第四十四節 『保険』
「鎧を奪うのを禁じたのは、それによって行軍に支障が出ると判断したからだ。そんな重い鎧を持ち歩いて遅れないわけがないからな」
「そりゃあ、おたくらの都合だろうがよ。傭兵ってのは命を張った分、殺した敵の持ち物は懐に収めていいって決まってんだ」
「だから、通常よりも格段に高い給金払ってんだろうが」
「それとこれとは話が別だっつってんだよ。金は多いに越したことはねえからな。職業軍人じゃねえ私ら傭兵は、稼げるときに稼げるだけ稼がにゃ食っていけねえんだよ」
ミツキとシェジアの言葉の応酬を、天幕内の男たちは首を左右に巡らせながら見守っている。
軍事行動を優先するミツキと、私兵の権利を認めさせようとするシェジアの主張は平行線をたどっている。
「それに、私らが命懸けで倒したブリュゴーリュ兵の武器や鎧兜がどうなったと思うよ。後ろから付いて来る商人どもが剥ぎ取って回っていやがるのさ。あんな卑しい奴らに、手柄を横取りされるのも我慢がならねえ」
もしかしたら、そのことに腹を立てているから、酒保商人のキャンプ地に遊びにも行かず、こんなところで賭場など開いているのだろうかとミツキは想像する。
「卑しい奴らね……まったくその通りだ。死体漁りなんて、まったく卑しい真似だよ」
「ああ!?」
「いいか? おまえらはもう王族直属の軍なんだ。死体漁りなんて卑賤な行動は慎んでもらおう」
「直属つっても、契約はこの戦争が終わるまでだろうが。耳心地の良い言葉で都合よく操ろうって魂胆が見え見えなんだよ」
「いや、おそらくそうはならない。希望者は正規兵として取り立てることになるだろうし、手柄を立てた者にはいずれ領土も与えられる」
ミツキの言葉に、天幕内の私兵たちがどよめく。
シェジアも一瞬口を噤んでから、口調をあらためて再び話し始める。
「つーことは、出征前の演説は本気だったってことですか。しかし、正直な話、疑わしいですよ。副長殿自身はそのつもりでも、上のお偉いさんが約束を守る保証はありませんからね。実際、戦う前は散々下手に出ていた依頼主が、依頼を達成した途端、急に手のひらを返して給金を値切るなんてのは、傭兵稼業じゃ日常茶飯事ですからね」
それで死体漁りにここまで固執するのかと、ミツキは納得する。
現代社会のように、法で労働者の権利が保障されているわけでもないこの世界では、もらえるかどうかもわからない恩賞よりも、目先の確実な収入が優先されるということだろう。
「オレたちは第十二副王領国境の砦で友軍と合流後、ブリュゴーリュの首都を目指して軍を進める。首都を陥落させた後は、ブリュゴーリュはティファニアによって占領統治されることになるだろう。そうなれば、戦争が終わっても戦力はますます必要となる。ブリュゴーリュ国内での反攻勢力も出るだろうし、北部に国境を接するディエビア連邦とバーンクライブにも備えなきゃならないからな。だから、戦争が終ったらお払い箱、なんてことには絶対にならない」
「さて、本当にそうなりますかね。勝利が確定した途端、王都で震えているお偉方が急に権利を主張して自分の息の掛かった兵を派遣してくるかもしれないでしょう」
たしかに、その疑いはもっともだと思う。
彼女たちは、サルヴァとの契約魔法によってセルヴィス王が骨抜きになっていることなど知らないのだ。
「どうすりゃ信用してくれるんだ?」
「別に、副長殿のことはそれなりに信用してますよ。騎兵縦隊の斬り込み役を自ら引き受けるような無茶を見せ付けられたら、そりゃ認めないわけにもいきません。しかし、所詮はいち軍人でしょ? あんたがどれだけ誠実で勇敢でも、戦場を知らない上の馬鹿ども次第で私らの今後なんざどうにでもなるってわけですよ」
ミツキがなんと言おうと、政治的な発言力がないと認識されている以上、彼女たちを説得するのは難しい。
いっそ、ティファニアを出る前にセルヴィスにしたことを打ち明けてしまおうかとも考えるが、さすがにそれは不味いだろうと思い直す。
では、己自身の手札で、私兵たちに戦場での分捕り、ひいては略奪を止めても良いと思わせるにはどうすれば良いかとミツキは思考する。
「……じゃあ、つまりは雇用の継続や褒賞が受けられなかった場合の保険があれば、とりあえず不満は解消されるってことだよな」
