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第三十三節 『無限嬢』

 以前、ブシュロネアとの戦の際、第二街道口に配置された部隊を指揮していたヴォリス・ドゥ・ヴァーゼラットは、トリヴィアの直接的な戦闘を目にしたわけではなかったものの、遠方に立ち昇った巨大な竜巻を見て驚嘆(きょうたん)し、その後街道向こうの平地での戦闘でも彼女が活躍したという話を聞いて、自分の故郷を救った英雄に対する仄かな憧れを抱いていた。

 そして、実際にジュランバー要塞で兵士たちに稽古を付ける姿を目にし、未熟な民兵たちにも(へだ)てなく接する性格にも、好感を覚えた。

 しかし、遠く離れた場所で異形の少女相手に打ち合いを演じる姿を目の当たりにすると、敬意も好意も心の中から立ち消え、その規格外の強さにただただ震え上がるしかない。

 己自身の礼を失した思考に嫌悪感を覚えながらも、彼は胸の中に浮かぶひとつの単語をおもわず呟いていた。


「……化け物」




 次々と繰り出される関節肢(かんせつし)を鉈刀で断ち割りながら、トリヴィアは心の内で毒づいた。

 キリがない。

 彼女の周囲には、関節肢の残骸が小山のように積み上がっているが、少女の手からは衰えぬ勢いで新手が生え、眼前の敵目掛けて次々と突き出される。

 関節肢一本の勢いは、せいぜい達者な兵士の槍さばきと同等といった程度だ。

 トリヴィアからすればまるで問題にもならない。

 しかし、両の腕から、随時数十本が伸ばされるうえ、斬り落としても次々生えてくるのだから始末に負えない。

 しかも、関節肢はランダムに関節が形成されているので、その動きにも規則性がなく、時には意表を突かれた。


「ぐぅ!」


 下方から伸ばされた、鋭い爪を有した関節肢に脇腹を刺される。

 別の関節肢を纏めて斬り落としている最中だったので鉈刀は使えず、足で蹴り折った。

 しかし、今度は肩に痛みを覚えて一瞬視線を向けると、頭上高くから背後に延ばされた関節肢が(かぎ)のように曲げられて肩を貫いていた。

 前方から殺到する関節肢の束を薙ぎ払う勢いで、半回転しながら引き抜き、背後から伸ばされたものも一掃する。


「キャハハハ、大丈夫ぅ? ちょっと疲れてきたんじゃないのぉ?」

「大きなお世話だ!」


 己を嘲笑(あざわら)う小娘の頭を潰せれば、それで終わるのかもしれない。

 しかし、関節肢に対処するのが精いっぱいで、とても前に進めない。

 それに、既にかなりの時間鉈刀を振り続け、さしものトリヴィアも、スタミナも握力も限界に達しつつある。

 そして、それ以上にまずいのが、少しずつ付けられた傷から流れ出している血液だ。

 このままでは、直にブシュロネアの砦の時の二の舞になってしまうだろう。

 トリヴィアは苦し紛れに異形の少女へ話し掛ける。


「そっちこそ、私の相手ばかりしていていいのか!? おまえの軍は明らかに劣勢に立たされつつあるぞ!?」


 それは、実際にその通りだった。

 現在、トリヴィアと異形の少女は、戦場の中心付近で戦っている。

 その攻防の激しさに、周囲の兵は両軍ともにまるで手が出せないでいる。

 打ち合いが始まった直後は、無謀にも自軍の化け物を援護しようと近付くブリュゴーリュ兵もいたが、巻き込まれて一瞬で挽肉のようになり、すぐに兵士たちはふたりから距離を取って戦い始めた。

 そして、今周囲に見えるのは、ほとんどがブリュゴーリュの騎兵だ。

 彼らはティファニアの作戦に嵌って包囲され、その包囲網は徐々に狭まっている。

 しかも、ある時から敵兵の動きは急に鈍り、ティファニア軍から加速度的に押されている。

 そういう意味では、トリヴィアは敵の被召喚者の足止めという役割をきっちり果たしていた。

 しかし、異形の少女は動揺するどころか、むしろ楽し気に言い放つ。


「ぜぇんぜんかまわないわぁ。なんなら兵隊なんてひとり残らず殺してくれてもいいのよぉ。だってぇ、私ひとりいればあなたたちを皆殺しにして、ティファニアを落とすのだって余裕だものぉ。私だけの手柄になれば、王陛下もその分私をたぁくさん褒めてくださるわぁ」

