっ、ふざけないでくれ! こっちは真面目に言っているんだ! キャラなんかどうでもいい――」
瞬間、サルヴァは椅子から立つと同時に抜剣し、オギュールドの首筋に向けて剣を振り下ろしていた。
シュウザがほぼ同時に剣を抜き、サルヴァの剣を受け止めていなければ、室内は動脈を断たれたオギュールドの鮮血で染まっていただろう。
オギュールドは目の前で散った火花に目を瞬くと、己の斜め前で交差した剣を目視して状況に気付き、二歩ほど後方へよろめき尻餅をついた。
「お、おい隊長! 今のはさすがに――」
「どうでもいい? 今キミ、どうでもいいって言ったのかい?」
慌てて諫めるシュウザを無視して、サルヴァは震えながら己を見上げる部下に酷薄な視線を向けながら問うた。
「どうでもいいわけないだろ。それが一番重要なんだよ。おまえたちは自分が誰のおかげで今の地位に就いていられると思ってるんだ?」
オギュールドは机を回り込んで自分に歩み寄るサルヴァに、得体の知れない怪物でも見るような恐れを含んだ視線を向ける。
「オギュールド、たしかキミの父親も王都の軍人だったな。しかし、感情のコントロールが下手で同僚としょっちゅう諍いを起こしていた。挙句、酒場で喧嘩になった市民数名を斬り殺して極刑に処された、だったかな? ひどい話じゃないか。父親が犯罪者じゃ、息子も軍で出世するのはまず不可能だ。しかも、キミ自身父親から虐待されていたんだったっけ? まったく救われないよな。でも、そんなキミが王族の親衛隊なんていう分不相応な地位に就けたのは、ひとえにティアが〝人見の祝福〟でキミの才能を見出したおかげだ。それはわかるよなぁ?」
オギュールドは半ば放心しながらも、首を縦に小刻みに振っていた。
「マルキなんてもっと悲惨な境遇だった。奴の生家は非市民区の中でも最貧民街の外れにあってね。はじめて会った時はしばらくまともに食っていなかったらしく骨と皮だけの貧相な餓鬼だったよ。奴がいつまで経っても小僧みたいなナリだったのも、幼い頃十分に栄養を摂取してこれなかったからさ。奴の妹にしても、あの家庭環境のままなら今頃下級娼館で体売った挙句、業病でも貰ってくたばっていただろうさ。それがどうだ。今、奴の家族は市民区の一等地で不自由のない暮らしを送っている。学のない親父は誰にでもできるような仕事で高給を得て、妹も学校に通えているんだよ。しかも、今回の奴の戦死で家族は孫の代まで食うに困らないだけの恩給を得られるはずさ。そんな待遇はティアに引き上げられなければ絶対に受けられなかった。それもわかるよなぁ?」
再び何度も首肯する。
照明の逆光でシルエットになったサルヴァの顔に、血走った眼が炯々と光っている。
「キミたちがティアから受けた恩は、本来キミたちが百遍死んだところで実現不可能なことなんだよ。だったら辛かろうが悲しかろうがティアの望む人間であろうとすることはおまえたちの人生の最優先事項だろう。ティアがガサツな体育会系熱血バカが欲しいと望めば、たとえそんな性格でなくとも全力で演じるんだよ。いやそもそも演技とかではなく性格自体を変えるべきだ。それが無理ならせめてボロが出ないよう努めるべきだろう」
サルヴァは身を屈めてオギュールドの顔を覗き込む。
オギュールドはどうにか後退るのを耐えた。
「マルキにしたところでティアから離れて療養するなど論外だ。使えなくなったら使えなくなったで相応の処理をするまでさ。それでも今回の戦に参加させたのは最後の機会を与えたつもりだった。戦で活躍したうえで従軍中に不安定な精神状態まで自力で克服できれば再びティアに仕えることもできたんだ。それが死んだからといっていちいち騒ぎ立てるなという話なんだよ」
そこまで一気に話し終えると、サルヴァは一歩下がって背筋を伸ばした。
逆光だった表情を照明が照らし、いつもの涼し気な美丈夫が浮かび上がる。
「ま、そんなところだ。マルキのことは残念だったが、第一王女親衛隊の一員として華々しく逝けたのは奴にとって誉れと言えるはずさ。キミも彼と同様ティアの名に恥じないよう今後も励んでくれ。返事は?」
オギュールドはよろよろと立ち上がると、半ば放心した表情で口を開いた。
「わ、わかりまし――」
一瞬でサルヴァの視線が冷たい殺気を帯び、オギュールドは慌てて言いなおす。
「わかったぜ、大将」
サルヴァは笑顔を浮かべて二度首肯すると、オギュールドに退出を促した。
シュウザに支えられたオギュールドが弱々しい足取りで部屋を後にすると、サルヴァは部屋の隅に置かれたキャビネットから果実酒を取り出し喇叭飲みする。
その酒瓶を机に置き、革張りの椅子に深く身を沈め、誰に言うともなく呟いた。
「どいつもこいつも、意識が低すぎるんだよなぁ」