第二十一節 『開戦』
サルヴァとミツキの演説の後、軍人服務規程の説明と軍団ごとの進路に作戦説明等を経て、軍はジュランバー要塞から進軍を開始した。
民兵軍は一度、第五副王領に入った後、第七、八、二十三副王領へと三つの軍団に分かれて進んだ。
蟲を使ってブリュゴーリュ軍の動きを監視し続けていたサクヤは、要塞を出た敵が軍を四つに分けて進軍を再開したことを掴んでいた。
そして、四つの軍団は、それぞれが被召喚者を擁しているということも、サクヤの魔力視で判明していた。
各軍団の先頭に立って敵軍に斬り込みつつ、敵の被召喚者が現れた際には可能な限り自軍を巻き込まないようこれを撃破するのがミツキたちの役目だ。
ミツキはサルヴァとともに十万の戦闘部隊を率いて第八副王領へ進軍した。
第八副王領は東方副王領の中心部に位置し、ティファニアへ向かうならここを通るのが最短経路となる。
ゆえに敵軍の数もこのルートが最も多く八万近い。
民兵軍は数こそ勝っているが、兵の質はブリュゴーリュ軍の方が圧倒的に勝っているうえ、敵はほぼ全軍が騎兵で構成されている。
民兵軍の騎兵は、四万にも満たない。
「まるで黒い海だな」
遠方に展開したブリュゴーリュ騎兵軍団の威容に、ミツキはぽつりと呟いた。
「ブリュゴーリュという国は鉄器の生産が主産業だ。首都も元々は鉱山都市で、今も城下では製鉄の煙がそこら中に立ち昇っているというから筋金入りだな。国土には鉄鉱山を複数有しているが、最も質が高いとされているのは南部の砂鉱床から採れる砂鉄だ。それを精製して作られる黒鉄器は〝黒い貴金属〟と評され、良質な武器甲冑となると凄まじい高値で取引される。最近では国外への輸出量も減っていたから価格も高騰していて、装備一式で貴族の邸宅並みの値が付けられることさえある」
「へえ……じゃああれ、宝の山じゃん」
「そうだな。しかし、いかんせん重すぎる。装備を剥ぎ取っても、持っては行けまい」
「いや。民兵たちは絶対剥いで持っていこうとするね。ここまでの行軍であいつらの卑しさは身に染みてわかった」
「そうだな。じゃ、戦が終っても、敵の鎧には手を付けるべからずと、触れを出しておくか」
軽口を交わしながら、ミツキとサルヴァは馬上で敵が動くのを待っている。
現在、ミツキたちは、第八副王領の中央平原にある小高い丘に陣を据え、ブリュゴーリュ軍と距離を置いて睨み合っている。
「にしても、数もさることながら、でかいなあれ」
「ああ。敵陣後方に控えてるのに、姿が丸見えだ。あんなのどうするつもりだい?」
「どうって言われてもな……まあ、どうにかするしかないだろ」
ふたりの話題に上がっているのは、敵の軍団が擁する被召喚者だ。
サクヤは蟲に寄生させた兵士たちの目を通して戦場を観察し、二体の被召喚者を視認しているが、前方に控えているのがその一方だった。
ブリュゴーリュ軍は被召喚者をあまり前面に出さないので、他の二体の正体は結局わからずじまいだ。
ただし、遠くに控える個体だけは、サクヤは何度も目にしたという。
実際に目の当たりにしてみれば、その理由は明白だった。
かなりでかいのだ。
少なくとも、二階建ての建物程の体高はありそうだ。
被召喚者の対処を任されているミツキとしては、今から不安しかない。
「一生あそこで動かないでいてくれないかな」
「あのデカブツに限らず、敵さんにはのんびりしていて欲しいところだね」
サクヤの作戦を考慮すれば、こうして時間を稼げるのはミツキたちにとって願ったりだった。
時期的に、彼女も会敵している頃のはずだ。
そして、彼女が作戦を成功させれば、この戦をかなり優位に進めることができるはずなのだ。
とはいえ、そう都合よく、いつまでも待ってはくれないだろう。
などと思っているうちに、敵陣に動きが見られた。
一部の兵士たちが気勢を上げ、指揮官と思しき兵士が前に出て何かを叫んでいるように見える。
そんな動きが、広く展開したブリュゴーリュ軍のあちこちに確認できた。
笛などの合図は聞こえなかったし、狼煙や旗信号なども視認できない。
「サクヤの言った通りだ。やっぱり、兵士たちに指示を出している奴がいる。それも、サクヤの言葉を信じるなら、遠方から複数の兵士に対し、魔法のようなもので指示を送っている」
「蟲のおかげで遠距離通信が可能な私たちとは対等な条件というわけだ。彼女が無事にその元を絶てれば、形勢は一気にこちらが有利となる」
