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第二節 『監督官』

 突然、目の前で発生した熱風に煽られ、体のバランスを失いかけたミツキは、たたらを踏みながらどうにか転倒を堪えた。

 これは絶対マズい、と思い他のふたりを窺うと、どちらもまるで意に介していないように佇んでいる。

 こんなのをオレひとりで止めろというのか、と考えミツキは泣きたくもなった。


 しかし、鬼女と犬男の対峙は時間にして四秒と経たずに終わった。

 両者から発せられていた熱と風が唐突に途切れると、まず鬼女が膝を付き、続いて犬男が蹲った。

 何が起こったのかわからず、ミツキが戸惑っていると、背後から女の声が響いた。


「アリアにはおとなしく待っているよう伝えろと命じたはずだが、これはどうしたことだ」


 ミツキが振り向くと、左手の廊下の暗がりからメイドを伴い長髪の女が現れた。


「申し訳ございません。()()()()()とはお伝えしておりませんでした」

「そうかそうか、それならばこちらの手落ちというわけだな。しかし、()()()()()という修飾語を添えぬだけでまさか殺し合いを始めるなどとは、この世界の住人には思いもよらないことだ。驚きのあまり拘束具で内臓が潰れる程腹を締め上げてしまったのだがどうか理解してほしい。そしてこれを期に、今後は貴様ら蛮族流の常識をあらため、待っていろと言われた際はあくまで行儀良く待つよう努めてはくれまいか。なあ一〇二番に二七七番?」


 慇懃な口振りだが、その声音には対象への侮蔑と嗜虐的な感情が滲んでいた。

 何者だと思い、ミツキは横目で女を観察する。

 白いシャツにスラックスのような折り目の付いたパンツを履いているため、一見すると会社勤めの女性のような印象だが、足元はパンプスでなくゴツい編み上げのブーツだ。

 シャツの上には黒地のコートを羽織っており、脇腹から胸元にかけてと肩から袖口にかけて、金糸でアラベスクのような模様が刺繍されている。

 歳は三十前後程だろうか。

 顔は美人の部類に入るだろうが、落ち窪んだ目元に隈が目立ち、くたびれたような印象を受ける。

 よく見れば、顔色も青白く、ブロンドの長い髪も傷んでパサついており、いかにも不健康そうだ。

 コートの女は頽れた鬼女と犬男を見下しながらゆっくりと口を開いた。


(ディアル)


 女の声と同時に、立つこともできずにいた二人の体から緊張が解けた。

 ミツキは呼吸を荒げつつ脇腹を押さえる鬼女に手を差し伸べた。


「大丈夫か? いったい何が……」

「ああ、すまない。拘束具の存在をすっかり忘れていたよ。おかげで冷静にはなれたが、今のは正直かなりキツかった」


 差し出された手を取って立ち上がった鬼女の言葉に、ミツキは首を傾げた。


「拘束具?」


 そういえば、と思い至る。

 自分の試合の前に兵士らが、拘束具組がどうとか話していたはずだ。


「もしかして、ローブの下に何か着けられているのか?」

「召喚時に膨大な魔力反応が認められた個体には、行動を制御するための拘束器具が装着されている」


 ミツキの問いに答えたのは、鬼女ではなく背後の金髪女だった。

 振り向くミツキに冷たい視線を向けた女は言葉を続ける。


制魔鋏絞帯(せいまきょうこうたい)といってな、符丁ひとつで装着者自身の魔力を動力に起動し、金属製の鋏のようなパーツで腹を締め上げる器具だ。おかげで、化け物じみたそいつらも、言葉ひとつで容易に制圧できるというわけだ。逆に言えば、拘束具を着けられた連中こそ強力な力を秘めた、我々にとっての本命ということになる」


 そう言って女はミツキへと歩み寄る。

 ミツキよりも十センチ近くは背が高い。

 鋭い目で見下され、少したじろぐ。


「それでも、闘技場での試験で拘束具組の半数以上が脱落している。まぁ、魔力が高いからといって必ずしも戦闘向きではないからな。それは仕方がない。一方で、ほとんど死にかけだったとはいえ拘束具を着けていない者が魔獣相手に勝利するとはなかなかに驚くべき結果だと言える。しかも、外見だけなら我々人間と酷似しているというのも興味深い。さて、こいつは拾い物なのか、それともただのまぐれか……」


 まじまじと顔を観察され、ミツキはおもわず顔を反らした。

 すると、いきなり顎を掴まれ、正面を向かされた。


ひょっ(ちょっ)はにふんあ(なにすんだ)!」


 以外なほどに強い握力で顎を固定され、抗議の言葉がまともに発音できなかった。


「ほう、変わった顔立ちだが、可愛らしいと言えなくもない。これなら上位貴族や軍の高官の接待に充てがうというのも手だな。享楽に()んだ権力者程ゲテモノを好むものだ。きっと人気者になれるぞ?」