「くそっ! 冗談じゃないぞ!」


 そう、冗談ではない。

 この娘なら、実際にそれをやってのけるだろう。

 なにせ、体を無限に増殖させるのだ。

 ただの兵隊では、何人束になっても歯が立たないはずだ。

 だから、この異形は、己が始末を付けなければならないとトリヴィアは考える。

 だが、そう思考する間にも、体力は限界に達しつつある。


 いっそ魔法を使うかと思い、すぐにその考えを捨てる。

 目の前の小娘は、容姿を利用して騙し討ちするような外道ではあるが、身ひとつで戦っているのは間違いないのだ。

 そのような相手に魔法を用いるのは、彼女の矜持が許さない。

 しかし、その信念を貫いたために、仲間を犠牲にすることになると考えると、再び魔法を使う誘惑に心を乱される。

 そして、その僅かな心の揺らぎは、決定的なスキを生むことになる。


「ぐあっ!?」


 膝に受けた衝撃に、トリヴィアの腰ががくりと落ちる。

 視線を下げれば、地中から突き出された関節肢が膝を貫通していた。


「しまった!」

「遅いわぁ」


 前方の関節肢が一斉に動き、あらゆる角度からトリヴィアに襲い掛かる。

 咄嗟に鉈刀を振るうが、膝に力が入らないため、薙ぎ払った刃は関節肢の半数程を()り飛ばしただけで止まり、残り半数の関節肢が全身に突き立てられた。


「ごはっ!!」


 そのまま高く突き上げられたかと思うと、勢いをつけ地面に落される。

 トリヴィアは自ら斬り落とした異形の娘の関節肢の山に叩き付けられ、その残骸に埋もれた。


「なかなかしぶとい相手だったけどぉ――」


 異形の少女は瓦礫の中から青い血に塗れた数十本の関節肢を引き抜きながらほほ笑んだ。


「蜂の巣にされたら終わりよねぇ」




 山のような瓦礫に押し潰されながら、トリヴィアは薄れゆく意識の片隅で考えていた。

 先程は異形の少女に偉そうなことを言ったが、実のところ己も、人の死にそれ程頓着(とんちゃく)しているわけではないのだと。


 アタラティアの開拓村で、賊に殺された子どもの亡骸(なきがら)を目の当たりにして以来、トリヴィアの心の奥底には、人に対する猜疑(さいぎ)と不信が汚泥(おでい)のように(よど)んでいる。

 だから、ここで意識を手放し、ティファニア軍が全滅してしまったとして、口惜しく、また申し訳なくもあるが、それでも、力及ばなかったと割り切れるような気がした。

 それに、ここで己が死んだとて、今のミツキであれば、きっと生き延びることはできるはずだ。

 彼にはサクヤやオメガがついているし、ミツキ自身も驚異的な成長を見せている。

 これ以上一緒にいられないのは悲しいが、悔いは残さずに済む。


『トリヴィア殿無事か!? 頼む、トリヴィア殿、応えてくれ!』


 その声を聞き、一瞬ミツキかと思うが、すぐに別の人間の声だとわかった。

 確か、アタラティアから応援に駆け付けたという武官で、自分の随伴(ずいはん)する軍団の指揮官を務める男だ。

 名をなんと言ったか。

 いや、どうでもいい。

 声は相変わらず己に呼び掛けているが、徐々に聞き取れなくなっている。


 終わりだ。


 理不尽な目にばかり遭った世界だが、不思議と清々しい気持ちで最後を迎えられるのは、ミツキと出会えたからだろうか。

 ああ、しかし、せめて最後にもう一度だけ、顔が見たかった。

 そう思い、意識を手放そうとしたトリヴィアの心に、誰かの声が響いた。


 〝起きろ!〟


 何者だ、とトリヴィアは思う。

 先程の男の声ではない。

 どういうわけか、懐かしさを感じる。

 では、こちらに来てからもっとも付き合いの長い者、ミツキの声かと一瞬思い、やはり違うと否定する。

 ただ、まったくかかわりが無いわけではない気もした。

 思考する間にも、再び声がこだまする。


 〝もう少しじゃないか! 立ち上がって戻って来い!〟


 ああ、と思い至る。

 これは、私の声じゃないか。

 闘技場で、捨て身の戦いの末に魔獣を破るも、倒れ伏したミツキに己が放った言葉だ。

 そして、ミツキはその声に応えてくれた。

 あれは嬉しかった、とトリヴィアは思う。

 ただひとり、なにもわからず放り込まれた世界で必死に戦い、死に瀕するほど傷付きながらも己の言葉を聞いて、満足に動かぬ身を引きずりながらも己の元へ帰って来てくれたのだ。

 キミは知らないだろうと、トリヴィアは心の内で呼び掛ける。

 あの諦めずに生きようとする姿に、己がどれ程勇気付けられたか。

 そして、それから後も、生きるためどんな困難にも立ち向かうキミの姿に、どれだけ励まされてきたことか。


「……それなのに、おまえが諦めてどうするのだ」


 力の抜けた手を強く握り込む。

 そうだ、今度は己がキミの元へ帰る番だ。

 そのためには、体を串刺しにされようと、千回突き刺されようと、諦めてなるものか。

 たとえ手足が()げようと、喰らい付いてでも敵を倒し、胸を張って戻るのだ。


「……待て、喰らい付く? 喰らい付くだと?」


 ああそうかとトリヴィアは思う。

 その手があったか。

 大きく見開いた眼が瑠璃(るり)の輝きを放ち、右手で鉈刀を掴むと、左手で手探りで掴んだものを引き寄せた。

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