4 クサのツカサ⑥
この作品の月の神の設定は、日本神話をベースにしてはおりますが、作者が設定したフィクションです。
予めご了承下さい。
え?と、るりは思わず小さな声が出てしまった。
『もうやめて、おにいちゃん!』
そういえば結木の夢を共有したあの時、るりは思い切り、心の底から、そう叫んでいた。
考えてみれば、アレのターゲットの夢の中で、何かをアレへ命じたのは初めてだ。
夢の中でなら、しきりに木霊たちがくり返し言う『目を閉ざしている』状態でなくなるのだろうか?
もしかするとアレを制することが出来るかもしれない、という期待が、うっすら見えてくる気がした。
しかし結木は別のことを考えているようだった。
「離れてるって……いつまで、どのくらい、あのお方は離れていそうですか?」
厳しい顔で彼は問う。
「そう長い間は無理でしょう。半日とか、その位です」
大楠の答えに、ふむ、と結木は眉を寄せる。
「あのお方は、狙った人間を眠りの中へ引きずり込んで、夢の中でその人間のトラウマ抉って、ショック死とか窒息とか狙うみたいです。そうでない場合は悪い夢を見せ続けて正気を奪い、最終的には自殺に追い込む……ってのが、定番の殺し方みたいなんですけど。そういうことやったら、取りあえず今晩はあのお方に邪魔されんと寝られそうですね。……明日以降は知りませんが」
「ああ。その方法は月の御剣の典型的な呪殺ですね。禁じ手とされているそうですけど」
大楠の言葉に
「……バンバン使てはりますが?」
と、結木はツッコミを入れるように言った。
「だから『うつつ心をなくして』いらっしゃるのです」
なるほどそりゃそうですねと、結木は苦笑いをした。
「禁じ手を使う、弊害みたいなもの……とも考えられます。この辺りは月夜見命を氏神に持つ、月の氏族が口伝として伝えていらっしゃいましょう。我々にはよくわかりません」
大楠はそこでひとつ、息をついた。
「天照大御神が昼の世界、つまり現世をしろしめす神なら、月夜見命は夜の世界、つまり隠り世をしろしめす神、と。夢、本音、死を司ると伝え聞きます。為政者を陰から支え、しかしその役割上表に出ることのない氏族として、歴史の陰でひっそりと血を繋いでこられたのです。時代が進むにつれ、月の氏族に必要以上の呪殺を命じられることが増え、都のある畿内から逃れられたとも伝え聞いております。絶えたのではないかとも言われておりました」
そこで大楠はるりを見ると、にっこりと笑った。
「しかし私の姿、それもヒトとしての私の姿をきちんと捉えていらっしゃる。目を閉ざした状態でもそこまでの『幻視』の力をお持ちなのです、このお方はまぎれもなく『神鏡』の巫女姫でいらっしゃいましょう」
え?と結木が変な顔をした。
「ヒトとしての……大楠先生の姿?大楠先生は、もう十年以上も前にヒトとしての姿を保てんようになりはったでしょう?」
「ええ、うつつの目では。でも幻視なら捉えられます。それ相当以上の能力者でなければ無理ですけど」
結木は大きく目を見張り、まじまじとるりの顔を覗き込んだ。
「か、神崎さん……」
信じられない、という顔をしている。
「その。大楠先生……『義昭の楠』のヒトとしての姿が、神崎さんは見えはるんですか?」
「え、ええ……」
不思議なことを言う、とるりは思う。
息遣いさえ感じられるほど、るりには大楠がはっきり見える。
(……あ!)
はっきり見える、のはおかしい。
楠の正面に灯りがあるから真っ暗ではない。が、眼鏡をかけていない裸眼のるりは、0.1も満足に見えない程度の視力しかない。薄暗い場所で1メートルは確実に離れているところに立つ人の顔が、はっきり見える、訳はない。
だけど大楠の顔は眼鏡をかけている時以上に、はっきり見えている。
「大楠先生はどんな顔ですか?今、どんな格好でそこにいてはりますか?」
急き込んで訊く結木へるりは、ややうろたえた気分で答える。
「え……その。顔、は、凛々しい感じと言うのか、昔の御武家さんみたいな印象です。四十代の半ばくらいで体格のいい、こう言って正しいかどうかわかりませんけど、坂上田村麻呂みたいな感じ……の方ですね。黒の紋付き羽織袴で、楠の前に背筋を伸ばして立ってらっしゃいます」
ああ、とうめき、結木は泣き笑いの表情になった。
「そうです、そんな感じの方です。黒の紋付き羽織袴は、ボクが最後にヒトとしての先生にお会いした、その時の姿です……」
ほとんど泣き顔のように顔を歪め、結木は笑う。
「神崎さんには見えるんや。メチャクチャうらやましいです……」




