5 草原の夢の続き②
るりの意識がふと、暗黒の中から起き上がった。
水の中から顔を出し、息を継いだような気分だ。
辺りは薄暗い。そして独特の静謐な空気。
ここは……。
(美術館?それともギャラリー?)
そういう場所に来ている、という夢なのだと、薄々わかっている。
中高生の頃、地元の美術館から小さなギャラリーまで、るりは可能な限り色々見に行っていた。
将来、父のように自宅で出来る仕事をしたいと考えていて、当時かなり本気でイラストレーターを目指して勉強していた。
描くだけじゃなく積極的に『観る』為にも動いていた。
今思えば、この頃はまだ将来に夢を持っていた。
(でもここは……)
一体どこだろう?
確かに見覚えがある雰囲気なのに、何処なのかよくわからない。
そもそも展示されている内容も無茶苦茶だ。
スーパーリアリズムの隣に印象派の絵画が展示されているかと思うと、有名な絵本作家の原画の隣に芸術大学の学生たちのグループ作品があったり。
また、るりにはあまり美しいとは思えない前衛的な作品の隣に、有名な日本画が展示されていたりもする。
それでもるりは、ゆっくりと展示を見て歩く。
こうして作品を見て歩いていた頃の気分は懐かしくもあり、物悲しくもあった。
才能の限界を思い知らされて打ちひしがれたり、そもそも自分は夢など追う資格がないと思いながらもこの道をあきらめきれなかった、あの頃を思い出すから。
順路の表示に従って、いくつか角を曲がる。
そして意外な場所へ出た。
展示されているのは書の作品だった。
そういえば一度、催し物の時期を間違えて書の作品の展示会に来てしまったことがあった。
帰ろうかと一度きびすを返しかけたが、こんな機会もないかと入場料を払って鑑賞する気になった。
半分以上、気まぐれだった。
しかし残念ながら、あまり面白いとは思えなかった。
絵でなく字だと思うと、何が書いてあるのだろうとつい思ってしまう。白の中で躍動する墨の濃淡を鑑賞すればいいのだろうが、それだけでは片手落ちな気がどうしてもしてしまう。
しかし何が書かれているか読み取ろうと思っても、達筆過ぎてほぼ読めない。横に小さく、書かれている字や読み下し文(漢文や漢詩も多いので)などが印刷されたものが貼られているが、いちいち読んでゆくのも疲れる。
るりはため息をつく気分で、ほとんど惰性で順路を進んだ。
そして……その作品に出会った。
出会ったと表現したくなる、るりにとって鮮烈な作品だった。
大きさとしてはちょうど掛け軸の半分くらいだから、展示作品の中では小さい方だった。
『生きよ』
真白な紙に深い黒でただ、その3文字が書かれている、だけ。
あまり崩していない字体で書かれた、素っ気ないくらいの作品だった。
だがるりはその作品の前で動けなくなった。
(生きよ……)
気付くと泣いていた。
あの作品を実際に見た時は、泣きそうになっただけで泣きはしなかった筈だが、夢の中のるりは声を上げて泣いていた。
(生きよ。生きよ……)
生きていてもいいのですか?私は生きていても。
生きているだけで厄災になり得る、こんな私でも。
「心外ですね。おちょくってなどいませんとも、我が君・結木草仁さま」
不意に低くて響きのいい声がして、るりは涙を呑む。
「草木の草に仁徳の仁。儚い草にも仁の心で接する、この方に相応しい呼び名でいらっしゃいましょう?」
(結木、草、仁……)
るりは慌てて作品の下に展示されている、作品名と作者名を確認する。
『生きよ』 結木草仁
「ゆうき、そう、じん……」
つぶやいた瞬間、爽やかな風が吹き抜けた。
るりは思わずきつく目を閉じた。