ふあへうあ(ふざけるな)!」


 女の手を跳ね除けようとするが、直前で横からの強烈な突風に煽られてよろめき、結果、顎を掴んだ女の手に支えられる形となる。

 またか、と思い視線を風の発生源に向けると、案の定、鬼女がまさしく鬼の形相で金髪の女を睨みつけている。


「おい! その汚い手を――」

(ディオレ)


 怒声を上げた鬼女は、金髪女の声に連動するようにして膝を折った。

 しかし、体勢を崩す直前で踏み止まり、辛うじて倒れるのを耐えた。


「こっ……んなもので、私を止められると、思うな!」

「大したものだな。そいつには締め上げる以上の痛みを与える付与魔法が施されている。立っていることはおろか意識を保っているのも難しいはずなのだが、さすがは戦闘能力評価で次席だっただけはある。しかし、実のところ拘束具を起動する符丁は、重ねるほどに効果を増すのだ。(ディオレ)

「かはっ!」


 鬼女の膝が笑う。

 しかし、それでも倒れず、目の前の金髪女に射殺すような視線を向ける。


「これは恐れ入る。どんな化け物でも一発でおとなしくなるという触れ込みだったのだが、戦意が萎える気配もないとは。いっそどこまで耐えるか試してみるか。(ディオレ)(ディオレ)(ディオレ)……」


 鬼女の体が痙攣し瞳が裏返った。

 まずい、と思ったミツキは、咄嗟に女の手を振り払うと、頽れかけた鬼女に駆け寄り抱き止めた。


「ぅおっも!」


 目測で二メートル程の巨体に圧し掛かられ、危うく倒れかけるも、どうにか踏ん張って耐える。

 そのまま首だけで振り向き、金髪女に向かって叫んだ。


「おい、あんた! 何者か知らないが趣味が悪いぞ!」


 金髪の女は、面白くもなさそうに肩を竦めた。


「それもそうだな。(ディアル)


 金髪女が解放の符丁を呟くと同時に、鬼女が大きく息を吸い込み、ミツキに掛かる重みがなくなった。

 一瞬飛んでいた鬼女の意識が戻り、自らの足で体を支えたのだろう。

 それでも、まだ苦し気にミツキの腕の中で息を荒げている。


「悪かったな。挨拶代わりの軽い冗談のつもりだったのだが、あまりに良い反応を返すものでつい調子に乗ってしまった。心配せずとも私には貴様らをどのように使うか決める権限などない。ただの監視役だ」

「監視役?」

「そうだ、と言っても貴様らは己が何故ここにいるのか、何故記憶を失っているのか、これから何をさせられるのか、何ひとつ説明されていないのだろう? まぁ、中にはおおむねの事情を察している者もいるかもしれんが……。ともあれ、何もわからんのでは話が進まんからな。この場で一から説明させてもらう。が、その前に、まずは貴様らの行動を縛っているものを外してやろうじゃないか。(リベイラ)


 金髪の女が符丁を呟くと、ミツキ以外のローブを纏った者たちの足元で、ガシャンという金属質な音が鳴った。


「な、なんだ?」


 ミツキが鬼女の足元に視線を向けると、膝丈までのローブの裾下に、人間の肋骨と背骨を思わせる器具が落ちていた。

 おそらく、この金属製の装置で胴を挟み込み、符丁を口にすることで腹部を強く締め上げ、その苦痛で行動を抑制していたのだろう。


「孫悟空の輪っかってわけか」


 しかし、鬼女も犬男も尋常でない戦闘能力を持っているのはミツキ自身、目の当たりにしている。

 まして、他の二名も同格と考えれば、金髪の女とメイドしかいないこの場で、なぜ行動を制限する手段を自ら放棄したのか。

 先程の責めからようやく立ち直った鬼女はミツキの傍らで訝し気な表情を浮かべているし、犬男も距離を取っている。

 他のふたりも動こうとはしない。

 おそらく、拘束具とは別に行動を制限する手段を用意しているのではと用心しているのだろう。

 しかし、もし他の備えが無かった場合は、女二人でこの面々を御せるとは思えない。

 何を考えているのかと、ミツキは用心しながら金髪女に注目した。


「申し遅れたが、私の名はレミリス・ティ・ルヴィンザッハ。貴様らの監督官で一応軍属だ。後ろのは私付きの侍女でアリアという。長い付き合いになるとも思えんが、当面の間はうまくやっていこうじゃないか」


