第四十九節 『居合』
立会人のジャッジを聞いた兵士たちは、ミツキの使った見慣れぬ技に戸惑い、しばしの間騒めいていたが、賭けで大穴を当てた者が狂喜の歓声を上げ始めたのを皮切りに、ひとりふたりと、〝剣帝〟をたったの一合刃を交えただけで下した上官を讃え、喝采を送った。
「……なんとかなったか」
安堵の呟きを漏らしながら、ミツキは大きく溜息をつく。
自分が元々剣術の技能を会得していることは確認済みだったが、記憶を失くしているため技倆がどれ程のレベルなのかまでは、実はよくわかっていなかったのだ。
トリヴィア相手の稽古では、対人戦闘を想定した剣技などまるで役に立たない。
実戦では、ほぼ〝飛粒〟に頼りきりでここまで来た。
だから、自分の剣の実力を測る物差しがなかった。
それでも、この場で使おうと決断できる程自身の腕を信頼できたのは、語学や裁縫など、他に会得していた技能の多くが、極めて高いレベルで身に付いていたのを確認していたからだった。
「わからない……なんだ、今のは」
そう呟いた目の前のジャメサを窺えば、折れた切っ先を見つめて呆然としている。
妥当な反応だとミツキは思う。
瞬殺するつもりで斬り掛かったら、逆に一瞬で得物を壊され、ほとんど同時に急所へ剣を突き付けられていたのだ。
達者であればこそ、ショックは大きいだろう。
「ま、わけがわからんのも無理はない」
ミツキに話し掛けられたジャメサは、ピクリと身を震わせてから、おずおずといった様子でミツキに視線を向ける。
「今のはオレの地元特有の剣技でな、〝居合〟とか〝抜刀術〟とか、いろいろ呼び方はあるが、刀を鞘に納めた状態からの抜き打ちで斬り付けるんだ。そいつでおまえの剣を斬り飛ばしてから、払った刃を翻して首にすん止めした。ちょっと切れちゃったのは勘弁してくれ」
ジャメサの剣は尋常でない速度で振り下ろされたが、耀晶刀の軽さに加え練気で常人離れした身体能力を得ているミツキの抜刀は、斬り付けられるよりも先に相手の刃を捉えることに成功した。
耀晶刀に付与された〝両断〟の魔法の効能もあって、ジャメサの鋼鉄の剣は容易に断ち斬られたが、この点についてミツキはあえて説明しなかった。
「では剣を抜かなかったのは……」
「抜刀そのものが斬撃となるからだ。オレがおまえを侮って余裕コイてるとでも思ったんだろ? 油断したのはそっちだったな」
ミツキの答えを聞いて、ジャメサは臍を噛む。
しかし、〝油断〟とは言ったが、この男が抜き打ちを読めなかったのは当然だとミツキは思う。
納刀からの抜刀に主眼を置いた武術など、元の世界でも居合術の他には聞いたこともない。
つまり、それだけ珍しい技なのだ。
しかも、こちらの世界の軍隊や戦場を見て回る中で、剣の技術というものが魔法などに比べほとんど体系化されていないことにミツキは気付いていた。
それゆえ、類似した技術が発達していることなど、まずないだろうと推察し、だからこそ手の内を読まれないという確信があったのだ。。
まして、使っている得物が反りのない直剣なうえに二刀流のジャメサでは、居合のような動きなど思いもよらなかったはずだ。
「今の技、オレにもできるだろうか」
俯きながら、ジャメサは呟いた。
ミツキに尋ねたたというより、自分で自分に問うてみたといった口調だった。
「おまえの剣は反りがなく剣身の幅も広すぎる。抜き打ちには向いていない」
「……できないってことか」
ジャメサは手の中の折れた剣に視線を落とす。
「その剣じゃあ無理だって話だ。しかし、〝居合〟を会得したいのなら協力してやるよ」
ジャメサは顔を上げてミツキの顔をまじまじと見る。
表情の乏しいこの男にしては珍しく、驚いているのが容易にわかった。
「まず、剣を変えることだ。この剣――」
そう言ってミツキは、耀晶刀を鞘ごとベルトから引き抜いてジャメサの目の前に掲げてみせる。
「打ち刀っていうオレの故郷の剣の形を模しているんだが、居合にはこいつが最適だ。だから、刀を新調する。幸い、オレ等がこれから攻め込むブリュゴーリュは、鉄の武器の生産が盛んだと聞いている。占領すれば優秀な鍛冶職人に質の良い刀を作らせることができるかもな」
「……カタナ」
「で、技術については、今のを見ただけじゃ再現するのは難しいだろ。おまえが望むなら、時間があるときに教えてやる」
