11 月のはざかい②
翌々日早朝。
るりは、結木と共に『おもとの泉』へ向かった。
あの日。
目覚めてしばらく経った後、今日は胃に優しい食事の方がいいでしょうからと野崎夫人が用意してくれた夕食を、結木と一緒にとった。
柔らかめに炊いた白がゆに白身魚の煮つけ、だし巻き玉子に青菜と薄揚げの煮浸し、金時豆などが少しずつ。疲れた身体にもすんなり入ってくれる優しい献立で、ありがたかった。
「野崎さんは昔から、お客さんを歓待することが多いおうちです。掃除やらなんやらは通いのお手伝いさんにある程度任せてはったみたいですけど、台所は代々、奥方の城みたいですね。和代さんは元々、お料理好きで上手なところを見込まれてお嫁さんにと迎えられたそうですけど、お姑さんに厳しくしつけられたと、いつか言うてはりましたよ」
小鉢の煮浸しを二口くらいで平らげ、結木は言った。
「昔のことやし、色々ご苦労なさったでしょうね、あの方も。旧家のヨメってのは気が張るでしょうから」
しかもあの旦那さんか、とるりは密かに思う。
悪い人ではない。
そう、悪い人ではない、それはわかる。
でも悪い人でない分、妻を絶望させやすい人のような気もする。
あの人はきっと、妻をいたわったり優しく気遣ったりするような男性ではない。
野崎夫妻は仲睦まじいご夫婦に見えるし、実際仲は悪くなかろう。が、ここに至るまでの道のりが平坦だったとは、正直思えない。
別に旧家の嫁だからというだけでなく、人が人と共に生きるというのは一筋縄ではいかないのだと、るりは不意に思う。
たとえ……好きな人と生きるのであったとしても。
夢の中でるりに背を向けた、すべてを拒むような結木の白い背中を思い出す。
あれは夢だと知っている今でも、思い出すと胸がひゅっと冷たくなる。
現実の彼が、絶対ああして背を向けない、とは言えない。
思いにくいが、自分がああして彼に背を向ける日が、絶対来ないとも限らない。
生も死も孤独だと淡々と言い切った、ツクヨミノミコトの冷ややかな声を思い出す。
それでも人は、人と生きたいと願う。願ってしまう。
粥をゆっくり食べながらるりは思った。
胃がじんわりと熱い。
宵になり、再び離れのダイニングに木霊たちが集った。
「ツナギが取れたんですね、草仁さん」
大楠が、ふわりと笑みを浮かべて言った。
「ええ。最終段階に、ちょっと強引でもかの方へ御剣さんをお願いする道筋は、なんとか確保できました」
ヒュー、とナンフウが口笛を吹く。
「やるな」
「さすがです、草仁さん」
遥がにこにこしながら寿ぐ。結木は苦笑した。
「そうなんですけど。まずはお前がきちんと相手を説得せえ、そう言われました。御剣さんに、自分がすでに神鏡の巫女姫にとって害悪になってること、真っ当に剣としての職務を果たせん存在になってるんやっちゅうことを、ある程度はきちんと納得させろと。まあ、あの方ならそうおっしゃるやろうなぁ、ちゅう内容ですね」
ふええ、とナンフウは変な声を出した。
「拳で強引に寝かせる、はナシか。結局、お前が最初に言うてた通りにオハナシしやなアカンのんか?メンドくさいのう」
「まあ、最終的には『拳で強引に寝かせる』ことになるかもしれんけど。御剣さんにも御剣さんなりに、言いたいことやら思いやらがあるやろうから、それだけは聞いてやれってことやないかな?それもナシで強引にどついて寝かすだけやったら、お互い寝覚めが悪いやん」
そういうもんかね、とナンフウは、あまり納得してない風に言う。
「あんだけのことしてきてるんやから、強引に寝かされてもしゃーないと思うけどな。まあ、それでパキッと割り切れるようなヤツなら、ヤンデレのストーカーになんかなってへんか。オレがオハナシする訳やないねんから、別にかめへんけどな」
「ああ。そっちは木霊のみんなの仕事やない。木霊のみんなには御剣さんの眷属を頼む。近いうち……ここ一両日には決着つけたいと思ってる」
瞬間、木霊たちに緊張がみなぎった。
「神崎さんが、その方がエエって言いはる。話聞いてみて、そうやろうとも思った……神崎さん」
結木は静かにるりへ視線を向けた。
「説明してもらえますか?」
るりはうなずき、まず白湯を一口飲んで気持ちを落ち着けた。
「今朝、実は私も『生と死の狭間』へ向かいました。そして小波の方がオモトノミコトと呼んでいらっしゃる方と、ほぼ同じ存在と思われる方とお会いしました」
こちらを見つめる木霊たちの視線が痛い。彼らにとってあまりに予想外で、絶句するしかないようだ。
「ツクヨミノミコト、と、私の血筋の者はお呼びしています。私の家族に起こったことをはじめ、私が拒んできた記憶のあれこれを取り戻したんです」
声にならないざわめきが広がる。
「だから……眼鏡が必要でなくなったのですか?」
かすれた声での大楠の問いに、るりはうなずく。
「こちらへ来て、木霊の皆さんがしきりに『目を閉ざしている』とおっしゃっていたのが、だんだん自分でもわかってきたんです。御剣と向き合うのには、目を閉ざしていてはいけないのだということも。私はアチラへ行き、ツクヨミノミコトにお導きいただきながら、思い切って目を開けました。すると、本当にありとあらゆることが見えてきたんです」
「ちょ、ねーさん」
ナンフウがうろたえたように声をかけてきた。
「あっさりとんでもないこと言うてへんか?アチラへ行った?アチラにいてはるカミサマに会うてきた?マジか?」
神事もせんと?と問う彼へ、るりは笑む。
「ええ……マジです。月の氏族は、その気になれば比較的簡単にアチラへ行けるようなんです」
「月夜見命は夜の世界、つまり隠り世をしろしめす神。夢、本音、死を司る……巫女姫」
大楠は居住まいを正す。
「貴女さまは名実ともに神鏡、夢のツカサでいらっしゃる……そういういことですね」
るりは大楠へうなずいた。
「ええ。今なら御剣と話せるでしょう。……月の、はざかいの中で」




