第四十六節 『便乗』
ひとしきり笑ったシェジアは、「テメエらいつまでも馬鹿みてえに笑ってんじゃないですよ!」と他の私兵たちを一喝し黙らせると、元の怜悧そうな表情に戻ってミツキに向き直った。
「いいでしょう。副長殿がそこまでの覚悟を決められているのであれば私等も当面は大人しくしていると約束しますよ。副長殿にとって我々は少なくともテメエのせいっ……せ、い……ブハッ、クックッ……ゲフンッ、失礼。生殖機能を担保にする程度の価値はあると買ってもらっているようですし、体まで張ると約束していただいたわけですから、こちらもその心意気には応えますよ」
そう言ったシェジアの目は、笑い過ぎたために若干涙目になってさえいた。
初めて顔を合わせて以降、笑いなどとは無縁の冷徹な女という印象を抱いてきただけに、まさか下ネタがツボだとは思いもよらなかった。
「聞き入れてくれて助かる。念のため確認するが、あらためて私闘は禁止し、死体漁りも今後一切しないってことでいいな?」
「ええ、この賭場は今夜で店仕舞いにしますし、ブリュゴーリュ兵から剥いだ鎧もすぐに破棄しましょう。余程イカれた命令でも出されない限りは、作戦にも文句を垂れずに従いますよ。ただし、もし戦後に契約や報酬の件が守られない場合は、副長殿の身と引き換えにしてでも宝剣を売って我々に違約金を支払ってもらいますよ」
「それでいい。こっちも今夜までのことはなかったことにしておく。眼鏡君、私闘と影邏隊への暴行の記録は改竄しといてくれ」
テオは上官から無茶振りされ、ビクリと身を竦ませた。
知りたくもない王家の秘密を訊かされ、断りなく共犯にまでされ、さりとて武闘派の兵士たちに囲まれ文句も言えず、彼は泣きそうに顔を歪めるしかない。
「テメエらも異存はないですね!?」
シェジアが周囲の兵士たちを見回しながら問うと、集団の中から一歩前へ進み出る者があった。
先程、仲間の槍使いとの決闘を演じた元剣闘士のジャメサ・カウズだ。
「これは、意外なヤツが出ましたね。さっきの話し合いに不服でもあるんですか?」
「不服はない。だが、不承知だ」
「はあ?」
シェジアの目が剣呑な色を帯びる。
実力者ふたりの険悪な雰囲気に、周囲を囲んだ兵士たちの間に緊張が走る。
「不服はねえのに不承知だと? テメエ、そりゃどういうことですか?」
「どうもこうもあるか。この賭場はあんたの私物じゃないだろ。あんたは褒賞や今後の雇用について、私兵で囲んで優位な状況で交渉をするためにこの賭場を設けたんだろうがな、こっちはそれなりに楽しんで付き合ってたんだ。発起人だろうが断りも無く売り払っていいってことにゃならんだろうが」
「そのたのしみってぇのはテメエらの今後の保証と引き換えにするほどのもんかよ、ああ!?」
「いいや。だがな、あんたが代表者ヅラして勝手にこっちの娯楽を奪うのは我慢ならんって話だ。オレは賭場に協力はしてもあんたの部下になった覚えはないからな。というわけで副長さん、今度はオレとも交渉をしてくれ」
「はあ!?」
シェジアとの話がまとまればすべて解決かと思ったら、そういうわけではないらしい。
冗談じゃないぞとミツキは思う。
仮にこのジャメサと話し合って納得させたとしても、次々と別の奴が交渉を持ちかけてきたらさすがに要求を呑み切れなくなるだろう。
「心配するな。オレ以外の奴にまで口出しはさせない。というか、そもそも最初から手順さえ踏めば話し合いなんてややこしいことをせずに済んだんだ」
「それは、どういう意味だ?」
「あんたは、オレ等みたいなならず者の集団で訴訟が起きた時、いちいち話し合いの場なんてものを設けると思うのか?」