「保険? まあ、分捕りよりも確実に儲かるのであれば、当面の間は大人しくしていますよ。しかし、副長殿個人の権限で、なにができるっていうんですか?」
ミツキは腰に差した二振りの耀晶刀に手を掛ける。
周りの兵士たちが身構えるのにかまわず、鞘ごと引き抜いた刀をシェジアの方へ差し出した。
「もし、正規兵としての雇用と、働きに応じた褒賞が払われなかった場合は、こいつをやる。金に換えればそれなりの額にはなるはずだから、分配するといい」
ミツキの発言に、周囲の兵士たちから失笑が漏れる。
その中から、体格の良いひとりの男がミツキへ歩み寄り、厳つい顔で見下ろしながら口を開いた。
「おい副長さんよ、うちの頭が真面目に話してるってのに、そいつぁふざけ過ぎじゃねえか? それとも傭兵風情と思って見下してんのか? たかが剣二本でおぶっ!?」
ミツキに絡んでいた大男は、突然真横から突き出された拳に顎を撃ち抜かれた勢いで吹っ飛び、空中で二回転した後地面に叩き付けられた。
部下を殴り飛ばしたシェジアは、突き出した拳を開いてニ、三度ひらひらと振りながら毒づいた。
「私が話してんのに、なにを勝手に口出ししてんですかボケが! 次にナメた真似しやがったら顎砕くぐれえじゃ済まさねえからな!」
その剣幕に天幕内が静まり返る中、シェジアは何事もなかったかのようにミツキに向き直る。
「すみませんね、うちのボンクラが。戦場じゃあそこそこ使えるんですが、どうにも礼儀ってもんを弁えねえで困りますよ。まあ、どいつもゴミ溜めみてえな場所で生きてきた奴らばかりで常識を身に着けることもできなかったんで、勘弁してやってくださいよ」
白眼を剥いてビクビクと痙攣する大男を窺い、おまえが勘弁してやれよとミツキは思う。
それにしても、ソファに座っていたはずが、気配も感じさせずに一瞬で広い間合いを詰めてきたのはさすがと言う他なかった。
「で、剣でしたっけ? それだけの価値があるものか拝見しますよ」
「あ、ああ」
シェジアは鞘を払うと、青く澄んだ刀身を見て大きく目を見開き、しばらく観察してから峰を腕に乗せ、刀身を検める。
「その剣は、ヴェリ――」
「説明は不要ですよ。先入観抜きで見たいんで、ちっと黙っててもらえますか?」
そう言われて、ミツキは口を噤んだ。
上官への態度じゃないだろと思うが、部下への仕打ちに比べれば、穏やかな対応と言えなくもない。
一応敬語で話しているのも、彼女なりに気を使っているのかもしれないと思い直す。
刀を観察していたシェジアは、おもむろに顔を離すと、先程まで自分が身を沈めていたソファに向かって声を張り上げた。
「おい、ファン! テメエいつまでラリってやがるんですか! 仕事です! ちょっとこっちきてくださいよ!」
その声に反応して、ソファの隅がもぞもぞと動き、やがて小さな影が起き上がった。
薄暗いためミツキは気付かなかったが、シェジアの傍らで人が横になっていたらしい。
小さな影は一度大きく伸びをしてから、ゆっくりと振り返った。
グレージュの髪を無造作に束ねた痩せぎすの女で、落ち窪んだ目と青白い肌色から不健康そうな印象受ける。
その口の端には、タバコが二本咥えられており、女の呼吸に合わせて鼻から噴き出した煙が周囲に漂った。
この世界の煙草は、軽い酩酊感を引き起こす。
以前、カナル翁が吸っていた際はまったくそんな様子は見せていなかったが、この女の惚けた様な動作は、間違いなく煙草によって意識が混濁しているからだと察せられた。
女は気だるげに身を起こし、地面に煙草を吐き捨て踏み消すと、シェジアとミツキの方へゆっくりと歩き出した。
制服の前ボタンが外れ、胸を覆う飾り気のない下着と、肋骨の浮いた体が丸見えだが、本人はまるで気にした様子もない。
「うぅ、頭がクラクラするぅ……なんすかぁ頭ぁ。もう帰って寝てえんですけどぉ」
「テメエ、一応副長殿の前ですよ。シャキッとしねえか!」
ボコリと頭を叩かれ、女の頭がガクンと下がる。
「ありがとうございます!」
女はなぜか感謝の言葉を叫ぶと、ゆっくりと顔を上げる。
恍惚としたその表情に、ミツキはおもわず半歩後退る。
また妙な女が出てきた。