第二十五節 『方陣』
最前線から離れた後方本陣の天幕内で、いくつもの王耀晶製タブレットに映し出される映像を見て、カナル・フーリッツ・シケルは呟いた。
「便利な世の中になったもんだ」
王耀晶のタブレットに兵士の視覚を投映させるこの魔法は、最近軍に採用されたもので、彼が大将軍だった頃には無かった技術だ。
おかげで後方にいながら戦場の様子をリアルタイムで確認できる。
サクヤとかいう異世界人の遠距離通信魔法と併せて使えば、戦略の幅はほとんど無限に広がるような気さえする。
できれば自分の現役時代に、こういった革新的な技術を使ってみたかったと元大将軍は思う。
「あの、シケル様。ひとつよろしいでしょうか」
「なんだ眼鏡君?」
自分の補佐官として付けられたテオ・ジョエルに、老将は視線を向ける。
「私には、ミツキ殿らの作戦が、その、少々回りくどいように感じるのですが。一級魔法で遠距離から殲滅するのではだめなのですか?」
「ふむ」
この下士官の疑問はもっともだとカナルは思う。
遠距離からの魔法の撃ち合いから突撃へと移行するのがティファニア軍のドクトリンだからだ。
しかし、それではブリュゴーリュの騎兵軍には対応できない。
「一級殲滅魔法には制約が多いってのは理解しているな?」
「はい。詠唱が非常に長く、また魔導士は魔力の安定化のため移動ができません。自分の足で移動することは勿論、戦車等に乗って動いても魔力の安定化の妨げとなります。そして、中途まで発動した一級魔法は、取り止めができません。途中で魔法を止めようとすれば、魔力が暴走して魔導士とその周囲を巻き込んで被害を出すことになります」
「まあ、そういうこった。敵の中に〝魔視持ち〟がいるのは当然として、ティファニアの戦闘教義では魔法で防壁を張って凌いだうえ、こちらも撃ち返すのが定石だ。要するに、腰を据えての殴り合いだな。だが、ブリュゴーリュ軍は違う。奴らはこちらが殲滅魔法を使う気配を見せれば、その機動力を生かして逃げる」
「に、逃げるんですか?」
「別に奴らにしてみりゃ、無理に戦うこたぁないんだよ。戦うのが目的じゃなく、侵略するのが目的だからな。一方、おいらたちは敵を叩くこと自体が目的だ。だから逃げられちまったら元も子もねえ」
「敵が逃げたら、魔導士の消耗の激しい一級魔法を無駄に撃たなければならないうえ、追跡するなら魔導士は置いていかなければならないわけですか」
「そうだ。もたついている間に近隣の街でも襲われちゃ目も当てられねえよな」
実際、最初の遠征でティファニア軍はそのように戦い、ブリュゴーリュ軍の機動戦術にまるで対応できないまま全滅している。
「だから、こちらとしては不本意ながら、敵さんの土俵で戦ってやらにゃならねえわけさ」
「でも、寄せ集めの軍で、敵の精強な騎兵部隊に太刀打ちできるのでしょうか。たしかにミツキ殿は順調に敵軍の真ん中を突っ切れていますが、心配なのは後方の歩兵部隊ですよ」
「いや、あのボウズ共の揃えた武器や兵共に施した訓練は対騎兵戦を見据えたもんだ。おかげでおいらは大してやることもねえ。ただ段取り通り歩兵を動かして、敵の動きに応じて適宜指示を更新すりゃあいい。楽なもんよ」
テオはどこか納得のいかないような表情だ。
まあ無理もないとカナルは思う。
敵も味方も、情報の取得と発信以外にはほとんど魔法を戦術に組み入れていない。
魔法こそ戦場の華と教え込まれた軍人程、今何が起きているのか理解するのは難しいはずだ。
しかし、この泥臭い集団の殺し合いは、その実、冷徹なまでに合理的な戦術に基づいていると老将は理解している。
「敵騎兵、間もなく歩兵部隊と接触しまぁす」
後方の様子をモニターしていたソニファ・アギッツォーラの緊張感を欠いた声を聞き、カナルは喉を押さえて歩兵部隊への指示を発する。
『パイク兵! 梯形陣で敵騎兵を歓迎してやれ!』
元大将軍の指示に密集陣を形成する歩兵たちが持っているのは、全長七メートルにも達する長槍だ。
騎兵による突撃を旨とするブリュゴーリュ軍に対し、ミツキが歩兵に授けた戦術は、かつて中世ヨーロッパにて騎士の時代を終わらせた、スイス傭兵の用いた長槍密集方陣戦法だ。
しかも、軽騎兵の弓撃に対応させるため、盾まで持たせている。
鉄と樫のように硬い木の合板で作られた盾の前面には、軍の制服に用いられているものと同じ物理防御魔法が付与された皮革まで張られている。
これなら、魔法で威力を底上げされたブリュゴーリュ軽騎兵の放つ矢でも容易に貫くことはできない。
「はっ! ぶっさいくな軍だよなおい!」
矢を防ぐためだけの亀の甲羅のような盾と、敵の槍が届かない安全地帯から相手を突くための長槍。
ガチャガチャと槍のひしめき合うハリネズミのような兵団には何の色気も面白味もない。
しかし、徹底して機能性だけを追求したその姿に、カナルは戦法を考案した者の冷徹なまでの実利主義を感じ取り背筋が冷えるような思いがする。
誇りを懸け美学を競い合ったかつての戦は、この次世代の兵士たちによって、粛々と命を奪うだけの作業になり果てるだろう。