ミツキの提案に、ジャメサは戸惑ったような表情を浮かべる。
「なぜだ。今さっき、オレはあんたを本気で殺すつもりだったんだぞ」
「べつに気にしちゃいない。そうなるよう自分で仕向けたも同然だしな。それに、〝力で相手を測る〟ってことは、勝負に負けた以上、今後オレに従うことに文句はないんだろ? 自分の部下が強くなるのはオレとしても心強いからな」
ジャメサはもう一度折れた剣に視線を落としながら尋ねる。
「……もしかして、さっきのイアイのような技を他にも知っているのか?」
「まあ、あそこまで特殊なのはそうそうないが、おまえの知らない剣の技術ってことなら、いろいろ知っているかも。オレの故郷では数百年をかけて体系化された剣術が伝わっているからな。おまえの剣技はたしかに凄まじいが、見たところ我流だろ? オレから教えられることは少なくないと思う」
とはいえ、現代人の己がどれだけ剣に精通しているのかは、自分でも未知数だとミツキは思う。
前の世界の記憶と経験に結び付きがないミツキは、目的を得て初めて知識が頭に浮かぶため、普段は自分が何を知っているのかわからないのだ。
今の発言は、先程の居合の腕から判断し、他人を指導できる程度には剣術に精通しているとあたりを付けたゆえだった。
ジャメサは口を噤んでミツキをジッと見てから、おもむろに折れた剣を鞘へ納めた。
「わかった。今後はあんたに従おう。そして、オレをもっと強くしてくれるというなら、その技であんたの敵はすべてオレが斬ってやる」
「頼りにしてるよ」
ふたりの会話が終ると、周囲の兵士たちが周りに集まって来た。
多くの者が先程の賭けに負けていたが、達人同士の一瞬の立ち合いに興奮し、皆がふたりを讃えた。
荒くれ者の私兵たちからもみくちゃにされ辟易としながらも、ミツキは兵士たちとの距離が急速に縮まったことを感じていた。
ミツキを丸め込むためのジャメサの方便は、結果的に言葉通りの効果を発揮したのだった。
「ミ、ミツキ殿」
背後から掛けられた声に、ミツキは振り向く。
兵士たちを掻き分けて現れたテオが、預けられた耀晶刀と倍ほどに膨らんだ革袋をミツキに差し出した。
どうやら指示通りに賭けてくれたらしい。
顔に喜色を浮かべながら、得物と銀貨の詰まった革袋を受け取る。
「うはは、ありがとな。眼鏡君も儲かったろ?」
「私の半月分の給金があぁぁぁぁ!」
そう叫ぶとテオは丸縁眼鏡の下から滂沱の涙を溢れさせ膝から崩れ落ちた。
「あ、ああ、ジャメサに賭けたのか。だから言ったのに」
余程悔しかったのか地面を叩きながら嗚咽するテオを見下ろしていたミツキは、背後で兵士たちの動く気配に振り返る。
「本当に〝剣帝〟を一蹴しちまうとは、さずがに驚きましたよ」
兵士等の集団が割れ、シェジアがミツキの前へと進み出る。
顔には、この天幕に入って最初に向けられた歪な笑みとは明らかに異なる微笑が浮かんでいる。
「しかしこれでもう副長……ミツキさんに逆らおうって奴はこの場にいないはずですよ」
「ミツキさん?」
「おまえら今度こそ異存はねえな!?」
兵士たちが鬨の声で応じる中、シェジアの歩いてきた空間から手を上げて歩み寄る者があった。
〝血獣〟の次席のひとりだという女魔導士、ファン・リズだ。
シェジアは部下の行動に眉根を寄せる。
「あぁ? おいファン。まさか今度はテメエが文句を付けるんじゃないですよね。制裁を期待しての行動だってぇならさすがに空気を読んでくださいよ?」
ボキボキと拳を鳴らすシェジアを見て、ファンは喜悦の表情を浮かべながら内股になって股間を押さえる。
被虐性癖の魔導士の反応に、ドン引きだよとミツキは思う。
「あ、あ、か、頭ぁ、そうじゃなくてですねえ、あ、あの、ちょっと気になることがあって、副長さんに確認してえだけなんです」
「確認したいこと?」
今度はミツキが眉をひそめる。
ファンは一歩前へ進むとミツキに疑問をぶつけた。
「王女様の親衛隊に入るには断種の処置が必須ってさっき言いましたよね?」
「あ、ああ」
「じゃあ、じゃあ、もしかしてうちのサルヴァ団長って――」
「それ以上いけない」
ミツキは咄嗟にファンの口を塞ぐ。
そのやりとりを見ていた兵士たちの間に気まずい沈黙が流れる中、シェジアが噴き出した「ブハッ」という声だけが天幕内に響いた。