4 クサのツカサ⑤
「ご明察です、さすが大楠先生。で、この祟り神さんを鎮める方法をお聞きしたいと思いまして、ご足労願ったんですけど」
結木が言う。途端に大楠先生こと『義昭の楠』は渋い顔をした。
「……ほぼ無理です」
「ほ、ほぼ無理って……そんな、簡単に……」
結木が絶句すると、楠の木霊はため息をついた。
「月の御剣は月の鏡にしか従わない御霊です。うつつ心を失ったとはいえ、月の御剣はあくまでも、鏡に隷属する契りを結んでいる筈です。鏡が命じれば手を引くでしょうが、それ以外の者が命じても聞く耳すら持たないでしょう。また、剣と鏡は裏表の関係だと伝えられています。無理に絆を断ち切って強引に浄化出来なくもないでしょうが、すさまじい力が必要です。私ごときの半端な力では不可能でしょう。それに、強引な浄化は鏡である巫女姫にも良からぬ影響が出てくる可能性があります。最悪……」
彼は逡巡したが、言った。
「巫女姫のお命に関わります」
るりの中で何かが弾けた。
「う、ふふふ……あは、あははは……」
可笑しくもないのに何故か笑ってしまう。
そう、薄々わかっていた気がする。
アレはるりから離れないのではなく、離れられないのだ。
アレを無理矢理離せば、おそらくるりもすぐに死ぬ。
まるで、一つの身体を共有する双頭の生き物のようなのだ、アレとるりは。
知っていた気がする、言われなくとも。
アレの禍を防ぎたければ、一つだけ確実な方法があった。
アレが大人しくしている時期を見計らい、確実に死ねそうな方法で、自分の意思で死ねば良かったのだ。
柴田のように高いビルから飛び降りてもいいし、名前を覚える前に踏み切りへ飛び込んだあの少年のように、列車に飛び込んで轢かれてしまってもよかった。それこそ方法なんていくらでもある。
だけど呪いが発動してしまった今となっては、たとえるりが死んだとしても結木は救えないだろう。
「何故……どうしてよぉ……」
私は生きていてはいけないのか?生きているだけで罪なのか?
生まれてきてはいけなかったのか?死んだ方が良かったのか?
では何故……何故、私をこの世に生み出したのだ!
立っていられなくなり、るりは膝から崩れてしまった。眼鏡が転がり落ち、視界がゆるむ。
いや……視界がゆるんだのは涙のせいだった。
うつむいたまま声になり切らない声で細くうめき、るりは泣く。
泣きながら、呪えるのなら呪いたい、自分を生み出したモノへの怒りをきつくかみしめた。
おそらくその怒りは、両親に対してではない。両親のもっと後ろにある、意地の悪い何らかの意志が、るりは憎かった。
もしるりが世界に不要な存在ならば、るりが生まれるもっと前に、血筋ごと消し去れば良かったのだ。
何故おめおめとこの忌まわしい血筋を生かし続け、兄と自分のような化け物を生み出すままにしたのだ!
「どう……し、て……」
強く握った右手で、るりは滅茶苦茶に大地をなぐった。
ふわり、とやわらかな香りに包まれ、るりは一瞬、泣くのを忘れた。
「手が傷付いてしまいますよ、神崎さん」
拳骨にした右手を優しく制するのは、はっとするほどあたたかい、大きなてのひらだった。
「手が傷付いてしまいますよ」
もう一度そう言い、彼は、ぼやけた視界の中で哀しそうに笑んだ。すぐそばにしゃがみ、るりの手を制している結木を、るりはぼんやり見た。
全身の力が抜け、ふっと気が遠くなった。倒れそうになったるりの身体を、結木の肩が支えてくれた。
気を失う寸前でるりの意識は踏みとどまった。
彼のスーツの紺の布地と、地味な色あいの縞のネクタイがひどく近い。
自分の涙が彼の服地にしみてゆくのを、るりはただ呆けたまま見ていた。
日向の洗濯物に似た香りがるりを包みこむ。
このまま目を閉じて眠ってしまいたい、甘やかな誘惑を感じた。
「大楠先生」
彼の声が、肩にもたれているるりの額へも響いてくる。
「ほぼ無理、とおっしゃいましたね。ですが絶対無理とはおっしゃいませんでした。そうですよね?」
言質を取るような、冷ややかでさえある声で彼は言った。
「ええ。しかし……」
「可能性だけで結構です。剣を鎮めて鏡を生かす、道はあるのですよね?」
大楠は再びため息をついた。
「ない、とは申しません。……要するに、神に対抗できるのは神だけです」
すうっ、と結木の周りの空気が冷えた。
「オモトノミコトへお願いしろ、と?」
大楠が諾う気配がした。
「小波の産土神です、かの方へ願いが届けば、よほどの無理難題でなければ叶えて下さいましょう。祟り神になった剣は、力があると言っても元々は一個人の霊です。オモトノミコトなら楽に鎮めて下さいましょう。ただ……」
「手段がない、ですよね」
結木がむっつりとつぶやいた。
「それにあの方が、あっさりとこちらの願いを叶えてくれはるとは思えませんしね。あの方は、こちらが誠意を尽くして努力する姿勢を見せん限り、基本動かないお方ですから」
「おっしゃる通りですね。でも……手段なら。もっと言うならあなたなら、可能性は小さくないですよ、我が君」
は?と、間が抜けたように問う結木へ、大楠がほほ笑みかけるような気配がただよってきた。
「何よりまずは、一刻も早く小波へお戻り下さい。その時は『神鏡』の巫女姫もご一緒下さると、我々としては大変ありがたいのですが」
るりは驚いて顔を上げ、大楠を見上げた。大楠は真っ直ぐ、るりを見つめている。
「巫女姫ご自身は、どうやら自覚なさっていらっしゃらないようですが。剣は貴女に従っている眷属なのです。あなたの望まないことや命じないことは、本来しないし出来ない筈なのです。少なくとも、貴女がやめろとおっしゃれば剣は躊躇します、たとえ刹那でも。その躊躇で、結木草仁が首の皮一枚で助かる可能性があります」
「……結木さんが助かるお手伝いになるのなら、何でもします」
かすれた声でるりは答えた。
「でも、アレは本当に、ちっとも私の言うことを聞きませんよ?もし聞くのなら、今までアレがやってきたひどいことを、手を束ねて黙って見てなんかいません……」
言っているうちに情けなくなってきて、るりは唇をかむ。しかし大楠は柔らかくふわりと笑んだ。結木の笑みに似ているなと、るりは心の隅で意外に思う。顔が似ている訳でもないのに、結木と大楠はたたずまいや表情がよく似ていた。
「それはおそらく、巫女姫が今現在、所謂『目を閉ざす』状態でいらっしゃるからではないかと私は愚考いたしますが。しかし巫女姫ご自身が『閉ざす』とお決めになられて閉ざされているようですので、何か深いご事情がおありになるのでしょう?」
るりには困惑しかなかった。『閉ざす』も何もるりには一切、自覚のない話だ。
「ですが今現在、剣は遠くで控えていますね。近付きたくても近付けない、苛立ちの波動が伝わってきます。無意識で剣を制されたのではありませんか?」