画面の中、軽騎兵の支援射撃を頭上にかかげた盾でやり過ごした密集方陣は、続いて突撃して来た重騎兵の馬を貫いた。
落馬した騎兵は、突撃の勢いで地面に叩き付けられ、起き上がることができない。
一撃で仕留めきれなかった龍馬も、奇声を上げながら起き上がったところを次々と槍に貫かれ息絶える。
これまでなら難なく蹂躙できたティファニアの歩兵に進撃を止められたブリュゴーリュ騎兵たちは怯んで立ち止まる。
そこへ後続の騎兵たちが殺到し渋滞を起こす。
中には速度を殺しきれず、前の仲間と衝突して落馬する者も目立った。
あるいは狭い空間に龍馬と鳥馬がひしめき合い、重騎兵の龍馬が苛立って味方軽騎兵の鳥馬に喰らいついたりしている。
混乱に陥った敵騎兵に、パイク兵部隊が歩み寄り間合いの外から突いて回る。
重騎兵の全身鎧を長槍で貫くのは難しいが、馬さえ殺せば重騎兵はその鎧の重さゆえに地上でまともに戦うことなどできない。
「よしよし、今んとこ順調だな……ん?」
とはいえ、すべての場所で想定通りに事が運ぶわけもない。
突っ込んできた重騎兵の馬を刺したところ、放り出された騎兵が方陣へと突っ込み、数人の歩兵がその鎧の下敷きとなって、陣形の崩れた箇所ができる。
すかさず、その穴に敵騎兵が殺到する。
だが、こういうケースも当然折り込み済みだ。
『遊撃隊! 赤の三番隊のカバーに入れ!』
カナルの指示の直後、ティファニア軍歩兵を踏みしだかんと迫っていたブリュゴーリュ騎兵の上半身が、馬の首ごと吹っ飛んだ。
たたらを踏んでから、どうと倒れた味方の凄惨な死に様を見て、周囲のブリュゴーリュ騎兵たちが動揺し歩みを止める。
足を止めた騎兵たちは、風切り音が鳴った瞬間、先に殺された仲間と同様、無惨にその身を引き裂かれ倒されていく。
崩れた方陣を狙った騎兵たちが粗方倒されると、パイク兵たちの後方から鞭のような武器を持った兵士が現れた。
側頭部を刈り上げたボブショートを薄紫に染めた痩せ型の女で、切れ長の目に鼻筋の通った美形だが、額から右目を通って顎にかけ大きな傷が走っており、その傷に絡みつくようなデザインで蔦と花のタトゥーが入れられている。
首周りには毛皮を巻いているうえ、制服は改造されており、胸元が大きく露出し、パンツもサイドに切り込みを入れ、革紐で編み上げている。
その露出した肌には、幾何学的な文様の彫り物がびっしりと浮いていた。
生き物の背骨のような、独特の形状の得物を手元に引き寄せながら、女はぼやく。
「ったく、ようやく出番が回って来たと思ったら、友軍の尻拭いとかクソすぎますねぇ。使えねえ奴なんて見殺しで良いでしょうに」
背後のパイク兵に剣呑な視線を送る女に、別の部隊のカバーを済ませた仲間の大男が駆け寄る。
「頭ぁ、あっちの部隊のフォローは済みましたぜ。っつうか、いい加減後方で歩兵部隊のおもりとか部下共もうんざりしてますよ。本陣からの命令なんざシカトしてガンガン前出ちまってもいいすかね」
「いいわけねえだろボケ。私らはもう公の軍人なんですよ。いつまでアウトロー気取ってるつもりですか。つべこべ言ってねえでおまえらは友軍の火消しに走り回ってりゃいいんですよ」
「え、でも頭だって今さっき文句言って――」
手下らしき男が言い終わらぬうちに、女の鉄拳が男の鼻面を撃ち抜いた。
「揚げ足取ってんじゃねえぞカスが! もう根無し草じゃねえんだから本音と建て前ぐらい使い分けろっつってんですよ! わあったら文句たれてる間に足ぃ使って味方を助けてきてくださいよ!」
「うっ……すんません」
鼻血を吹いた手下の男が、別の攻められている味方の方陣に向かって走り去ると、女は自分に向かって突進して来た二騎の騎兵をチラとも見ずに斬り飛ばし嘆息した。
「味方は弱ええ部下は使えねえ、とんだ貧乏くじですよ」
カナルは遊撃を任せた女兵士とその部下たちの凄まじい戦闘能力に舌を巻く。
シェジア・キーフェという名の女は、第二十四副王領プルマリアを拠点に活動する傭兵団〝血獣〟の頭目だ。
傭兵団といっても、半ば盗賊のような無法者の集まりで、貴族の邸宅に押し入り金品を強奪し、時には殺しも行っているという。
ただし、強盗の標的は不正や悪事に手を染めながら法で裁くことのできない権力者に限定されており、密かに貧しい村落や孤児院などに寄付をしているという噂もあって、庶民からは義賊との評判を得ていた。
そして彼女らの罪は、民兵軍への参加と引き換えにすべて特赦されている。
盗賊嫌いのミツキは彼女と部下の入団を躊躇したものの、義賊との評価とその実力を買って渋々幕下に加えている。
なにしろ彼女は、トリヴィアによる士官選考試験で、唯一〝上の上〟との評価を得たのだ。
部下も精兵揃いで、即戦力としては申し分なかった。
「軍人としちゃあ正直複雑な気持ちだが、まあ味方としては頼もしいな」
シェジアに対する心境をカナルが吐露した直後、タブレットを見ていたソニファが珍しく声を張り上げた。
「騎馬隊が敵軍中央を突破しましたぁ。これより作戦の第二段階に移行しまぁす」