一瞬考えるが、まるでわからないとミツキは思う。
そもそもこういった連中がどんな環境で生活しているのかからしてよく知らない。
「ぜんぜんわからないんだけど」
「軍隊とは違って、傭兵団なんかには秩序を維持するような役職の人間はいない場合が多い。簡単な隊規のようなものはあっても、司法機関がない以上は公正な訴訟や裁判なんてものはやりようもない。だから、揉め事は大抵、当事者同士の決闘で片を付ける。それは冒険者や剣闘士でも似たようなものだ」
「け、決闘?」
嫌な予感に、ミツキは眉をひそめる。
「そうだ。それがオレ等の流儀だ。だから、さっきみたいな言葉の駆け引きじゃあ納得していない奴もこの場には少なくないだろう」
「……つまり、オレにも決闘をしろと?」
「そうだ。元よりここはそのための場だ。オレたちはこれまであんたの決めた規律に従って来た。ここへ踏み込んできた以上、今度はあんたが従ったらどうだ」
「オレが負けたら、賭場の継続を認めろってことか?」
「いや、そこまでは望まない。というか、さっきの交渉を台無しにしかねないような望みを吹っ掛ければ、オレの命が危うくなるからな」
「よくわかってるじゃないですか」
そう言ったシェジアの眼光に、ミツキは怯む。
しかし、睨まれているジャメサは、特に気にした様子もない。
この殺気に怯まないとは、どんな神経をしているのかとミツキは感心する。
「しかしまあ、こっちも毎夜の楽しみを奪われるんだ。だから、あんたが負けたら、そうだな、国境に到着して友軍と合流するまでの間、ここにいる全員の酒代をあんたが持つってのはどうだ?」
提案を聞き、兵士たちは一斉に楽し気な声を上げる。
ジャメサを支持するような声もあちこちから聞こえてくる。
「で、オレが勝ったらどうなるんだ?」
「約束通り賭場は閉め、今後一切私闘はしない。命令にも大人しく従う」
「それじゃさっきと変わらないだろ。リスクだけあってこっちのリターンがないんじゃ受ける意味がない」
「意味ならある」
「どんな意味だよ」
「この場の兵士の信頼と忠誠が買える」
ジャメサの言葉に、ミツキは一旦口を閉じて周囲に視線を巡らせた。
兵士たちの値踏みするような視線に気付き、苦々しい表情になる。
「もしあんたが決闘に応じなければ、兵士たちからは腰抜けと評されることになるだろう。さっきの交渉を巧くまとめたところで、兵士たちに侮られたあんたは、今後こいつらを使うのに苦労するだろうな」
おまえが言うなという言葉をミツキはどうにか呑み込んだ。
そもそもこの男が決闘の話など持ち出されなければ、そんなリスクが発生することなどなかったのだ。
「だが、決闘で勝てば、こいつらの扱いはかなり容易になるはずだ。結局オレ等のような人種は、力で相手を測るようなところがあるからな。あんたはこいつらに、自分の価値を示せるというわけだ。負けたとしても、決闘に応じる気概を見せられるだけ、逃げるよりも大分マシだろう」
ミツキは盛大にため息をつく。
どうやらハメられたらしい。
「つまり、応じる以外の選択肢はないってことだろ? いいよ、やってやるさ」
ミツキの返答に、兵士たちが「おおっ」と声を揃えてどよめく。
ジャメサは進み出た時から変わらず仏頂面だが、承諾の返事を聞いた瞬間から、腰の剣の柄尻を指でコツコツと打っている。
テンションが上がったときの癖なのかとミツキは察する。
「賢明だ」
「そりゃどーも。で、オレの相手は、誰がするんだ?」
「オレに決まっている」
歓声をあげ盛り上がる兵士を余所に、ミツキは苦り切った笑みを浮かべ短く呟いた。
「だろうな」