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1 樹木医・結木⑤

 朝礼の後、取りあえずるりは、昨日から予定していた場所へと向かう。

 その方が近道なので、中央広場を突っ切ってゆくことにし……シンボルツリーの松の根元で、倒れるように仰向けになっている結木を見つけた。

 急病かなにかで倒れたのかと、るりは青ざめた。救急車を呼ぼうとポケットからスマートフォンを取り出しながら、急いで近付く。

 しかし、どうも様子が変だ。

 何か病的な理由で意識を失っているというよりも……単に眠っている、ようにしか見えない。

 彼は作業着姿で、貴重品を入れているらしいウエストポーチを枕に、長々と手足を伸ばして実に気持ちよさそうな寝息を立て、眠っている。

 子供のようなというか、獣のようなというか。

 見ているこちらが訳もなく恥ずかしくなる、あきれるほど無邪気で無防備な寝顔だった。

 しばらくるりは絶句して立ち尽くしていた。しかし、ずっとこうしている訳にはいかない。

「結木さん?」

 ややためらいながらも、るりは結木へ声をかけた。結木はすやすやと眠ったままだ。

「あの、結木さん。結木さん」

 彼のそばに膝をつき、声をかけながら肩をゆさぶる。ようやく彼のまぶたがふるえ、目が開いた。

「あれ?神崎さん?神崎さんですよね?」

 なんでここに、などと、もぞもぞ言いながら彼は半身を起こす。

「一体、どうなさったんですか?」

 るりは訊く。

 いや、彼がここでうたた寝していたのはわかっている。が、どうして朝早くにこの公園へ来て、わざわざこの木の下でうたた寝をしなくてはならないのかが、まったくわからない。

 しばらく辺りを見回した後、結木ははっとしたように慌ててポーチを探る。スマートフォンを取り出すと、

「あちゃ」

 と、小さくつぶやいた。居住まいを正し、

「すみません、やらかしました」

 と、肩をすぼめる。

「はい?」

「あー、その。言い訳なんですけど」

 こころなしか、彼の顔は赤い。

「実は昨日の夜、どういう訳か寝付けんで……」

 『寝付けんで』という結木の一言に、るりはぎくりとした。

 結木は赤面したまま、目を伏せ気味にして言う。

「多分、疲れ過ぎてた上に慣れん場所で、ヘンな風に神経が高ぶってしもたんでしょう。うとうとっとしたらナンや訳のわからんイヤな夢を見ては起こされましてね……」

 ため息まじりに彼は苦笑いする。

「結局、明け方近くまでそんな調子でして。もし下手に今から眠り込んでしもたら、完全に遅刻しそうやなあと思いまして。夜明け前に支度して、こちらへは五時前に着きました。当たり前ですけど事務所は開いてませんから、車の中で時間つぶそうと思ってたんですけど、空気も清々しいし軽く散歩でもしよかとぶらぶらとここまで来たら、ナンか急にしんどくなってきたんです。ちょっと休むつもりで横になって、一応歯止めとしてスマホにアラーム仕掛けて横になって……後の記憶はないですね。どうやら、アラームもものともせんと爆睡してしもたようです。ホンマにすみません、お詫びします」

 正座をして深々と彼は頭を下げる。

「あ、いえ……」

 るりはぼんやりと返事する。頭を上げた結木は、ふと眉をひそめた。

「神崎さん?どうかされましたか?その……お顔の色が真っ青ですよ」

 るりは我に返った。

「あ、いえ。なんでもありません」

(まさか、ね)

 アレが動いたのかとぎょっとしたが、だったらたとえ短時間でも、健やかな『爆睡』はありえない。

 アレは決して、そんな中途半端なことはしない。

 やるなら徹底的にやる。狙った相手が確実に、死ぬか狂うか、するまで。

(そうだよ、ありえない。それに、どうして結木さんが狙われなくちゃならないのよ。きっとたまたま、寝付けなかっただけ)

 本人の言うように『疲れ過ぎた上に慣れない場所で、ヘンに神経が高ぶったせい』だったのだろう。そういうこともよくあるではないか。

「私より、結木さんこそ大丈夫ですか?あんまり寝てらっしゃらないのでしょう?」

 話を変える。結木は面映ゆそうに目を伏せた。

「ボクは大丈夫です、ここで三時間ばかり、それこそアラームもガン無視で爆睡しましたから。お陰ですっきりしました」

 朝礼すっぽかしてしまいましたけど、と、結木は苦笑いしつつ立ち上がり、身体についた砂ぼこりを払った。るりもつられて立ち上がる。

 結木はふと姿勢を正し、軽く松を見上げた。

「お世話になりました」

 小さくつぶやき、松へ目礼する。

 不思議といえば不思議な仕草だったが、彼がするとごく自然で、あまり違和感はなかった。

 おそらくこの人の中では、これが当たり前の礼儀なのだろう。

(不思議な人)

 昨日、松へ挨拶していたことといい、樹木へ礼儀を尽くすなど想定しないのが普通だ。

 が……嫌だったり奇異だったりという感情は、るりにはなかった。

 物言わぬ樹木へ礼儀を尽くせる人は、生きているモノすべてへ礼儀を尽くせる、そんな気がした。逆に、彼の方が生き物として真っ当ではないかと思う。

 それから彼はるりへ向け、はにかんだようにふわりとほほ笑んだ。松へ礼儀を尽くすのと、ほとんど変わらないたたずまいだ。

「ご迷惑をおかけしました、申し訳なかったです。そろそろ仕事にかかりましょうか?」


 きびすを返す彼から、何故かふわっと香りがした。

 太陽の光と熱を存分に吸い込んだ、洗い立ての木綿のシーツ……を、連想するような香りだった。

 ずっとかいでいたくなるような……かいでいると、眠くなるような。

 そんな香りだった。

 

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