第五十節 『骨』
平原に駐留しているティファニア軍の先頭で、双眼鏡を覗いていたミツキは、遠方から走り寄る二騎の騎馬を視認し口を開いた。
「戻って来た」
程なくしてミツキたちの眼前までたどり着いた馬の上から、偵察に出していた強面の兵たちが跳び下り、ミツキたちの方へと駆け寄る。
男たちはミツキの隣のサルヴァに気付くと、ふたりとも一瞬表情を強張らせた後、小さく一礼してから顔を背けた。
兵士らの気まずそうな態度を見て、サルヴァは訝しく思う。
兵士たちはミツキに近寄ると、やや年嵩のひとりが村の様子を報告する。
「やはり、生存者は居りませんでした。それに、家には火が放たれ、ほとんど燃えカスしか残っておりません」
「そうか。まあ、いつも通りではあるな」
進軍中だったサルヴァとミツキが率いるティファニア軍は、進路上の村落に斥候を送っていた。
これまでもブリュゴーリュ軍によって燃やされた村には何度か立ち寄っていた。
しかし、それらはすべて村人の避難が済んだ村だった。
使い魔を用いた上空からの偵察と、ティファニア王都に押し寄せた難民からの聞き込みの結果、ミツキらはどの村の避難が完了し、どの村が間に合わなかったのかを把握していた。
今回、ミツキらははじめて、避難の間に合わなかった村に偵察の兵を送ったのだった。
「はっ。しかし、これまでの村とは大きく違うところもありました」
「……村人に関わることか?」
「左様で。ただその、大きな声ではちょっと」
そう言われ、ミツキは兵士たちの顔が出立前より青褪めていることに気付く。
どちらの兵も戦場で冷静さを失わないだけの胆力の落ち主だ。
ミツキは怪訝そうに眉をひそめ兵士の顔へ耳を寄せる。
囁き声の報告を訊き、その表情がみるみるうちに強張る。
「わかった。下がって休んでくれ。それと、おまえらの頭目にオレの所へ来るよう伝えてくれ」
走り去る兵士たちを横目で見送りながら、サルヴァはミツキに話し掛ける。
「今の兵士たち、たしか〝血獣〟とかって傭兵団の構成員だろ? 荒くれ者揃いで、少し前までよく問題を起こしていたと思ったが、ここのところキミに使われている姿をよく目にするな。いったいどうやって手懐けたんだい?」
「ちょっと連中と夜遊びしてな。それで仲良くなったんだ」
「夜遊び?」
「ああ。賭け事だよ」
「なんだ、そんな楽しそうなことをしていたのか。次は私にも声を掛けてくれよ」
「いや、ちょっと揉め事になってな。もう賭場が立たないことになった。悪いな」
「それは残念だね。ところで、キミに従順になったのは良いことなんだが、一方で彼ら、私の顔を見ると何故か、かわいそうな人間に出会ったような表情になるんだ。心当たりはないか?」
サルヴァから問われ、ミツキはおもわず視線を逸らす。
「さ、さあ。オレにはさっぱり……」
「ふうん? まあいいさ。私兵たちを掌握するのはキミの役割だ。もしキミが影で何か言っていたとしても、多少のことには目をつぶろうじゃないか」
おまえが種無しだということをバラした、などとは口が裂けても言えなかった。
「そ、それはそうと、何人か引き連れてちょっと村を見て来るが、あんたはどうする?」
「私は遠慮しておこう。生存者もいない壊滅した村になど興味はないからね。後方の天幕で休んでいるから、気が済んだら進軍を再開してくれ」
「わかった」
結局、村にはシェジアと、ファン・リズをはじめ〝血獣〟から五名、それとテオ・ジョエルを連れて向かった。
シェジアと〝血獣〟ら賭場に居合わせた兵士らは、先日の晩以来、驚くほどミツキに従順になっていた。
賭場ではシェジアとの交渉に加え、ジャメサと決闘までする羽目になり、かなり肝を冷やしたが、結果的には実力を持った兵士たちから信頼を得ることができ、ミツキに益をもたらす結果となった。
今回の偵察も、できれば口の堅い、信頼できそうな兵士を同行させたかったので、シェジアらの存在はありがたかった。
「……これは、酷いな」
