序
序
廃墟と化して久しいカルティア旧都の迷宮図書館、地下二百十七階の広大な書庫の片隅に、打ち捨てるように置かれていたその古書は、地方に伝わる神話や伝承を蒐集した説話集だった。
迷いなく頁を繰っていた手が唐突に止まり、その人物が視線を落としたのは、いわゆる招神信仰と終末論が綯い交ぜとなったような、予言とも寓話ともつかぬ内容の奇妙な詩であった。
民が生の歓び忘れ
虚無が世を覆う時
異界より箱舟を繰り訪れしは
人に似た人ならざる混沌の化身
其は糧を生み人の欲するを与える者
其は鉄を打ち屍積み累る者
命に満ち死に溢れ やがて総ては毀れ墜ちよう
されど人の世は終わらず
齎されし積み荷が進むべき先を標すだろう
混沌を得て人は新たな人へと成るだろう
記されているのは、異界からもたらされる豊穣と終末による救済。
どちらの概念も神話の形態としては、さして珍しいものではない。
まして、精霊信仰が隆盛を極めるこの時代のこの世界では、もはや現存するかもわからぬ名もなき宗教の残骸など、誰も気に掛けたりはしない。
にもかかわらず、その人物は血走った目で食い入るように書物を見つめ、たった数行の詩を幾度となく読み返した。
どれ程の時間が過ぎただろうか。
その人物は、おもむろに詩の記された頁のみを破り取ると、書を捨て広大な迷宮の闇へと姿を消した。
当人を除けば、誰ひとりとして知ることのないその出来事は、しかし、後の世に戦乱と大禍を巻き起こす歴史の転換点であった。
そして、物語はその千百五十三年後、遠く離れた大国の片隅、汚物臭とともに人々の怨嗟が淀む監獄の暗がりにて幕を開ける。