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1 樹木医・結木③

 翌日から結木は、持参してきた作業着を着て精力的に動き始めた。

 大学の実習などで着ている作業着らしく、左胸に大学名のロゴが入ったつなぎタイプの作業着だ。……あまり似合っていない。スーツに比べるとイケメン度が下がるなと、るりは密かに思う。

 しかし彼自身はあまりそのことを気にする様子はなかった。というよりも、どんな服装が自分に似合うとかそういう面に無頓着なのだろう。おじさんみたいにタオルを首に巻いたりして、飄々としている。

 出勤してすぐ、るりは所長の大野に呼ばれた。

「神崎さん、今日から明日の予定で結木先生の補佐をお願いしますよ」

 そうなるだろうことは予想していたので、るりは静かに諾った。

 結木はふと顔をしかめた。

「あ、いえ、所長さん。先生、は勘弁していただけませんか?今のところボクは、教授のしがない鞄持ちに過ぎませんし」

「そうですか?でも、大学の方で講師をされているのでしょう?」

 不思議そうに首をひねる大野へ、結木は苦笑いで答える。

「確かに一応、講師は務めさせてもらってますけど。専門分野外の講座を、恵杏(ウチ)と地元の私大で1コマずつだけですし。専門ではまだまだヒヨコですから」

 相変わらず不可解そうな顔だったが、では結木さんとお呼びしましょう、と大野は言った。

「じゃあ神崎さん。この公園のことを一番知ってるのはあなただろうから、しっかり結木さんをサポートして下さいね」

 大野は言い、意味ありげにかすかに笑った。

 父親ほどの年齢の彼は、二年ほど前にこちらの所長として赴任してきた。

 来た時から、神崎さん早く彼氏作りなさいよと、聞きようによればセクハラになりそうなことをちょいちょい言う人だ。

 ほぼ純粋に親心で言っていることはわかっているので、るりも今まで笑顔で受け流してきた。

(いい機会だから、ここで結木さんと仲良くなって付き合え、そういうつもりなのね)

 大野としては気を利かせたつもりなのだろう、実に余計なお世話だが。おじさんの、憎めないけど鬱陶しいお節介、というところか。

「改めてよろしくお願いします、神崎さん」

 結木は昨日と同じように、ふわりと笑んで頭を下げた。


 結木は、自分が乗ってきた軽自動車の後ろから折りたたみの台車を出し、当面使いそうな薬剤や道具類をそこに乗せた。ガラガラとそれを押しつつ、大松のある中央広場へ二人は向かう。

「昨日、目視で確認した限りでは……」

 結木はのんびりとした(彼としては普通にしゃべっているのだろうが、どうしても間延びして聞こえる)口調で言う。

「あの松の木さんに特に問題はなさそうですねえ。樹液の分泌状態も普通みたいですし」

「ええ。でもあの、正面入り口の立ち枯れてる松も、二、三週間前までは特に問題ないようにしか見えなかったんですよ。こんな時期に症状が出るのも妙ですし」

 松枯れは普通、夏から秋にかけて起こる。

「ああ、でも」

 結木は言った。

「そういう例もなくはないんです。秋を過ぎて、冬中発生せんと潜伏してて、春から初夏にかけて出てくることが」

 するとあの松はもう一年近く、身の内に病を抱えていたのだろうか?

「まあ、ニンゲンも木ィも、病がいつどう出てくるのかは本人次第というか個体次第というか、そういう部分はありますしね」

 何気なく言った彼の言葉が、奇妙にるりの耳に残った。


 中央広場に着く。

 台車を止め、結木は松へ近付く。

 幹を眺め、触れ、枝や葉の様子を丹念に確認している。

 不意に結木は姿勢を正した。

 彼自身が一本の木のようにすっと立つ。天地を結ぶ柱、という印象だ。思わず息を呑む。

 その瞬間結木の足元から、白いくらいに青い火が、めらり、と立ち上った。

(え?)

 るりは急いで眼鏡をはずす。

 輪郭のゆるんだソフトフォーカスの世界で、青白い炎が結木の足元で勢いよく燃え立つのがはっきり見えた。

(幻視、だ)

 それもここしばらくで珍しい、はっきりとした幻視。

 急に恐ろしくなり、るりは眼鏡をかけ直す。

 二十歳を超えた辺りから、眼鏡をかけ直せば幻視が消えるようになった。視界が通常に戻れば、幻視は現実から押し流されるらしい。幻視かどうか確認したい場合、眼鏡を着脱するようになって久しい。

 しかし幻視は消えなかった。

 視界にかっきりした線が戻ったにもかかわらず、幻の炎は燃え続けている。

「お初にお目にかかります。と言いましても、昨日ちょっとだけお会いしましたね」

 静かな声は結木の声……だ。

 と、ほほ笑むような柔らかな気配が、ふわりと辺りに満ちた。そして、声のような声でないような、そんなナニカが静かに語り始めた。

【こちらこそよろしくお願いします、オナミのクサのツカサ。この辺りの楠たちが騒いでいました。ヨシアキの(くす)(あるじ)と仰ぐお方がいらっしゃった、と】

 結木は決まり悪そうに眉を下げる。

「ヨシアキの楠の主、ですか。その肩書は重いですね、ボク個人はただの青二才に過ぎませんし。まあ、これでも一応樹木医の心得はあります、修行中ですが。この公園の皆さんの健康状態を調べさせていただいて、場合によったらしかるべき処置をさせていただくことになります。ご了承いただきたいのですが」

 再びほほ笑むような気配が満ちる。

【私が了承するようなことではありませんが、どうぞご存分に】

「……結木さん!」

 るりは思わず、叫ぶように結木の名を呼んだ。

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