 先程、散々鬼女を嬲っておいてよく言えたものだと呆れる。

 レミリスと名乗った女が棒立ちなのに対し、半歩後ろに控えるアリアはスカートの裾を持ち上げ小さく会釈した。

 命を助けられたこともあり、ミツキは主人よりもメイドの方に好印象を覚えた。


「さて、では話に移るが、先に言っておくと貴様らに開示するのはあくまで最低限の情報だ。これから開示されるものを逸脱する情報を聞く権限は与えられていないと理解しておけ」


 この期に及んで上から目線のレミリスに、ミツキはかえって感心させられた。

 ミツキは除くとしても、他の四人がいつ襲い掛かってもおかしくない状況で、大した度胸だ。

 それとも、やはり拘束具以外の対策を隠しているのか。


「まず、端的に言えば貴様らは魔法によって我が国に召喚させられた。記憶を失っているのは、不完全な魔法の副作用だと聞いている。召喚の目的は軍事利用。といっても、我が国は今現在他国との戦争状態にあるわけではない。ゆえに、貴様らは当面この施設で待機していてもらう。ここは都を取り巻く城壁に設置された側壁塔のひとつだ。城郭の内側は市民区、外側には非市民区が広がっている。市民権を持たない貴様らに市民区への立ち入りは許可されないが、一部の者のみ非市民区への出入りが許可されている。ここまでで何か質問があれば聞こう。答えられるかは別だがな」


 何か質問と言われても、ミツキにはわからないことだらけだった。

 無論、魔法や別の世界云々という、ミツキにしてみれば荒唐無稽としか思えない状況からして納得できないというのもあるが、おそらくそういった前提条件から突き詰めていては話が進まないので、そこは一旦置いておくことにした。


 そのうえで、例えば鬼女らの戦闘能力を鑑みれば兵士、というか戦術兵器として用いるために召喚したと納得はできるが、それならば自分を含む大量の雑魚は何だったのかが不明だ。

 ただ、この疑問については状況から仮説を立てられないでもなかった。


「あの、ここに生き残っている五人以外にも大量に召喚したのは、使える人材を選んで召喚することができなかったからってことっすか?」


 話しだしてから、相手の立場を鑑み敬語を使うべきか迷ったミツキは、おもわず「っす」という砕けた語尾になってしまい口元を引き攣らせた。

 しかし、金髪の女は気にした様子もない。


「そのようだな。そもそも異世界の情報などまるでない状況で、術式にある程度の条件付けのみ行ったうえで、あとは無作為に召喚の儀を執り行ったと聞いている」

「条件付け?」

「一定以上の知能を有し、種として繁栄しているとか、そんなところだろう。こちらとしてはどいつが使えてどいつが使えないかなど判断もできんので、とりあえず魔獣と戦わせてみれば強さを測れる、という話になったらしい」


 何という雑な対応なのか。

 迷惑すぎて開いた口がふさがらなかった。


「質問はそれだけか?」

「あっ……いやえっと、じゃあ、どうして城壁の側壁塔なんすか? いや、もちろん独房に戻されるよりは全然いいと思うんだけど」

「貴様らを収監していた施設の劣悪な環境のせいで、闘技場の試験までに召喚した者の四分の三が死んだそうだ」


 そんなにか、と驚きつつも、すぐに、当然かと納得させられた。

 この世界の人間に見た目が似ている、つまり生態も近いだろうと予想できるミツキでさえ、かなり限界に近かったのだ。

 異なる環境の土地から連れて来られた異種族が、長く生きていける可能性はかなり低いはずだ。

 むしろ、よく四分の一も残ったと言えるだろう。


「これはさすがにまずいと上が判断したらしくてな。試験を突破した者だけでも、衣食住を改善しようという話になったのだが、受け入れ先が見つからない。城内などもっての外だし、城壁内の市民区は市民権を持たぬ者を受け入れないと各区の市民連合が猛反対した。城壁外の非市民区にはめぼしい施設がないうえ治安も悪く管理しきれる保証もない。加えて、中央政府の計画である以上、地方に振るわけにもいかない。そこでだ、城壁そのものであれば軍の管轄だし市民も非市民も関係がない。側壁塔なら監視や籠城に備えて簡易的ではあるが生活のための設備も整っている。実際、過去に非市民区で暴動が起きた際や他国の間者の侵入が確認された時など、戒厳令が敷かれ一定の期間ここに兵士が詰めたこともある。そんなわけで貴様らを置いておくには最適という結論に至ったわけだ」


 どうやらいろいろと揉めたらしい。

 〝数撃ちゃ当たる方式〟の召喚魔法といい、何から何まで杜撰(ずさん)の極みだった。

 あるいは、自分らに明かされていない事情があるのだろうかとミツキは考える。


「聞きたいことはそれだけか? では――」

「もういい」


 唐突に、男の声がレミリスの言葉を遮った。

 犬男の声ではない。

 ミツキが視線を巡らそうとしたところで、残ったふたりのうち、長身の方が前へ進み出た。


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