「逆にあいつが殺られたら、蟲の効能は消える。そうしたら、ちょっと勝つのは難しいだろうな」
「それを今更心配したって、もうどうしようもないだろう。それより、キミのそれは、大丈夫そうなのかい?」
そう言って、サルヴァはミツキの馬の両脇に固定された物体に視線を向ける。
それは二メートル強程の、白銀に輝く素材でできた棺のような直方体だった。
ミツキの乗る鳥馬は、その立方体を退化した羽の上から皮革のハーネスで体に固定されており、時折居心地が悪そうに身じろぎしている。
「ああ。せっかくティア様からいただいたんだ。無駄にはしないさ」
そう言っている間にも、ブリュゴーリュ軍は動き始めていた。
先頭の横隊に続いて、全軍が徐々に進み始めている。
遠目にはゆっくりに見えるが、機動力こそブリュゴーリュ騎兵の強みだ。
もたついていたら、あっという間に攻め入られるだろう。
ミツキは喉に手を当て、後方本陣のカナル元大将軍に通信を試みる。
『来たぞ爺さん。手筈通り後方の歩兵の指揮は任せたからな。つうか、久々の実戦なんだろ? 大丈夫だろうな?』
『誰にものを言ってるんだっつうの。おいらはお前さんらが生まれる前から軍を仕切ってきたんだぜ? 兵隊動かすのぁ目ぇつぶってたってできんだよ。それよりお前さんこそ騎馬戦は初めてなんだろうが。ヘタこいて落馬すんじゃねえぞ!』
「……元気なジジイだ」
喉から手を放しながら、ミツキは苦笑した。
そして、サルヴァに視線を送り頷く。
頷き返したサルヴァは、後方に控えた騎兵たちに振り返ると、剣を掲げて叫んだ。
「作戦通りこれより騎兵部隊による四列縦隊突撃を敢行する! まずはミツキが敵陣に風穴を開けるので私の後から離れぬように続け! 良いか!? この初手が成るか否かで戦の帰趨は大きく左右される! 国のために命を捧げよとは言わん! この作戦を成功させれば突撃金は思いのままと知れ!」
私兵たちは野卑な表情で舌なめずりしている。
なかなか頼もしいじゃないかとミツキは思う。
とはいえ、傭兵も冒険者も、所詮は金で動く雇われ者だ。
自分がしくじれば、一目散に逃げ出すかもしれない。
ゆえに、斬り込み役の自分に失敗は許されない。
馬の横腹を蹴り、騎兵たちの前に進み出たミツキは背後を振り返る。
騎兵たちひとりひとりの顔を左から右へと眺めた後、剣、は帯びていないので、拳を突き上げて叫んだ。
「突撃!」
兵士たちの雄叫びを背に受けながら、ミツキを乗せた馬は駆け出した。
緩い下り坂ということもあって、ぐんぐん加速していく。
そして、みるみるうちのブリュゴーリュ軍との間合いも縮まっていく。
前方一面を埋め尽くす敵騎兵の迫力に、ミツキは恐怖心を誤魔化そうと口元に笑みを浮かべる。
そして、落ち着けと自分に言い聞かせる。
この感覚は、既に経験済みだろう。
ブシュロネア軍の迎撃に際し、上官を殺され激高した兵士たちが突進して来た時と似ている。
あの時は、気を失うまで無我夢中で攻撃しまくったが、今ならより冷静な対処が可能なはずだ。
前方の重騎兵の間に見える軽騎兵が、弓を引き絞るのを視認する。
ミツキは三角帽を押さえながら後方を窺う。
騎兵たちはサルヴァを先頭にしっかりと縦隊で付いて来ている。
しっかりと指示を守っている騎兵たちに感謝しつつ、ミツキは喉に手を当てる。
『弓騎兵による支援斉射が来るぞ! いいか? 死にたくなけりゃびびって隊列を乱すなよ!』
蟲の通信で檄を飛ばしてから体勢を戻すと、ほぼ同時に敵軽騎兵が一斉に矢を放った。
かなりの距離があるはずだが、こちらに届く前に落ちる気配はない。
おそらく矢羽根にでも、何らかの魔法が付与されているのだろう。
「予想通りだよ」
魔法で飛距離を延ばそうが、当たらなければ意味などない。
そして、自分にとってはこれも二度目だ。
念動を使い、飛来する矢の軌道を曲げる。
上空を埋め尽くした矢が、まるで意思をもってミツキを避けたかのように軌道を変え、空しく地面に突き刺さった。
ミツキの進路だけを避けて地面に生えた矢は、まるで道を作っているように敵からは見えただろう。
兜の中で驚愕に歪む敵兵の顔を想像し、ミツキはほくそ笑む。
「驚くのはまだ早い!」
その叫びと同時に、ミツキの馬に固定された立方体の蓋が開き、そこから無数の青い煌めきが放たれた。