8 作戦会議②
「『その本性明き者、明き方へと生命を伸ばす者』であれかし、ですか。……哀しいですね。ご両親の願いを、お兄さんはもう一回考え直して欲しいですね」
ちゃぶ台の前に座り、るりが書いた走り書きに目を当てながら、結木はため息まじりに言った。
るりは目を伏せ、黙ってお茶を飲む。視界の端に、慌てて畳んだ寝具が見えて恥ずかしくなる。
目が覚め切る前にるりは、声をかけてくれた人に紙と書くものを用意してもらい、必死になって夢で聞いた言葉を書き留めた。
忘れてはならない大事な言葉だということだけはわかっていた。
遠い日に両親に聞かされた言葉だということも、ぼんやり覚えている。
明確な記憶はないが、自分の名の由来と同じような感じで両親から教わったのだろうと思う。
しかし書き留め、ほっとしたところで状況に気付き、慌てた。
グレーのスウェットという部屋着姿の結木が、心配そうな不可解そうな顔をして、少し離れたところにちんまり座ってこちらを見ていた。
自分は自分で、いつの間にかダイニングにのべられた布団の中で眠りこけていたらしい。
何故ダイニングに寝具が用意されていて、何故そこで眠っていたのか、るりには一切がわからず困惑した。
「あ、あの」
るりが何か言う前に
「木霊たちが気遣ってくれたんですよ」
と、結木はふわりと笑んだ。
「離れ中にフィトンチッドの名残りがありますし、神崎さんからは大楠先生のフィトンチッドが濃く感じられます。我々、特に神崎さんが深く疲れてはるのを木霊たちが察して、癒そうとしてくれたんでしょう」
「あの、でも」
今までくるまっていた掛け布団に目を落とするりへ、少し複雑そうに結木は顔をしかめ、
「それも木霊たちでしょう。野崎の敷地内では、我々の目にははっきり見えんのにもかかわらず、人として暮らしていた時のようなことが彼らには出来るみたいなんです。誰かが布団を敷いて、神崎さんを寝かせたのでしょうね。風邪ひいたらアカンとでも思たんでしょうが……無神経ですみません。悪気はないので勘弁してやって下さい」
と言って頭を下げた。
そう言われれば、るりとしても何も言えなかった。
いつの間にか午後も遅くなっていた。おやつの時間に近い。
さすがにおなかが減った。
野崎夫人はどうやら、結木もるりもぐっすり眠っていたので、お昼ご飯用に炊いたご飯はおにぎりにしてちゃぶ台の上に、おかずはタッパーに詰め、離れのキッチンにある小さな冷蔵庫へ入れておいてくれたらしい。
ちゃぶ台に乗った皿には海苔を巻いた小さめの俵型おにぎりが、ラップをかけられてある。ラップを外し、結木はおにぎりへ手を伸ばす。
「寝ている間ァにメシが現れる。外国の昔話に出てくる、靴職人の小人の話みたいですよね。有り難いですけど、こういう状況に慣れると際限なくわがままで怠け者になりそうで、怖いですねえ」
言いつつも、彼はもぐもぐとおにぎりを食べる。非常にペースが速い。このまま全部食べられそうな危機感がわいてきて、思わずるりも手を伸ばした。
塩気の程よくきいたおにぎりは、子供の頃に食べた遠足のお弁当の味がした。
変な時間にお昼ご飯を食べてしまったし、おかずも残っている。夕方に様子を見に来た夫人は、それでは軽くうどんでもご用意しますと、だしの利いた関西風のきつねうどんを持って来てくれた。
日が落ち切る前にうどんとタッパーのおかずで夕飯を済ませ、それぞれ入浴も済ませ、離れのダイニングで木霊たちを待つ。
宵闇にしずむ庭を見ながら、るりと結木は他愛のない話をする。
「不思議ですね」
ふと結木が言う。
「人の縁て。一週間どころか四、五日前まで、お互いのこと顔も存在も知らんかったのに。こんな風にしゃべったり、一緒にメシ食ったりして違和感なく居れるって」
少し照れ臭そうに、結木は目を伏せる。
「御剣さんに目ェ付けられたんは難儀ですし、命は惜しいですからこの状況は参りますけど。それはそれとして、神崎さんとお会いできて良かったと思っています」
少し迷った後、思い切ったように彼は続けた。
「あの夢の女の子が実在してて、会えるとは思っていませんでした。あくまでも夢やと認識してましたけど、あの子が寂しそうなんがずっと気になってました。何て言いますか、頭の片隅とか胸の端っことかで。自分が無力で何も出来んのが悔しくて、最終的にめちゃくちゃ哀しくなる夢でした」
ゆっくりと彼は目を上げ、るりを見た。るりはただ黙って、真っ直ぐ向けられる彼の目を見返した。
「でも実在してはるんやったら。手の下しようといいますか、対処のしようといいますか、そういうのんが見えてきます。こんな遠いところまで来ていただいたんです、少なくとも神崎さんは、御剣さんと健全な関係を結び直して今後の人生を憂いなく進んで下さい」
「……やめて下さい」
結木の言葉の裏にある覚悟めいたものに、るりは怖くなる。
「結木さんを犠牲にするつもりなんかありません。そんなことを言わないで下さい」
結木は再び、ふわりと笑んだ。
「もちろん、しぶとくいじましく粘りますよ。前にも言うた通り、ボクは昔、一回死にかけてこの世へ舞い戻ってきたんです。言うたら、死にぞこないってやつです。命冥加のある男ですから簡単にはくたばりませんよ」




