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4 クサのツカサ⑦

「……スミマセン、びっくりしはったでしょう?ちょっと……うろたえてしもて」

 ややあって、呼吸を調えながら結木は謝った。

「私からもお詫びします、巫女姫」

 大楠の静かな声に、るりは改めて楠の木霊を見上げた。

「実は小波(おなみ)というのは少し変わった土地でしてね。つい最近まで、産土神であるオモトノミコトの霊力(ちから)を濃く引き継いだ泉があったのです。その泉の霊力でヒトとしての姿を持ち、ヒトと暮らせる木霊がいたのですよ。私もその一人でした」

 大楠はかなりとんでもないことを、普通の出来事のようにさらりと言った。

「ですが我々も想定していなかったことに、泉にも寿命があったのです。泉は天寿をまっとうし……泉の霊力でヒトとして暮らしていた我々も、ヒトとしてのうつつの身体を失いました」

 大楠はふと、寂しそうに目許だけで笑んだ。

「オモトノミコトの霊力でヒトの姿を持った木霊は、普通以上に個体の個性を色濃く持った、少し変わった木霊になります。所謂霊力が強くもなります。ですが当然、うつつに己の姿を顕現させられる程ではありません。結果としてヒトとしての姿を消すしかありませんでした」

「死ぬ訳ではないと頭でわかってても、今までのように彼らと付き合えんと知ってボクは落ち込みました。それこそ人生最大級に」

 結木は少し恥ずかしそうにそう言った。大楠が後を引き取るように続ける。

「今まで共に暮らしてきた、人間の知り合いの皆さんに寂しい思いをさせてしまうのは心苦しかったのですけど、こればかりはどうにもなりません」

「そう、どうにもならん事でした。わかってても当時、悔しかったり哀しかったりしました、並大抵やなく。今のところ、後にも先にも本気で死にたいと(おも)たんはあの時期だけですし」

 ふっと結木は儚く笑んだ。

 るりの心臓が何故か、ぎくりと不穏な音を立てて収縮した。

 夕方、彼がアレに殺されかけた夢の中に出てきた、髪の長い若い女性。

 きっとこの話と関連がある。

 『彼女を救えなかった』悔いは、この話の辛い部分の、少なくとも半分以上を占めている、筈……。

 思うと更に心臓が絞めつけられる。

 彼に、『死にたい』とまで思わせたあの女性への、言い知れないもやもやがるりの中でわだかまった。

「そこんところを、あのお方……祟り神になってる月の御剣さんに穿(ほじ)られましてね。メチャクチャ、ちょっと最近にないくらいムカつきました。エラいご丁寧に念入りに、喧嘩売ってきやはった訳なんですよ」

 さっきとは違う感じで、結木はかすかに笑んだ。一瞬、すさまじい勢いで幻の青い炎が燃え上がり、すぐ消えた。

「ほんなら()うて差し上げようと、まあそう思いました。本気の喧嘩なんですから、出来ることは何でもしようと。ほぼ無理と聞いて一瞬へこみましたけど、絶対無理やないのなら最後まであがきます。どうせ殺されるんでも、ギリギリまで抵抗しよかと(おも)てます。……大楠先生をはじめ、小波の木霊の皆さんにも、ご迷惑は承知の上でサポート願いたいのですが」

「当然、(いな)はあり得ません。あなたは我々の主でいらっしゃいます」

「や、そないなこと言いはるのんは、大楠先生だけですから」

 お約束らしいやり取りをした後、彼は静かに立ち上がった。

「神崎さん」

 彼は少し腰をかがめ、

「立てますか?」

 と聞いてきた。

「もしあれでしたら、この近くの道まで車、持ってきますから。大楠先生がいてはりますから、よほどのことでない限り大丈夫ですんで、今から急いで駐車場まで、車、取りに行って……」

「あ?ああ、いえ、大丈夫です」

 少しよろめいたが、るりは立ち上がった。心配そうにしながらも、結木は、るりの眼鏡を差し出した。拾ってくれていたらしい。愛用の大きめの黒ぶち眼鏡を、るりは礼を言って受け取り、早速かけた。

 視界がクリアになった途端、恥ずかしくてたまらなくなった。心配そうにこちらを見ている、結木の視線が痛い。

 結木はさっき、醜態をさらしたと謝ってくれたが、醜態はるりの方だ。一瞬とはいえ身内でも何でもない男性の胸にもたれかかったのを思い出し、いたたまれなくなった。

「御剣さんは今、離れてはる訳ですよね?」

 大楠へ問う結木の口調はこんな時でものんびりしていて、るりはうっすら腹が立った。

「ええ。絶対とは言えませんが」

「今日はこちらの大松さんの根方で、やすませてもらうつもりにしてましたけど……」

「ああ、そうなさって下さい。大丈夫とは思いますが、可能な限り安全策を取られた方がいいでしょう。本当は今日中が望ましいのですけど、そうもいかないでしょう。だけど明日には必ず小波へお帰り下さい。場所を移動したくらいで月の御剣の呪いから逃げられませんが、小波はあなたのテリトリーですし、我々も動きやすいですから」

「元々その予定でしたし、明日には帰りますよ」

 事務的?な話をさくさくとすすめていた二人(いや、一人と一体、もしくは一人と一本か?)だが、ふと大楠がこちらを向いた。

「『神鏡』の巫女姫。その時に、貴女も小波へ来ていただけますか?」

 るりが答えるより早く

「いやあ、それは無茶でしょ。神崎さんはこちらの公園の、実質、現場の責任者なんですよ?」

 と、結木が答えた。大楠は渋い顔をする。

「命が関わっているのです。命より大事な仕事なんて、この世にそうあるものじゃありませんよ」

 あの、とるりは声を押し出した。

「お、お約束は出来ませんけど。出来るだけ早くそちらへ伺います」

 大楠がほっとしたように表情をゆるめた後、真顔になった。

「よろしくお願いします。我らの主・結木草仁を、何卒お守り下さいませ」

 戸惑って絶句するるりの肩を、とんとん、と結木は軽く叩いた。

「さあ。どエラい(おそ)なってしまいましたけど、メシ、食いに行きましょう」

 は?とるりは、キョトンと彼の顔を見上げた。メシ、などという日常的な単語が、異次元語のような気がしてならなかった。

 800歳の楠を従えている(らしい)、とんでもなく浮世離れたクサのツカサは、しかしちょっと情けない顔でこう言った。

「正直()うて、腹減ってたまりません。御剣さんに呪殺される前に飢え死にしそうなくらいです。神崎さんもそうでしょう?」

「あ、いえ……」

 否定しかけた瞬間、おなかが小さく鳴った。小さいが、その場にいる者には聞こえる音だった。

 結木は笑う。

「ほらやっぱり。まずは腹ごしらえしましょう。ニンゲン、腹減らしてたら碌なことないですから」


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