村の入り口付近で馬を下りたミツキは、目の前の光景に顔を歪めた。
家々の跡には、石の基礎と炭化した建材だけが残っている。
道には既に雑草が生い茂り、人が居なくなってある程度の時間が過ぎ去ったことを窺わせた。
「うっ」
目の前の壊滅した村と、アタラティアの開拓村が焼ける光景が重なり、ミツキは息苦しさを覚えてよろめいた。
「大丈夫ですか、ミツキさん」
シェジアに支えられ、体を預けながら深呼吸を繰り返すと、徐々に気持ちは落ち着いた。
「ああ、大丈夫だ。ありがとう」
シェジアから離れると、先頭に立って村の中へと進んだ。
歩きながら、完全にPTSDだなと、ミツキは内心で考える。
他の兵士たちにも当て嵌まるが、戦争が終ったらメンタルケアが必要ではないか。
しかし、心療内科もないこの世界では、どう対策すれば良いのか。
「なんつうか、死体が全然見当たりませんね」
シェジアの呟きを聞いてミツキは我に返る。
「そりゃ、殺さず本国に送ったからじゃねえですか?」
「ブリュゴーリュ軍は町や村を襲っても、住人は皆殺しにするはずですよ」
ファンとシェジアの会話をミツキはぼんやりと聞く。
先に偵察の兵から真相を聞いているが、あまり口にしたくはないのでミツキは黙って歩き続けた。
どうせ、すぐにわかることだ。
「あ、あの、なんですか、この臭い?」
村の広場に差し掛かろうというところで、テオが疑問を口にした。
しかし、臭いの原因を察しているミツキと〝血獣〟の面々は、渋面を作るだけで沈黙したまま進む。
「うっ! こ、これは……!」
広場に到着すると、テオが布で口を押さえながら苦し気に声を発した。
一方、シェジアと他の兵士たちに動揺は見られない。
さすがに慣れたものだなと、ミツキは感心する。
「ミツキ殿! こ、これは、いったい!」
「決まってるでしょう。住民の死体ですよ」
視線を下げながらシェジアは無感動に言い放った。
ミツキたちの眼前、村の広場だった場所には大きな穴が掘られていた。
その中には、無数の骨が折り重なるように積み上げられている。
ブリュゴーリュ軍が住民を殺した後、ここにまとめて捨てたのだろう。
「うっ!」
テオは膝から崩れ落ちると、穴の縁に嘔吐した。
「大丈夫か眼鏡君?」
そう言いつつ、ミツキも気分が良いとは言えない。
喉元までせり上がっていた反吐を辛うじて胃の腑へ押し戻せたのは、予想外に腐臭が弱かったからだ。
それは遺体が既に白骨化しているからなのだろうが、ミツキはそのことに違和感を覚える。
この村が襲われた頃から逆算して、こうまで綺麗に白骨化するものだろうか。
「こりゃあ、ただの死体じゃないですね」
ミツキに同調するかのように、シェジアが呟く。
「どういうことだ?」
「そりゃ、こっから穴を覗いただけじゃわかりませんよ。っつうわけだから、おい、ちょっと下行って骨を何本か拾ってきてください」
シェジアに命じられ、部下のひとりが穴の中へと降りていく。
兵士はまるで薪でも拾うかのように、無造作に骨を拾い脇に抱える。
人骨に触れることにまるで頓着しない姿に、戦場に慣れすぎるのも考えものだなとミツキは思う。
「こんぐれえでいいすかね?」
「上々ですよ。さてこの骨……うん?」
部下が穴から上がると、地面に置いた骨を手に取り観察していたシェジアは、眉根を寄せて黙り込んだ。
「どうした?」
「この骨のここの部分、ちょっと見てもらえますか」
疑問を呈したミツキに、シェジアは骨を突き出す。
眼前の骨は半ばから折れ、ミツキの目の前にはその断面が晒されている。
「断ち割ったような切り口だな。殺された時の傷か?」
「いえ、よく見てください。骨ん中が空洞になっています」
「空洞? 骨の中ってことは……骨髄が無くなっているってことか?」
「その通りですよミツキさん。こりゃ後から搔き出したんでしょうね」
「えっと、なんでそんなこと――っ!!」
ミツキは言葉の途中で理由に気付くと、目を大きく剥いて口を押さえた。